第25話 いざ、初めてのスタジオ練へ




「あ、ぁだぁぁっ! 待って痛い痛い痛い、ごめんちょっと俺ギブかも⁉」

 一面が鏡張りとなったスタジオの中、拓実の悲痛な叫びが響く。現在拓実は限界まで開脚させられた上、清史に背中をぐいぐい押されているのだ。

「あぁ? こんなんまだまだ序の口だろうが。つかタック、いくらなんでも硬過ぎだわ! 可動域広げとかねぇと思うように動けねぇぞ!」

「そ、そりゃそうだけど、でも痛いってぇぇ!」

 拓実は尚も叫ぶのだが、清史は聞いてはくれなかった。まだ春親は到着していない為、助け船もない。長いブランクでカチコチになった拓実の身体を、清史はこれでもかと伸ばしていく。


 ドレッド頭の鬼コーチに扱かれるのは荒行と呼ぶに相応しかったが、しかし清史の力加減は絶妙で、身体を痛めさせるような事は決してしなかった。どうやら彼はストレッチのサポートにとても慣れているらしい。

「俺ンとこは下の兄弟が多いからな、その所為で昔通ってたダンススクールでも世話係任される事が多かったんだよ。ストレッチ適当にやる奴も多いし、そういう奴らを捕まえて指導すんのが俺の役目だったんだわ」

「な、成程……」


 一通りのストレッチが完了した後そう説明され、リノリウムの床に倒れ込みながら拓実は応じた。えらい目に遭ったとは思うが、確かに全身が解れている。劣化し錆び付いていた筋肉に、上質なオイルがさされた感じとでも言うのだろうか。今はまだダメージの余韻があるものの、それが引いたら随分と楽に動けそうな気がする――が。

「さて、そんじゃ次は筋トレだな。タック、起きろ」

「えっ、もう⁉」

 拓実は素っ頓狂な声を出した。

「いや、もうちょっと待ってくれない⁉ さすがに俺、まだ今のストレッチが効き過ぎてて……」

「いーや、時間が勿体ねぇ。言っとくけどな、俺はタックに憧れてるけど、甘くはしねぇよ。身体作りについては容赦なくやらせてもらう。ほら、わかったらさっさと立つ!」

 追い立てるように手をパンパンと叩かれて拓実は渋々立ち上がったが、まだ色々なところが痛かった。チームに入ると決めた時に厳しい鍛錬を覚悟したが、実際に体験してみると想像以上に過酷である。

「おーしじゃぁ腹筋から! 行くぞ!」

 清史はそう言うと、テンポの速いラップ曲を流し始めた。それに合わせて清史は軽々腹筋するが、拓実はうまく付いて行けない。現役時代だったら難なくこなせていただろうに、今の拓実はどうしてもテンポから遅れてしまう。


 そうして拓実は思い出した。

 ダンスというのは、決して楽しいだけではないという事を。

 テレビでダンサー達を見ると、皆軽々と一曲、もしくは数曲分を踊ってみせる。ことアイドルになると、彼ら彼女らはにこにこと笑いながらパフォーマンスを披露する。

 それ故に、ダンスは華やかなイメージになりやすいが、実際にやってみると、滅茶苦茶にキツイのである。日常生活では有り得ないような動きを取り入れた全身運動を数分継続するのだから。

 そしてそれを可能にする為には、こういった鍛錬が欠かせない。実際拓実も現役時代は、物凄い量の筋トレをこなしていたのだ。

「ほらタック、踏ん張れ! 遅れてんぞ!」

 清史はそう発破を掛ける。踊れる身体を取り戻す為、拓実も必死で食らい付く。が。


――初日からこれって厳し過ぎないか⁉


 スパルタなのは覚悟していたが、今の拓実は運動不足の三十一歳。いきなりこれはキツ過ぎる。もう少しこちらの状態を考慮してくれてもいいものを……思わず胸の内、そんな抗議さえ浮かんで来たが。


 しかし拓実はこのスパルタ指導に対し、少しばかり喜んでもいるのだった。

 別にMだとかいうわけじゃないのだが、ずっと年上の自分に対し、清史がフラットに接してくれるという点はとても嬉しかったのだ。

 若者達とチームを組むに当たり、拓実は彼らに気を遣われるのではないかと懸念していた。一回り近くも歳が違う者同士では、壁があるのが当然だ。だがチームメイトとの間に壁があるのはちょっと辛い。できればフランクに接してもらいたいが、その為にはどうするか……そう考えていた拓実なのだが、どうやら杞憂だったようだ。

