第16話 緊急事態

「砂川戻りました――って、あれ? 狩谷さんまだ配達中?」

 拓実は向かいの席の野島のじまという女子社員に問い掛ける。二班のデスク群の最奥、狩谷の席が空席となっていた為だ。


「あ、はい、そうみたいです。まだ戻られてないので……って、そう言えばいつもより遅いですね」

「だよなぁ。狩谷さん、俺より近場のルート回ってたのに……どうしたんだろ?」

「どこかでパチンコでも打ってんじゃないッスかぁ?」


 隣の席の沢田が言うと、すかさず野島が「いや、あんたじゃないから」と突っ込んだ。これに沢田が「えぇ、俺パチはもう卒業してるッスよぉ!」と弁明し、他の班員達が笑う。狩谷がいない時の後輩達は随分と和やかだ。


「まぁ狩谷さんに限ってパチンコは絶対ないとして……それにしても遅いなぁ」

 拓実は時計を見ながらそう呟く。いつもなら狩谷は二十分前には戻っているのだ。それがこうも遅くなるとは、渋滞にでも巻き込まれたか? はたまた営業に熱を入れる余り、何処かのお客さんに事細かに商品説明をしていたりするのだろうか。


 なんにせよ、配達完了の報告はしておいた方がいいだろう。拓実は仕事用の携帯端末から狩谷へ向けてメッセージを送信した。が、それもなかなか既読にならない。スマホが見られない状況となると、渋滞ではなく営業の真っ最中という事か。さすが狩谷、一班に勝つ為に本当に熱心だな、と感心したが。


 そんな考えは現状に対し、余りにも暢気であった。


 それから十分程経った頃、フロアの奥で代表電話が鳴り響く。それに応対したベテランの女性社員が、「えっ⁈」という素っ頓狂な声を出す。それから支店長室に駆け込んで行くと、そこからも支店長の「えっ⁈」という声が漏れてくる。

 この只ならぬ気配に、フロアは俄かにざわつき出した。当然二班も例外ではなく、皆仕事の手を止め顔を見合わせ、なんだろうかと囁き合う。


 と、暫くして電話を受けたベテラン社員が支店長室から戻って来た。そしてそのまま、拓実の方へと小走りにやって来る。


――え、なんだ? なんでこの流れで俺のところに⁉


 そう訝りつつも席を立ってその社員を迎えると、相手は神妙な顔で告げてきた。

「砂川くん、落ち着いて聞いてちょうだい。今、連絡があったんだけど――……狩谷さん、救急車で運ばれたんですって」

「えっ⁈」


 フロアに響く三度目の「えっ⁈」である。その声の大きさに何人かの社員がビクッと肩を跳ねさせるが、気に掛ける余裕なんて無かった。他の班員達も大きく目を見開いている。無理もない。だって救急車って――……途端に悪い想像が湧き上がり、心臓がバクバクと音を立てる。

 が、そんな拓実の様子を見て、ベテラン社員は慌てた様子で言い添えた。

「あぁ待って待って、そんなに蒼白にならないで! 狩谷さんちゃんと生きてるから!」

「あ――あ、そうですか!」


 それに二班の面々は大きく息を吐き出した。思わず最悪の想像をしてしまったが、とりあえずそれは杞憂らしい。

「でも、救急車って……何事ですか?」

「私もまだ詳しい事は聞けてないのよ。配達中に怪我したって事らしいけど……救急車を呼ぶって事は只事じゃないわよね。これからまた続報来ると思うけど、ともかく狩谷さんが戻るまでは砂川くんに二班を任せるって支店長からのお達しよ。動揺してると思うけど、頑張って!」

「っ、わかりました!」


 拓実はそう答えたのだが、到底落ち着く事はできなかった。狩谷の怪我とは一体何が原因で、どの程度のものなのか。それはすぐに治るのか、今後に影響は出ないのか……意識はずっと散漫だ。普段は狩谷を煙たがっている後輩達もさすがに空気が沈んでいる。

 そうして胃の辺りがふわふわとするような、心許ない時間が過ぎて行ったのだが――夕方になり、ようやく狩谷から電話があった。

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