第38話 牙を剥く春親

 それはもうすっかり聞き慣れた声だったが、しかし拓実は安堵よりも、驚きと共に振り返る。その声音が、普段の彼からは信じられない程に鋭かった為だ。その冷たさに咄嗟に反応できずにいると、腕を掴まれ若者から引き剥がされた。


「あんた、俺の連れになんの用? 今スマホ盗ろうとしてるように見えたけど、この人になんかしようってんなら警察呼ぶよ?」

「っ⁉ 待っ、違うんだ!」


 拓実は慌て、自分を庇うように立つ春親の背中へ声を掛けた。

 どうやら大いなる誤解が生じている。確かに連れが見知らぬ相手に肩なんか組まれていたら絡まれていると思うだろうし、更にはスマホという貴重品を奪われそうになっていたら警戒するのは当然だ。

 だが、この孫悟空めいた若者は、ただ自身の動画チャンネルを教えてくれようとしただけなのだ。こんな剣呑な空気になる必要は少しもない……と、説明しようとしたのだが。


「鳥羽、春親……」


 拓実が口を開くよりも早く、孫悟空がぽつりと発した。

 かと思うと、次の瞬間。

「お前……っ、何を初対面みたいなテンションで喋ってんだコラァァ!」

 若者が突如声を張り上げた。これに春親も目を見開き――それから少し考え込んで。

「え、もしかしてお前……サル?」

 その呼び名に拓実はハッと思い出す。サルとは、確か猿渡。それは先日のスタジオで話題に登った、春親をライバル視するダンサーの名前だ。


「うわー、髪型変わってるからわかんなかった……つか最近バトルでも見なかったのに、こんなトコで会うなんて……」

 相手が知り合いとわかり威嚇こそ止めたものの、引き換えに春親はげんなりとした声を出す。すると、名は体を表すそのものの猿渡は盛大な舌打ちでお返しした。

「相変わらず失礼だなお前はよ! こっちはお前の髪型が変わろうとすぐ気付いたってのに……あっ、つかお前、まだちまちまバトルなんてやってんのか? そんなトコで実績積んでも何にもなりゃしねぇだろ!」

 猿渡は喧嘩腰で言い放つ。彼らの関係について「顔を合わせればひと悶着」と清史から聞いていたが、正にその展開が始まっているようだ。


「その点俺は、動画で着実に知名度を稼いでる。その方がずっと世間に見付けてもらいやすいからな! 登録者数も増えてきたし、すぐにお前らなんかとはレベルの違う、でかいステージに登ってやる!」

 その勝ち誇ったような顔――この時代、名前を売るにはネットでの宣伝力がものを言うが、春親と清史は動画を上げたりSNSでの発信を行っていないのだ。彼らはバリバリの現場主義であり、また、自ら発信するというのがどうにも苦手なのだという。


 そんな彼らに比べ、自分は一歩も二歩も先に行っていると猿渡は言うのだろう。実際、そのチャンネルの登録者数を聞いてみると、拓実も感心してしまった。今や動画サイトは飽和状態で、かなり力のあるコンテンツでない限り人気は出ない。だがその中で猿渡のチャンネルは、なかなかに支持されているようだ――と、いうのに春親は。


「あ? じゃぁお前、これからは動画一本でやってくって事? もうバトル来ねぇって? うわよかったー」


 微塵もやっかまずに言ってのける。となれば、猿渡のこめかみに青筋が立つのは必然だ。恐らく春親はただ素直な感想を述べただけだろうが、それが完全に相手を煽っている。


 猿渡はわなわなと震え、大声を上げようと一瞬大きく息を吸い――……しかしそれは怒声にならずに吐き出された。それから「へ……へっへ」と不気味な笑いを零す。

「あー駄目だ駄目だ、まともにやり合ったら可哀想だわ……なんたってお前今、傷心なんだもんな?」

「は? 傷心?」

 意味がわからないというように繰り返す春親に、猿渡はニィと口角を釣り上げる。

「とぼけんなよ。お前、ダンジャンにエントリーできなかったって噂になってんぞ。三人目のメンバーが見付かんなかったって……まぁ仕方ねぇよなぁ、お前と組みたがる奴なんて清史以外にはいねぇもんなぁ!」

