第30話 自分で自分を信じられるよう

「「……っ、あーーーーもーーーー!」」

「っ⁈」


 突如二人分の雄叫びが上がり、拓実は思わず飛び退った。が、そこへ間髪容れず。


「だから言ったじゃん間違いねぇって!」

「あーー刺さったぁー! 堪んねぇー」

「ほんと意味わかんねぇよ、なんでこんな踊り方できんの⁉」

「これができる奴がどういう前フリかましてんだよ!」


 そう口々に言うのだが、

「え、いや……はぁ?」


 拓実には二人の反応の意味がわからなかった。そうしてただ瞬きを繰り返していると、冷静さを取り戻そうとしたのか、大きな溜息を吐き出した清史が言う。

「あー……悪い、取り乱した。お疲れタック。んじゃこっち来て」

「あ、あぁ……」

 拓実はわけもわからずに、言われるまま二人の元へと歩み寄った。それから促されて覗き込むのは、春親のスマホだ。その画面に再生されるのは、先程披露された清史のダンスである。


「っ、うわぁ……」

 拓実は思わず感嘆の声を漏らしていた。小さい画面の中で尚、清史のダンスは拓実の胸をこれでもかとノックするのだ。

 曲のビートを増幅させるように刻まれるステップや力強い手振り。恵まれた体格故、ダイナミックに踊れば野生のライオンのような迫力だが、しかしそれ一辺倒というわけでもない。彼のダンスはキレと抜きの塩梅が実に巧みで、表現は意外にも繊細だ。動きの一つ一つに拘りを持ち、入念に練習を重ねてきたのだとわかる。


「すごい……清史くんうまいなぁ。ブレイキンの人かと思ったけど、もしかしてなんでも踊れる……?」

 感性を刺激される余り、拓実は自らが凹んでいる事も一瞬忘れて問い掛ける。と、清史は満更でもなさそうに笑った。

「なんでもは言い過ぎだけど、でも俺ら、ジャンルに拘らねぇからな。いいと思ったモンはなんでも取り入れてやってきた。その分、割と色々踊れるな」

「へぇ、すごいなぁ……」

 拓実は心底感心するが、これに春親が突っ込んだ。

「って、何言ってんの。そういうやり方してたのはタックじゃん。あんたこそジャンルめっちゃくちゃだったんだから」

「だな。ヒップホップ、ロック、ポッピン……その辺はまだわかるけど、エイサーだのハカだのオタ芸だの、マジでなんでもありだった」

「え、あ、そうだっけ……?」


 その指摘に、拓実は当時を思い出す。確かに拓実は探究心のまま、あらゆるジャンルを見漁っていた。するとどんなジャンルにも絶対にかっこいいと思うポイントがあって、故にどれか一つを選んで極めるという事ができず、片っ端から吸収していた。その分引き出しが多かったのは確か……だが。

「でも、俺は清史くん程の完成度はなかったよ。色々手を出し過ぎた分、全部が中途半端だったし……」

「は? タックは完璧だよ。俺やキヨよりずっと上」

「そう。って事で、次タックの動画見ていくな」

 清史が画面をスライドさせると、拓実は現実に引き戻された。物凄く出来の良い清史のダンスの後に自分の動画を見るなんてやはり公開処刑であり、再び心が萎縮する。だって自分が「完璧」なんて、そんなはずがない。絶対に酷い出来に違いないと――……


 だが。


 いざ三十二カウントを見終わると、あれ、と思った。


 これは。

 なんというか。

 清史のダンスとは全く毛色が異なるが。

 これはこれで、なかなか……?


