第37話 ぶつかったのは孫悟空

 六月某日。

 その日の練習は拓実にとって、実に充実したものとなった。新しく覚えたステップがすっかり自分のものになり、曲に合わせて自然と踏めるようになったのだ。それに加え、清史のスパルタストレッチのお陰で、関節の可動域が広がってきたという実感もある。

 徐々に、だが着実に、己の武器が増えていく。かつて味わっていた万能感の片鱗を取り戻す。踊っている自分は無敵だと、少しだがそう感じる事ができたのだ。


「この調子なら、そこそこやれるかもしれないなぁ……」

 スタジオビルを出たところでそんな言葉が転がり出る。が、すぐに拓実はハッとして口を噤んだ。いや、馬鹿か。こんな自惚れた事を言えば、何様だと思われる。お前如きが何を言うかと、白い目で見られてしまう!

「ってゴメン、今のは無し――」

「何言ってんだ、そこそこどころじゃねぇだろ」

「そ。タックは神。タックは最強」

 拓実の訂正も聞かず、清史と春親は堂々そう言ってのける。これに拓実は数秒間ぽかんとし、それから「あ、ありがとう……」と破顔した。


――嗚呼そうだった。この子たちは俺の事を落としたりなんてしないんだ……


 そんな事、もうわかりきっていたはずなのに。

 それでも拓実が身構えてしまったのは、狩谷が頭を過ったからだ。


 もしも狩谷の前で自画自賛なんてしようものなら、物凄い勢いで調子に乗るなとドヤされるに違いない。彼はとことん部下に厳しい。できている事ではなく、できない事を列挙していくタイプなのだ。拓実はそんな狩谷によって教育された為、決して己を過信せず常に謙虚にと心掛けるようになった。

 だが、この二人と居る時は、その心掛けに従わなくても良いらしい。もっと自分の力を信じ、褒めたり認めたりしてやっても……そう思うと心が、いや身体までもが軽くなるようだった。


「――あ、俺ちょっとここ寄るわ。夜食になるモン買いたい」

 コンビニ前に差し掛かったところで、春親はそう告げて店内へと吸い込まれた。すると「あ、俺も」と清史も続く。拓実も流れで、じゃぁ俺も行こうかなと足を踏み出し掛けるが、しかしギリギリで踏み留まった。

 最近は身体作りの為、摂生を心掛けているのである。こんな疲れた状態でコンビニなんて入ろうものなら、絶対にハイカロリーなものを買ってしまう――という事で、拓実は外で二人を待つ事にした。


 時刻はもう九時半過ぎ。だというのに大勢の人間が拓実の前を通り過ぎる。学生から勤め人から旅行者から、新宿の夜はいつだって賑やかだ。それを見るともなく見ていると、不意に。

「ぅわっ⁉」

 ドンと背中に衝撃を受け、拓実はぐらりとよろめいた。慌てて体勢を立て直して振り返れば、眼前には大きなバックパック。その主も衝撃に気付いたのか、身体ごとこちらへ向き直り。


「――あ? 今ぶつかったか?」

 そう尋ねてきたのはオレンジ色の短髪をした、孫悟空を思わせる顔の若者だ。彼は拓実を認めると、すぐさま。

「悪いなオッサン、怪我とかしてねぇ?」

――お、おっさん……⁉

 その言葉に、拓実はバックパックによるアタック以上に衝撃を受けた。いや、確かにそう呼ばれる年齢に近付いている自覚はあるが、いざ他人に言われるとショッキングだ。


 が、謝ってくれているのにいつまでも固まっているわけにはいかないだろう。拓実は気持ちを立て直し、笑顔を作る。

「あぁ大丈夫……こっちも避けられなくて悪かったよ。キミもこんな大荷物じゃ大変……って、本当に大荷物だな⁉」

 若者が背負うバックパックは背中全体を覆い隠してしまうような大容量、しかもそれがパンパンに膨れ上がっていて、拓実はついそんな感想を漏らしてしまう。と、若者もノリが良い性格のようで、何処か得意気に頷いた。

「おぉ、そうなんだよ! いやー衣装とか撮影道具とか色々詰め込んでるから大変でよ……俺今、ダンス動画撮ってきたんだわ!」

「そうなの⁉ キミ、ダンサーなのか!」

 拓実は目を輝かせた。初対面の相手でも、ダンスをしていると聞けば途端に親近感が湧いてくる。


 拓実の表情が明るくなると、若者は「あんたダンスに興味あんのか!」とがっしり肩を組んできた。どうやら彼も拓実同様、ダンス好きな人間に強い連帯感を持つタイプらしい。

「オッサン、ダンスが好きなら俺の動画チャンネル教えてやるよ! 今日撮ったやつも二、三日でアップするから、チャンネル登録……あぁいいわ、やってやるからスマホ貸しな!」

 そう言って手を伸ばしてくるが、拓実は「えっ」と声を上げた。若者に悪意があるようには見えないが、しかし初対面の人間にスマホを手渡すのはどうだろうかと思ったのだ。


「あ、えーと……チャンネル登録は自分でやるから、なんて検索すればいいか教えてくれる?」

「あーあーいいよまどろっこしい。俺がやった方が早ぇだろ」

「いや、でも……」

「ほら、いいから! 遠慮すんなって!」


 いや、断じて遠慮ではない――が、悪気のない者を相手にあまり強くも言いたくない。若者からスマホを遠ざけつつ、さてどうしたものかと困っていると。


「何してんの」


 突如そんな声が割り込んだ。

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