 まぁ思い返せば清史は早々に敬語もやめていたのだが、こうして指導するのにも遠慮がない。年齢も憧れも関係なく、対等に相手をしてくれる。それが拓実には嬉しく、そして何処か懐かしい気持ちになった。


――昔のダンス仲間達とも、こんな感じだったっけ……


 お互いダンサーだとわかると、それだけで打ち解けて。年齢も性別も経歴も関係なく、ハイタッチ一つで連帯感が生まれてくる。そうして一緒に踊ってしまえば、忽ち仲間になれるのだ。本名すら知らない奴も多かったが、それでも確かに通じ合う。ダンスを通せば繋がれたのだ。


「さて……まぁこんなもんか」

 清史は顎下に溜まった汗をTシャツの袖で拭いながら言う。彼は面倒見の良い性格のようで、最後まで拓実の鍛錬に全力で付き合ってくれていた。筋トレが終わった後はアイソレーション――肩、首、胸等、身体の部位をそれぞれ動かす、ダンスを行う上で欠かせないトレーニング――まで、自らも一緒に動きながら。

「だぁー疲れた……けど、ありがとう、自分の練習時間削ってまで付き合ってくれて……滅茶苦茶しんどかったけど、これ続ければ、二カ月で随分仕上がりそうだ……!」

 拓実は早くも息切れしつつ礼を言った。些かハード過ぎるとは思ったが、清史も汗を掻いているのを見てしまえば、文句は出ない。むしろここまで丁寧に見てくれた事が有難く感じてくる。

 と、彼は軽い動作でかぶりを振った。

「別に礼を言われるような事じゃねぇよ。チームに誘った側としちゃ、半端な身体作りで怪我させるわけにいかねぇし。それに本番、タックには完璧に踊って欲しいからな。その為にはきっちり準備してかねぇと」

「あ、そうか……鈍った身体で決勝出たら、ジャッジにも響いちゃうもんな」

 拓実はそこで、自らの責任の重さを思い出した。


 チームに入ると決めた時にはチームの足を引っ張るまいと考えていたはずなのに、今日はもう思い切りダンスができるという喜びで頭がいっぱいになっていた。もっと気を引き締めて、自らを高めなければいけないのに……と、しかし清史はきょとんとした顔をして。

「ジャッジ? そこは別に心配ねぇけど」

「え? なんで?」

 拓実もまたきょとんとする。だって拓実が生温いダンスをすれば、彼らの優勝が危うくなる可能性だってあるのに……そう言うも、清史はあっさり首を横に振った。

「何言ってんだよ。この前の動画見りゃわかる、あんたが現状でも十分過ぎる程踊れるってな。俺が言いてぇのは、あんたが大会でバトルするトコ見れんのなんてきっとコレ限りだろ。だったら今できる最大限を引き出してぇって事。まぁつまり、あんたを鍛えんのは俺のエゴだな。だからむしろ、付き合ってもらってんのはこっちの方」

 そうさっぱりと言ってのける。これに拓実は「いや、えぇ、全然……」と答えながらも、えらく感心してしまった。

 今の台詞の中、清史は拓実のテンションを上げさせるような言葉をさらりと交え――勿論お世辞なのは承知だが――、更には鍛錬に付き合う事も気遣わせないようにした。見た目はワイルドで粗野にすら見える若者だが、なんと繊細に相手の心を汲むのだろう。


「なんか、あれだな……キミってずっと年下のはずなのに、兄貴みたいだ。人間が出来てるっていうか……男にモテる男っていうか」

「馬鹿野郎、女にもモテるっつの」

 清史は心外そうに突っ込んだ。

「つか、男にモテるってんならタックこそだろ。俺もそうだけど、あんたに憧れてる奴はマジで大勢いたわけだし。春親の入れ込みようなんか異常だぞ」

「あ、あー……」

 拓実はなんとも言えない思いで頬を掻く。

 確かに春親という若者は“タック”に対しかなりの情熱を抱いているようだった。熱烈にハグをされたり、「あんた以外の選択肢はない」なんて告白まがいな事を言われたり……極めつけは、少し褒めたら白目を剥いて倒れ込んだ事だ。

 あれにはさすがに度肝を抜かれた。現役時代、多くのダンサーから憧れだと言ってもらう事があったが、春親の熱意はレベルが違う。

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