第34話 思っていたより溝は深い



 さて、それから二人連れ立って事務所に戻ると、もう昼休みが始まっていた。この支店は自席で昼食を取る者も多く、食欲を刺激する良い香りが充満している。

 拓実はいつも外食なので、今日はどこへ行こうかと考えながら、沢田の少し後を歩いてデスクへ向かう――と、「あ、ねぇ!」と声が掛かった。これにパッと顔を上げるが、声を掛けられたのは沢田の方だ。声の主は、自席で弁当を広げていた野島である。


「例のお店なんだけどさ、今わかったんだけど飲み放のデザートね、予め言っとけば特製ジェラートに変更できるんだって! すごいんだよ、シャインマスカット使ってるの! 沢田くんもこっちの方が……」


 という話の最中、他の社員たちが野島に対し、「黙れ黙れ」とジェスチャーした。それに野島は怪訝そうな顔をするが、彼らに促されて拓実の方を振り向いた途端、「しまった」という顔をした。どうやら彼女はそこで初めて、拓実が居るのに気付いたらしい。

「あ、あーっと……ごめん、ラインで話すねぇ……」

 そう言って、野島は話を切り上げる。この不自然さ、もしかして聞いてはいけない話だったのか……? なんだか申し訳ない気分になり、拓実は早々にその場を離れようと思ったが。


 その微妙な空気を払うように、沢田が言う。

「や、別にいーでしょ知られても……ねぇ砂川さん、俺ら今夜飲み会なんスよ。実は二班の皆で、月一ペースで飲んでるんです」

「え?……あ、そうなのか?」

 拓実はそう言葉を返すが、それ以上どう返していいやらわからなかった。

 だって、飲み会は悪い事じゃない。それなのに何故こそこそ話していたのか……それにわざわざ改まって宣言する意味もわからない。それに加え、彼らがそんなにも和気藹々だったという事実にも驚かされ、拓実はぽかんとしてしまう。


 と、そんな反応をどう捉えたのか、野島はバツが悪そうに。

「あー、実はそうなんです……。私達、結構前から飲み会してて……でも、狩谷さんの飲みは断ってる手前、皆で飲んでるって言い辛くて。砂川さんに知られたら、自動的に狩谷さんにも話が通っちゃうかと思って内緒にしてて……」

 こうなっては仕方がないと言わんばかりに白状する。


ああ成程、そういう事か。

事情がわかると、拓実は柔和に笑ってやった。

「そんな顔しなくても、別に狩谷さんに言ったりしないから大丈夫だよ。同年代同士で飲むのは上司と飲むのと全然違うし、気にしなくていい」


 そう言うと、野島を始め後輩達は大きく安堵したようだった。狩谷の飲みは素気無く断る彼らだが、さすがにその裏で自分達だけで集まっていると知られるのは相当気まずかったらしい。と、その中で沢田は何故か得意気に。

「ほらー、だから言ってたじゃないスか、砂川さんはチクったりしないから知られても平気だって!……って事で砂川さん、今夜飲み会なんスけど一緒にどうスか?」

「え?」

 拓実はぱしぱしと瞬きを繰り返した。話の展開に一瞬ついて行き損ねたのだ。

 そうして数秒固まって、それからようやく。

「え、それって俺が行ったら駄目なやつだろ?」

 戸惑いつつそう問い返した。だって自分が参加したら煙たいだろう。沢田はこの性格だから気にしないかもしれないが、他の皆には迷惑だろうに……

 そう思って視線をやると、沢田以外の班員達は暫し互いに顔を見合わせ、その後で。


「まぁ、確かに……砂川さんが狩谷さんに俺らの事何か言うとは思えないし……」

「狩谷さんが戻ってきたら、また残業だなんだで誘えなくなっちゃうし……」

「何より砂川さんと飲める機会って貴重ですもんね」

「ね、そういう事なんでどうっスか! たまには俺らとも親睦っての深めましょ!」

 沢田が言うと、班員達はこくこくと頷いた。その雰囲気、仕方なく拓実を誘っているわけではなさそうだ。


 後輩達の集まりに誘われるなんて、先輩として嬉しくないわけがない。てっきり自分は後輩達から、“狩谷と直接関わらない為のワンクッション”くらいに認識されていると……更に言えば狩谷の金魚のフンとして、どちらかと言うと敬遠されているものと思っていた、が、どうやらそうでもないらしい。

 それに確かに、狩谷が戻ってきた後では、彼らと飲む機会なんてないだろう。だとしたら、折角誘ってもらえたのだし、顔を出そうかと考えた拓実だが――


「――あー……。残念だけど、今日は残って仕事しないと」


 そんな答えに、「えぇ、なんでっスかぁ」と沢田が口を尖らせた。

「今日くらい別に良くないスか? だって滅多ない機会っスよ、その仕事、明日に回せばいいじゃないスか」

「あ、なんなら私、明日その業務手伝いますよ!」

 後輩達はそう言ってくれるのだが、拓実は苦笑してかぶりを振った。

「いや、どうしても今日やらないといけないんだ。それにほら、班長代理としての仕事は、皆に手伝ってもらうわけにいかないから」

「あ、あぁー……班長代理のお仕事か……」

 これには後輩達も引き下がる。役職に関わる仕事には手が出せないと判断したようだ。



 そうしていざ定時を回ると、皆わいわいと楽しそうに帰っていった。その姿を見送り、一人になった二班のデスクで、拓実は大きく溜息を吐く。


――本当の事を言えば、別に行っても良かったんだ……


 そりゃぁ、スタジオ練習の日にはほぼ定時で上がる為、他の日はできるだけ残業する必要がある。一班の業績を追い抜く為、お得意様へ営業メールを送ったり、新規獲得の為にポスティングして回ったり、アナログを希望するお客様の為にカタログ本を届けたり、その中でも特に需要があるものをお知らせすべく付箋を付けたりと、やるべき事は多い……が、今日一日くらいならサボったって、然程問題はなかったはずだ。


 だがそれでも拓実が不参加を選んだのは、狩谷以外の班員が、拓実まで含めて全員で飲んでいたら、さすがに狩谷に申し訳ないと思ったのだ。それに万が一その事が狩谷に伝わったら――……うん、そんなリスクは取るべきじゃない。今回の判断は、きっと間違っていないはずだ。


 拓実はそう納得する、が、やはり自分と狩谷以外の面々が定期的に飲み会を開いていたという事には、未だに驚かされていた。班員達は頑ななまでに狩谷の飲みを断る為、プライベートな時間まで職場の人間と過ごしたくないのだと思っていた。が、どうやら思い違いだったらしい。彼らはただ、どこまでも、狩谷と関わりたくないだけなのだ。


――って、それでいいのかなぁ……


 メールソフトを開いたはいいが、一文字も打てないままに拓実は考え込んでしまう。

 二班に亀裂が入っているのはわかっていたが、想像していた以上にその溝は深いようだ。それは一つのチームとして、余りに不健全じゃないだろうか。


――狩谷さんが戻ってきて、ダンジャンの方も落ち着いたら、少し動いてみるべきか……


 二班がこのままでいいなんて思えない。拓実からすれば狩谷は悪い人ではないし、後輩達もなかなかに見どころがある、お互いにそれを理解し、もっと和やかな関係を築いてほしい……

 だがその為のうまい方法というのはなかなか思い付かなかった。

 これもまた課題だなぁと、拓実は大きく息を吐いた。

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