 猿渡はひゃははと悪役のように笑ってから、拓実へと投げ掛けた。


「なぁオッサン、あんたダンス好きみてぇだけど、こいつの取り巻きでもやってんのか? 気ぃ付けろよ、こいつは悪魔みてぇな奴だからな。一緒に居ると女持ってかれるって、皆から敬遠されてんだよ! あんたも油断すると痛い目見んぞ!」

「え?――あ、持ってかれるも何も俺に彼女は……」

 と、拓実はそこを訂正しようとしたのだが。


「取り巻きじゃねーよ」

 拓実の言葉を遮って、春親が告げる。

「この人、うちのメンバーだから」

「は? メンバー?」

 怪訝に聞き返す猿渡に、春親は大きく頷いた。

「そう。俺はキヨとこの人の三人で、ダンジャンに出んの」

「………………はぁ?」

 その説明に猿渡は目を見開き、それから拓実をまじまじ見詰め。

「ん? は? このオッサンが三人目? 踊んの? ダンジャンで? このオッサンが?」

 しつこいくらいの確認に、春親は律儀に頷き返した。拓実も繰り返される「オッサン」に苦笑いしつつも肯定し……


 すると猿渡の反応が徐々に変化していった。最初は驚き。次に茫然。その後は口元を押さえていたのが……やがて限界を迎えたように、破裂するような勢いで吹き出した。

「ってお前、そりゃ勝負捨てすぎたろ! いくら三人目が見つからねぇからって、こんな冴えないオッサン連れてどうすんだよ⁉」

 腹を抱えて爆笑され、拓実は「はは……」と頬を掻く。薄々わかっていた事ではあるが、やっぱりそういう反応になるよなぁと思ったのだ。春親と清史は若く、顔の整った実力者。そんな二人と並ぶのに、自分は余りにも見劣りする。

 年齢の事だけを言うのであれば、拓実と同年代でバリバリ現役というダンサーは大勢いる。中にはダンスシーンを牽引する凄腕だっている……が、拓実にはそういう人々のような華が無い。ダンス再開時よりも筋力は付いてきたが、初対面の相手からすればまだまだくたびれて見えるだろう。数合わせのメンバーたと誤解されても仕方がない。


「つかオッサン、あんたもどういうつもりだよ⁉ 盆踊りでもやろうってのか⁉ ひゃひゃ、傑作……まぁ精々怪我しねぇように気を付けろよな、バトルは甘かねぇからよ!」

 猿渡の言葉は辛辣だった。が、拓実には怒りは湧いてこない。ただ「はは」と笑って頬を掻く。昔から余り人に対して怒らない上、猿渡との年齢差があり過ぎて、喧嘩をする気にもならなかったのだ。


 が、一連の暴言に真正面から怒りを見せる者がいた。言わずもがな春親だ。

 彼は猿渡へ詰め寄ると、その胸倉をグッと掴み上げたのである。

「えっ――はぁっ⁉」

 これに拓実は唖然とした。だって春親はつい先日、喧嘩なんかしないと嘯いていたではないか。それなのに何故彼は、猿渡を絞め上げている?


「なっ、何すんだテメェっ!」

 猿渡が苦し気な声を上げるが、春親は手を緩めなかった。それどころか唸るような声を出し。

「お前さ、誰が誰にモノ言ってるかわかってんの? 俺の神様侮辱して、ただで済むと思ってる?」

「か、かみさまァ?」

 猿渡は訳がわからないと言った様子で繰り返す。その顔には苦悶と共に驚きの色が浮かんでいる。恐らく彼は、過去何度も春親に絡んでいきつつ、こんなにも怒っている姿を見た事はなかったのだ。


 そして拓実もまた驚いている。春親に崇拝されているらしい事はわかっていたが、しかし自分への侮辱でこんなにも激昂してしまうとは!

 今の春親は、いつもの緩い雰囲気が全くない。猿渡を冷たく睨み、今にも殴り付けてしまいそうだ。もし春親が誰かに絡まれたら、自分が彼を守らねばと思っていたが……拓実が出る幕なんて全くない。

 とにかくこのままでは非常にまずい。道行く人も「え、何?」「喧嘩じゃない?」と囁いている。大事になる前に、まずは春親を止めなければ――と、考えたところで。


「オイ、何してんだソコ⁉」

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