「その顔見ると、今一つわかってないって感じだね?」

 拓実の顔を覗き込んで、春親が言う。

「まぁ、昔からタックって謙遜する人だったけど……多分それって、タックの自分自身へのハードルが高過ぎるからだよね。そのせいで自分がどんだけ凄いかって事に気付けてない……って事で、解説してくね」

「へ? 解説?」

 とは一体何を――と思っている間に、春親が動画を冒頭まで戻し、「まずここ」と告げた。それは最初の四カウント、ポーズを取りながらのリズム取りのカットである。

「キヨはここ、膝と頭でリズム取ってた。それもめっちゃ渋いけど、でもタックは、同じリズム取りでも足首と手首使ったでしょ」

「あ……あぁごめん、カウント取るって事しか頭になくて、自分流にしちゃってた! そうか、本家から随分掛け離れちゃったな……」

 拓実は恐縮して言うのだが、春親は首を振った。

「いや、それでいいんだよ。俺らが言いたいのってそういう事だから」

「? そういう?」

 とはどういう事かと拓実が問うと、清史が説明を引き取った。


「要するにな、タックから出てくるアイディアが、俺らにとっちゃ至高って事なんだわ。俺はこの場面、一番いいと思う動きをチョイスした。けど、タックの選んだ動きは俺の選択を完全に超えてきた」

「ここだけじゃないよね、タックの選択って全部俺らを超えてくる。この後のステップだって……」


 それから清史と春親は動画を何度も繰り返して再生し、時に停止させ、時に自ら動きながら熱弁を振るった。如何に拓実のダンスに魅力があるのかと、具体的に、論理的に。何が彼らの感性を揺さぶるのかと、言葉を尽くし、これ以上なく情熱を込めて。


「ほら、ほらここ! 頭は上げて目線だけ下げるだろ、これがめっちゃ色っぽい!」

「わかる! で、ここは速い動きになんのに、次でもう抜きに入ってるのとか、あーあとそれから、この重心の掛け方とか……」

「あーそれも堪んねぇポイントだわ。この一瞬のポーズも指先まで隙がねぇし……って、挙げ出したらマジでキリねぇな」

 清史は軽く苦笑を漏らすと、画面を見詰めたままに言葉を続ける。

「とにかくあんたの動き一つ一つが、俺らにとっちゃ最高って話。ダンスから離れてる間に何があったか知らねぇけどさ、これができんのに自信持たねぇの馬鹿みてぇ。何気ない動き一つでも、あんたが踊るとこんだけかっこよくなんのに」

「そう、全部の瞬間にグッとくるポイントがあんの! 今の短いダンスでも、いいとこ語り尽くそうと思ったら一晩中掛かるくらい……ね、タック。ここまで言っても、俺らが思い出補正で褒めてるって思う? フィルター掛けてるだけだって?」


 そんな春親の問いに、拓実はどうにも答える事ができなかった。

 が、それは答えに迷ったからではない。こんなにも情熱的にダンスを絶賛されたのは現役時代を入れても初めてで、どう反応していいかわからなくなってしまったのだ。


 拓実が何も言えずにいると、春親がふっと笑って言葉を続ける。

「つか、西口公園の動画観た時に、タックのダンスはやっぱガチだって思ってたんだけどさ。もしあの動画がなくてもさ、あんたが今でも凄いだろって事はわかってたわ」

「へ? な、なんで……」

 拓実が辛うじて尋ねると、春親は自信たっぷりに。

「そりゃ決まってんじゃん。現役時代にあんだけ踊れてたって事は、それだけ必死こいて夢中んなって、人生捧げてダンスしてたって事でしょ。その蓄積がタックの中から消えるわけない。どんだけブランクがあったって、タックが最高って事は変わらないんだよ」

 その春親の言葉は、拓実の胸に確かな熱を伴って染み入った。その熱は血管を巡り、じわじわと全身へ伝播していく。


 今の自分にはもう、何もできないと思った。九年ものブランクの間に、自分の中からダンスの才はすっかり失われてしまったものと。そしてそれを取り戻すなんて、要領の悪い自分には不可能だと思ったのに。

