第28話 自信の喪失
正直なところ、拓実は現状の自分のダンスに自信はないが、しかしそれなりの働きはできるだろうと思っていた。だって腐っても元絶対王者。そこまで見劣りする事はないだろうと。
そして昔の拓実なら、誰かが素晴らしいダンスをすれば、その分闘志を燃やしたものだ。自分も同じようにいいダンスをしてやろう、相手の事を感動させてやるのだと奮い立つ。
だが今、そのエンジンが全くと言っていい程に掛からなかった。むしろ血管の中を冷たい水が通っていくような、嫌な感じ。自分でも信じられないが、春親のダンスに圧倒され、すっかり萎縮してしまったらしい。
――もしかして、これもブランクの弊害か?
身体が固まっていたのと同じように、心までもが強張っている。あの頃の万能感が、酷く遠い。だって今の自分なんかが、このレベルに太刀打ちなんて……と、考えていると。
――お前って本当に何もできねぇな。
呆れと侮蔑の入り混じる声が、ふっと耳元に蘇った。それは狩谷の声である。入社以来幾度となく繰り返された言葉が、拓実の鼓膜に反響する。
――お前は要領が悪いんだよ。鈍臭いし、考えが足りねぇ。自分ではできてるつもりかもしれねぇけど、実際は抜けだらけ……あのな、やる気だけあったって仕方ねぇんだよ。ったくお前みたいな使えねぇのが居ると、周りが迷惑被るんだ。
狩谷は事ある毎に、そんな説教を繰り返した。お前にはできない。だから何もするな。俺の指示無く勝手に動くな……厳しい言葉の数々が、拓実の頭には強く刻み込まれている。
そしてそれらは、事ある毎に耳元に蘇った。何かに挑戦する時、決断する時。ここぞという場面で蘇っては、自信を根こそぎ奪い去る。
だがまさかその現象が、ダンスでまで起こるとは。拓実は大いに驚かされる。だってあんなにも得意だったものなのに……いや、ブランクが長過ぎたのか。それにダンスシーンも驚く程に進歩している。それだけで、自信を失うには十分過ぎる。
嗚呼そうだ、そうじゃないか。
自分は九年目にもなって、上司に認めてもらえないような駄目社員だ。
そんな人間が、何をはしゃいでいたのだろう。
今更大会で活躍なんてできるはずがない。春親だって清史だって、今の自分を改めて見たらガッカリするに決まってる……
マイナス思考が膨らむと、拓実は完全に竦んでしまった。まるで極寒の地に裸で放り出されたような心細さに見舞われる。
――砂川、お前には何もできねぇよ。
そこへ再びの、狩谷の声。
――いいか、お前はもっと自分の駄目さを自覚しろ。自信なんか持つんじゃねぇ、いつも自分を疑っとけ!
「――っ」
そんな言葉が蘇ると、一気に世界の彩度が落ちた。
そう、全て狩谷の言う通りだ。自分なんかにはきっとできない。こんなにもハイレベルなダンサーとチームだなんて、烏滸がましいにも程がある……
「……ん? タック、どした?」
拓実の様子がおかしい事に気付いたのか、春親が踊るのを止め尋ねてきた。
「ってかあんた、すげぇ顔色悪ぃじゃねぇか!」
清史も拓実の顔を覗き込み、驚きの声を上げる。
「もしかして、さっきの筋トレ飛ばし過ぎたか? 悪い、俺が配分間違ったわ」
「ち、違う違う! そうじゃない!」
拓実は慌てて否定する、が、気持ちを立て直す事はできなかった。引き攣ったような笑顔を浮かべ、小さく告げる。
「ただ、俺やっぱり無理かもって……」
「は? 無理って?」
「キミらと、一緒に踊るのが……」
「――っ、はぁぁ⁉」
素っ頓狂な声を出す若者達に、拓実は「や、だってな⁈」と畳み掛けた。
「こんな事言うの今更だってわかってるけど、絶対王者なんて大昔の話なんだ! それに今の春親くんのダンス見てわかった、やっぱり今の子たちのダンスレベルには全然太刀打ちできないって……」
