第29話 玉砕覚悟で

 どうしたら良いかわからずに、拓実は途方に暮れてしまった。気まずい沈黙が永遠のように、スタジオを満たし続ける。きっと二人は、呆れて言葉もないのだろう。特に髪型まで真似してきた春親は、憧れていた人間の醜態にどんな気持ちでいる事か……申し訳なさと居た堪れなさに苛まれ、拓実は俯いていたのだが。

「――あ。いい事閃いた」

 突如春親が沈黙を破った。そのなんとも場違いな、あっさりとした声音。拓実は思わず目を瞬く。

 だって今の話の後で、何故そんなにも軽い声が出せるのだろう。というか……〝いい事〟って?

 拓実には怪訝に眉根を寄せるが、さすが昔馴染みと言うべきか、清史にはその意図がしっかりと伝わっているようだった。

「あー、それ俺も同じ事考えてる」

「だよね、それしかないよね?」

「それしかない」

 そう言って二人は大きく頷き合う。拓実だけが置いてけぼりだ。わけがわからず、ただ二人を見守るしかできずにいると――やがて彼らはこちらを振り向き。


「あのなタック。わかってると思うけど、今からメンバー交代ってのはできねぇんだわ」

 清史が静かな声音でそう告げる。

「だからタックには、絶対に出てもらわねぇと困る」

「そう、でも俺らさ、タックに無理強いとかしたくねぇの。あんたが嫌がる事はさせたくねぇ……けど、踊るのが嫌ってわけじゃないんだよね? ただ自信がないってだけだよね? ならまずは、あんたに自信取り戻してもらうわ」


 すると二人は、詳しい説明もしないままに行動を開始した。「じゃ、俺が動画で」「俺が見本な」と役割分担をしたかと思うと、春親は鏡ギリギリに立ってスマホを構え、清史はその正面――フロアの中心に立つ。そして彼は拓実に向かって。

「んじゃタック。今から俺が踊る振り覚えてくれ」

「え……えっ?」

 急な指示に拓実は大いに困惑したが、清史は待ったなし、流しっぱなしになっていた曲に合わせ早くも動き始めてしまった。同時に鳴るピンという音は、春親が動画撮影を開始した音だろう。

 一体何が始まったのかと戸惑いつつ――拓実は言われた通り、その振りを目に焼き付けた。やれと言われたらとにかくやる、それは狩谷から徹底的に叩き込まれた事である。


 清史が踊る振りはヒップホップ調だった。特段難しい動きは含まれていないものの、それでも一度見ただけの動きを覚えるというのは至難の業。拓実は意識を集中させ、清史の動き必死に頭に刻み込む。

 そうして八×四カウント分踊り終えた清史は、拓実に向かって顎をしゃくり。

「んじゃ次、タックの番な」


――ああ、やっぱりそういう事か……!


 拓実は眉間に皺を刻んだ。覚えろと言われた時点でこうなる予感はしていたが、いざバトンを渡されると身が竦む。今の拓実は完全に、踊る事に及び腰だ。

 それに今の軽いダンスでも十分わかるが、清史もまたかなりの実力者だ。彼の得意とするのはブレイキンなのだろうが、立ち踊りもまた上手い。大胆でキレがあって、空間を広く使うようなアイディアもとても良い。

 その直後に同じ振りで踊るなんて、公開処刑もいいところだ。きっとこちらの粗が浮き彫りになるに違いない。自信を取り戻させると春親は言ったが、これでは逆効果になるとしか思えない。

 なんにせよ、やはり彼らの前で踊るのは気が重すぎる。故になかなか一歩が踏み出せずにいたのだが――……


 ぽん、と背中に手が振れた。


 びくりとして振り返ると、春親が瞳に弧を描き。

「あのさ、なんか色々考え込んでるみたいだけど、絶対悪い事にはなんねぇから」

「……っ」

「俺ら信じて、やってみて?」

 揺るぎない声で、そう促す。


 信じてと言いながら、春親の瞳にこそ拓実への強い信頼が宿っていた。あんなにもみっともない弱音をぶちまけた後だというのに、それでも少しも変わる事なく、彼は憧れと尊敬を持って拓実の事を見詰めている。

 そして振り返れば清史も、同様の視線で拓実の事を待っていた。そこには侮蔑も呆れもない。彼らは今でも、拓実の実力を心の底から信じているのだ。

 そんな視線を受け留めるのは、今の拓実には言い知れぬプレッシャーで――……だが同時、少しずつ、心身の強張りが解けていくのが感じられた。


 冷え切っていた指先に血が通い、腹の底からじんわりと温かくなってくるような。期待されても困るのに。重たいのに。それでも何故か、背中を押される。

 二人がなんの為に自分を踊らせようとしているのかはわからない。春親は悪い事にはならないと言ったが、踊ってみた結果、嗚呼やっぱり下手くそだったかと落胆されるだけかもしれない。が。


――でも……とりあえずやってみよう。


 拓実はそう決意した。だって二人の思惑がどうあれ――そして結果がどうあれ、彼らが拓実の為を思って動いてくれているのは確かである。それならば、やらなければ。散々醜態を曝して迷惑を掛けているのだから、せめてそれくらいはしなければ。

 拓実は腹の底に力を入れ、ようやく一歩を踏み出した。そのまま清史と入れ替わるようにフロアの中心まで進み出ると、春親がピンと動画を撮り始める。それにまた一瞬竦むが、大きく深呼吸して自らを落ち着けた。

 心臓はバクバクと鳴っているが、ともかく、やる。やらないと。


 そうしてついに、拓実は曲に合わせて踊り出した。記憶を懸命に辿りながら、清史の踊った振りの再現を試みて――……だが、やはり振りはうろ覚えだ。一度見ただけで完璧に覚えるのは本当に難しいのだ。大まかになぞる事はできても、細かいところはどうしても自分流に落とし込まれてしまう。

――嗚呼駄目だ、こんなんじゃやっぱり、二人をがっかりさせちゃうって……

 そう思いつつ踊り切り、録画停止のポコンという音を聞く――や、否や。

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