 萎み切っていた心が、ゆっくりと膨らんでいく。春親と清史による情熱溢れる解説が、拓実に自信を取り戻させる。

 狩谷は、拓実には何もできないと言う。それもきっと真実だ。一通り仕事をこなせるようになった今でも、一挙一動に駄目出しがある。そんな不甲斐ない社員、拓実しかいないだろう。


 だが、ダンスだけは。

 ダンスにおいてだけは、胸を張ってもいいのかも。自分にはダンスがあると、思っていてもいいのかも……


「っ、あの……」

 拓実はおずおずと声を出した。が、そんな声を出している事も情けなく思えた。これ以上の醜態は晒すまいと、咳払いして背筋を伸ばす。そうして改めて春親と清史に向き合ってから、深々と、頭を下げる。

「二人ともありがとう。お陰でなんか……立て直せそうな気がしてきた。俺、仕事はろくにできないし、上司にもいつも迷惑掛けちゃっててさ。だからダンスもきっとできない、二人にも迷惑掛けるだけだって思ったけど……」

 いや、今もまだその思いは拓実の中から消えてはいない。百パーセントの自信を持つのは難しい。自分ではできると思って挑んだ事でも、狩谷には突っ込まれてばっかりなのだ。それなのに己を完全に信じるなんて。

 だが、自分の事は信じられずとも、春親と清史の言葉なら信じられた。だってあんなにも前のめりで、溢れて溢れて止まらないというように褒め尽くされたら、疑う方が無理がある。思い出による美化フィルターでも、きっとない。二人は今、リアルに感じた感動を言葉にしてくれたはず――そう、だから。


「俺、ダンスだけはできるって信じる事にする。他の何ができなくても、これだけはできるって。さっきは軽々しくやめたいなんて言ってごめん、改めて、キミらと一緒にやらせてほしい……って、まだ一緒にやらせてもらえるならだけど!」


 酷い醜態を曝してしまった自覚がある為、最後にそう付け加えると、春親と清史は互いに目を見合わせて。

 それからまず清史がハッと笑った。

「なんだそれ、当然だろ? まぁあんたが弱音吐くってのは意外だったし驚いたけどな。なんせ昔のあんたって、ポジティブの塊って感じだったから」

「うん、俺もびっくりしたけど、そんな事でタックと踊るのやめるとか有り得ねぇよ。だって、どんだけあんたに会いたかったと思ってんの? 俺から手放すわけないじゃんよ」

「――……っ」

 その瞬間、急激に視界が悪くなった。二人の顔がボヤけ出し――あ、まずい。拓実は慌てて顔を覆う。すると春親が不思議そうに。

「え、何どしたの? タック、なんで顔隠すの?」

「春親ぁ。そこはスルーしてやれって……」

 清史は生温い声で春親を嗜めた。どうやら彼にはまるっとお見通しのようだ。


 ああ全く、情けない事この上ない。今日は一体、どれだけ恥をかけばいいのだろう。

 だが、酷く情けなくて面倒臭くて無責任な事を言ったのに、見放すわけがないと当然のように言われたら……涙が出たって仕方がない。何しろこんなにも誰かに必要とされるのは本当に久々の事だったのだ。

 二人の想いは、拓実の背中を強く押した。こんなにも評価され、求められたら、応えたいという気持ちが大きくなる。彼らの憧れを裏切らないようなダンスがしたい、と。


――その為には、自分を信じられるようにならないと……


 そう、まずは自分のダンスに絶対の自信を持てるようにならなければ、話にならない。自分で自分が一番だと信じられるようにならなければ。そうでないと、フィールドでは戦えない。戦うだけの資格がない。

 そしてそれは、この先二ヶ月の自分次第だ。自信を持つ為の材料は、重ねた努力のみなのだから。

 だとすれば、泣いている暇はないと、拓実は目元を強く拭った。赤い目をした自分を直視するのは恥ずかしいが、それでもこの日、練習時間が終わるギリギリまで、拓実は鏡前に立ち続けた。

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