「や、何言ってんだよ。そんな事――」
「そんな事あるんだよ!」
拓実は清史の声を遮った。こんな弱音を吐き出して、みっともないのはわかっている。若者達を困らせている事についても、申し訳なく感じている。
だが、今の拓実はパニックに近い状態だった。
これまでずっと、ダンスは自分を輝かせてくれるものだと信じてきた。長らくまともに踊る事はなかったが、それでも自分にはダンスがあると、いざ踊ったら自分はすごいと信じていた。どんなに仕事でキツイ事を言われようと頑張れたのは、その自負が心を支えていたからだ。
だが今、それがガラガラと崩れ落ちる。
足元に真っ暗な穴が空いたような気分のまま、拓実は尚も言い募る。
「あのな、今の俺は駄目なんだよ。要領も悪いし鈍臭い、そんな奴がブランクを取り戻せるとは思えない。チームにいたらお荷物になるに決まってる……だって俺、上司にもいつも使えないって、何もできない奴だってドヤされて……ぅわっ」
と、言葉が驚愕に飲まれたのは、ガッと肩を掴まれたからだ。その無遠慮な手は春親のものである。彼は至近距離で拓実の目を見据えると。
「誰?」
「へ――」
「誰がタックにそんな事言った?」
そう尋ねる顔は、あたかも能面のようだった。眉間に皺を寄せたり口元を歪ませているわけでもないが、相当な怒りが見て取れる。
これに拓実は慄いた。割と無邪気な印象だった春親が、こんなにも静かで苛烈な怒りを見せるとは。驚きに凍り付き、咄嗟に何も言えずにいると――
「ぁだっ!」
突如春親が悲鳴を上げた。彼の脳天に、清史の強烈なチョップが落とされたのだ。
「おいキレんなキレんな。お前がキレるとめんどくせぇから」
「~~っ、だってさぁ!」
痛みで我に返ったのか、春親はいつもの調子に戻り、清史を振り返った。
「タックに暴言吐くとか許せねぇじゃん! マジその上司センスねぇ、俺が会って話――」
「って、ボコすのは話って言わねぇからな。いいからちっと頭冷やせ」
清史はそう言って春親を拓実から引き剥がす。これに拓実はホッとしたが、しかし清史はこの話を終わらせはしなかった。今度は彼が眼前に立ち、不審気な目で見下ろしてくる。
「けどタックの言ってる事も滅茶苦茶だな。俺はあんたの仕事ぶりを知らねぇからそこはなんとも言えねぇけど、ダンスは別の話だろ。なんで仕事ができねぇのがダンスもできねぇに繋がるんだよ? さっきも言ったけど、公園で踊ってた動画見りゃあんたが今でもすごいってのは十分わかる」
その言葉に春親もこくこく頷く。
だが今の拓実には、どうしても素直には受け取れない。
「それは、あの動画は短時間だったからだよ。夜だし暗かったから、粗も目立たなかっただろうし……何よりキミらは俺に対して、思い出補正っていうか、かなりのフィルターを掛けてるはずだ! でも実際、俺は大した事ないんだよ。今からでもなんとか他のメンバーを探した方が……」
と、そこまで言ってハッとした。
さすがにこれは酷すぎると気付いたのだ。
だって、もうエントリーは締め切られている。メンバー変更なんてできるわけがない。それなのにこんな事を言い出したってどうしようもないじゃないか。
「っ、ごめん、そうじゃなくて――」
拓実は謝罪を口にするが、しかしその先が続かない。自分が有り得ない事をしているのはわかるのに、前が向けない。自信がない。自分でも吃驚する、こんなにも怖じ気付いてしまうなんて。
だが社会人になってから、自分が如何に無能であるのか嫌と言う程刷り込まれた。何をやっても片っ端から駄目出しされ、呆れられ、これ見よがしに溜息を吐かれ……そんな記憶ばかりが溢れ返るせいで、今の自分に何かが成せると思えない。
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