第35話 春親の情熱

 ◆◇◆


 夜九時。コンビニバイトを終えた春親は、休憩室で繰り広げられるスタッフ達の雑談には加わらず、さっさと店を後にした。新人の女の子が「えぇー鳥羽さん帰っちゃうんですかぁ?」と甘え声を出したが、「うん、帰っちゃう」と取り付く島なく切り捨てて。


 春親は昔から、女の子への興味が薄い。派手で強い姉がいる為、女子に夢を見れなくて……というのも一因だが、それ以上にダンスを愛し過ぎているのが悪かった。頭の中は常にダンスでいっぱいで、他の事に意識を向けていられないのだ。


 そんな春親である、速攻でバイトを上がって向かう先は、やはりダンスの練習だ。

 駆け込んだのは、とある公民館の駐車場。ここは夕方以降車が停まらない為に広々としたスペースがあり、また、公民館の大きな窓は灯りが落ちると鏡になるので、ダンスの練習にはもってこいなのだ。


 と、本当ならばスタジオを借りるのがベストなのだが、レンタル代は安くはない。二時間借りれば三千円前後は掛かってしまう。まだ学生の春親には個人練習で気軽に借りるのはハードルが高く、故にこういう場所で練習を行うのだ。


 周りには他にも、大勢のダンサーやパフォーマーが集まっている。音を流せば忽ち警察が来て追い払われてしまうので、皆イヤホンを装着しながら慎ましやかに練習する。

 音楽のない中、大勢がてんでバラバラに踊ったりなんだりしているのは、傍から見るとかなり珍妙な光景だろう。だが春親はこの光景が好きだった。皆が己を高めようと懸命に身体を動かす、そのストイックさがなんとも言えず心地よいのだ。


 春親も早速空いているスペースに陣取って、ストレッチを開始する。それが終わると音に合わせて動き出してみるのだが……窓ガラスに映る自分の顔は、どう見てもニヤついていた。それに気付き口元を引き締めようとするのだが、どうしてもうまくいかない。拓実とチームを組んで以降、春親はずっとこうなのだ。


 拓実が消えてからというもの、春親はありとあらゆるメディアを漁り、その姿を探していた。“タック”という名で検索しても何もヒットしなかったが、何処かで活躍していると信じ、世界中のダンス動画を見漁って。もう一度彼のダンスが見たいからと、何年も何年も、諦められずに。

 それが今、偶然にも春親の前に現れた。更にはその人とチームを組み、共に練習できるなんて、一体どんな幸福だろう。一年前の自分にこの事を話したら、きっと白目に加え、鼻血も流して卒倒するに違いない。


――それにあの人、やっぱいい人なんだよな。


 拓実の人柄について、初めて会った九年前にある程度はわかっていた。何せ絶対王者なんて仰々しい呼ばれ方をしている割に、拓実には嫌味がなかったのだ。

 謙虚で真面目でフレンドリーで。純粋にダンスを楽しみ、バトル相手にも好意的。マウントを取るような事もなければ、人を貶める事もない。彼は根っからいい人だ。

 そしてその性格は、今でも変わっていなかった。

 年下の自分や清史に対し偉そうに振舞う事はなく、むしろ自分達のダンスをこれでもかと褒めてくれる。アドバイスを求めれば、俺なんかがと謙遜しつつも真剣に考えを伝えてくれる。それに自分自身の練習も一切手を抜こうとしない……憧れ続けた人物は、今でも変わらずいい人だった。その事が春親には、とても嬉しい。


――まぁ、あの時はちょっと驚いたけど……


 そう反芻するのは、最初のスタジオ練習である。あの時、拓実は酷くネガティブになった。自らをとことん卑下し、怯えたように縮こまって。その様子に、表舞台でこそ溌剌としていた拓実だが、裏ではこういう性格だったのかとも考えた。まぁそれでも、彼が憧れであり恩人だという事は変わらない為、幻滅なんてしないのだが……


 しかしあれ以降、拓実がネガティブを発揮する事はない。彼は今前向きに、そして楽し気にダンスに取り組んでいる。その姿は昔のような溌剌とした雰囲気を纏っていて――だからこそ、あのネガティブな様子が異質に思えた。

 ダンスを引退している間に、彼には何があったのだろう。明るいはずの拓実があんな風になってしまう程、仕事とは厳しいものなのか……


 と、考えに気を取られ過ぎて、次の振りが出て来なかった。いや、集中集中……春親は改めて鏡の中の己に向き合う。

 今、春親は成長期だ。ダンスにおける成長期。憧れ続けたダンサーの動きを間近に見れるという事は、それだけで莫大な経験値が稼げるのだ。

 故に今は、許される限りの時間、集中してダンスに取り組みたい。記憶した拓実の動きをコピーして、自分の中に落とし込む。そうしていけば、今よりもっと上手くなれるに違いないのだ。


――つぅかマジで、あの人って堪んない……


 拓実の身体の使い方を思い起こすと、陶然とした溜息が出る。

 彼には確かにブランクがあり、体力はなく、関節の可動域も以前よりもずっと狭い。怪我をした膝を庇う分、動きに遠慮があるのも否めない――が、それでも彼のダンスは余りにも光っていた。憧れて憧れて、見ているといっそ苦しい程に焦がされる。


 春親のダンスは昔から、お手本のように綺麗だと言われてきた。幼少期にバレエを習っていた影響だろう、きっとそれが春親の表現の土台なのだ。動きの一つ一つが適確で、また、身のこなしは軽々としてしなやか。天使が踊っているようだと評される事もしばしばである。


 だが、春親はそんな自らのスタイルを崩したかった。綺麗というのも得難い個性ではあるのだが、しかしそれだけでは表現したいものに到底足りない。春親はもっと引き出しを増やしたいのだ。綺麗なだけじゃなく、ダーティにも染まりたい。色気だって欲しいし、ポップさもワイルドさも使いこなしたい。


 そして拓実は、春親が憧れるものを一つ残らず持っていた。楽しげに踊れば見ている者まで笑顔になるし、怒りを表せば息を飲む程の迫力となる。普段は柔和で無害なフツメンという印象なのに、ダウナーな曲を踊ると噎せ返る色気にハッとする。

 軽く猫背で踊る拓実は、春親の感情をこれでもかと揺さぶった。自分もこんな風に踊りたい――その想いが膨らみ過ぎて、何度窒息しかけたか。


 拓実のダンスの魅力には、二つの大きな要素がある。


 一つ目は、無限の振りの引き出しがあり、流れている曲に最適なものを即座に取り出せるところである。音とマッチした動きを選べば、それだけで見る者の心を打つ。拓実のダンスは、いつも完璧に音楽と調和している。


 そしてもう一つの魅力は、類稀なる表現力だ。

 一度彼が踊り出すと、キャラクターが見えてくる。拓実が演じているのが一体どういう人物で、何をして何を思うのか、そんなものが自然と理解できるのである。

 それは彼の動きの一つ一つが、細やかに曲の世界を表すからだ。視線だったり、曲げた首の角度だったり、ステップの速さやダイナミックさだったり……それらから、色々な情報が伝わって来る。動きに乗せられた拓実の意図が、明確に流れ込む。


 その境地に達するには、どれだけの修練を積んだのだろう。どれだけ鏡前に立ち、動きを研究してきたのだろう。

 春親だってこれまでかなり積んできた。研鑽を、経験を、途方もない時間を掛けて。だが、改めて拓実の「積み」を見せ付けられると、まだまだだと思い知る。まだ足りない。まだ届かない――だからこそ春親は今、踊るのが楽しくて仕方ない。

 まだ目指す境地までは遥か遠いが、しかしそこにはこんなにも素晴らしい表現の世界が待っている。それを思うと、わくわくとして堪らない。


 そうして春親は気合を入れて踊り続けた。拓実のダンスから盗んだものを、自らの身体にインストールすべく。その内に、「あ」と思う瞬間がある。それこそが進化の時。理想に一歩近付いた己を見るのは、脳が痺れる程の快感で――……だが。


 そこへ水を差すものがあった。


 不意に足元に空き缶が飛んできて、カツンと音を立てたのである。

 なんとなくその空き缶に悪意を感じて振り返ると、少し離れた所から一人の若者がにやにやとこちらを見詰めていた。

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