第2話 これだから若い奴は!

 拓実の勤め先は一都三県に展開する、事務用品を扱い自ら配送する通販会社だ。注文があれば当日もしくは翌日には配達するという迅速さが売りである。

 拓実が配属されているのは、池袋駅から徒歩十五分の豊島区支店。平屋の事務所とちょっとした倉庫があり、駐車場には数台の配送車が並んでいる。


 さて、支店に到着するとまずはロッカールームで作業着を羽織る。ついでにロッカーの扉裏の鏡を見て、改めて身嗜みを整えるのだが。


――うわ、酷い顔だ……


 拓実は自らの顔に驚いた。朝に顔を洗った時にはまだ寝ぼけ眼だった為に気付かなかったが、今見ると、拓実の顔は随分とくたびれていた。顔色は悪く、なんだか頬もげっそりしている。それに胃痛が続くせいで、悲壮感まで漂っているような。


――これは……結構やばいかも……?


 ぺたぺたと頬を触りつつ考えるが、しかしそれを振り払うよう、強引にニッと笑顔を作った。なんにせよ、出社した以上は疲れた顔なんてしていてはいけないのだ。入社して間もない頃、拓実はそう叩き込まれた。どんなに疲れている時でも、暗い顔で出社するなと。


 そうだ、精一杯明るくいかねば。拓実はそう気合を入れると、笑顔のままで事務所に入った。胃痛の事を意識から追いやって、「おはようございます!」と元気よく同僚達と挨拶を交わす。そうして明るく振舞っていれば、次第に気分も上がっていく。

 うん、いける、大丈夫。この調子なら今日も一日乗り切れる……拓実は自らにそう信じ込ませながら、フロア奥の自席へと向かったのだが。


「あっ砂川すなかわさん! 待ってました待ってましたー!」

「っ!」

 そんな賑やかな声と共に前方から駆け寄ってくる者があり、拓実の笑顔は瞬時に崩れた。

沢田さわだ……朝からどうした……?」

 拓実は警戒心をあらわに問い掛ける。それというのも今年で三年目になるこの沢田という後輩が、何かというと面倒な頼み事をしてくる為だ。

 特に「待ってました」が繰り返される時は、その確率がとても高い。きっとまた何か押し付けられるに違いない……と、その予想通り、彼は挨拶もそこそこに。

「いや、実はまた有給が取りたくて! 砂川さんから申請通してもらえないかなーって」


――ああ、やっぱりか……っ!


 折角上がっていた気分が見事なまでに急降下する。拓実は皺の寄った眉間を押さえながら溜息を吐く。

「あのなぁ、何度も言ってるけど……有給取るのに俺をワンクッションにする必要はないんだって。というか俺を通す分回りくどいし、狩谷かりやさんが出社したら直接言えばいいだろう」

 拓実はそう諭すのだが、沢田は納得しなかった。日焼けした顔を不満気に顰めて言い返す。


「俺も毎回言ってるじゃないっスか。直で狩谷さんに有給申請なんかしたら、『そんな簡単に休むなんて仕事を舐めてる!』とかなんとか、一生分嫌味言われて大変だって! だから砂川さんから話通してもらうのが一番スムーズに行くんですよぉ」

「って、それだと俺が狩谷さんの不機嫌を食らう事になるんだぞ⁉」

「それは申し訳ないと思ってます! けどぉ、俺マジで嫌なんスよ、狩谷さんの暑苦しい説教聞くの! あの人の言う事っていちいち時代錯誤だし、細かいし、しつこいし……つか砂川さんはよくついて行けますよね? 毎日残業させられて、飲みにだって付き合わされて。嫌になったりしないんスか?」


 沢田は遠慮のない口振りでそう言うので、拓実は「こら、しーっ!」と声のトーンを下げさせた。何しろここはフロアのど真ん中である。周りにこんな会話を聞かれてはよろしくない。


「全くお前なぁ。もういい大人なんだからもっと発言に気を付けないと……というか、俺が嫌になるわけないだろう、残業も飲みも俺が好きでやってる事なんだから! 狩谷さんは優秀だし、一緒にいると学べる事も多いんだ。だから沢田も――」

 必要以上に敬遠せず、と続ける前に、沢田は大きく首を振った。

「いやー俺には無理っスわ! 俺はあの人の望むような働き方なんてやりたくねぇし、楽しくも無い飲みに連れ回されるのも辛いっスよ。や、ほんと砂川さんはすごいっス、あの説教と俺語りの狩谷飲みに付き合えるなんて……っと」

 そこで沢田は口を噤んだ。半ばまでブラインドの上げられた窓の向こう、件の狩谷が出勤してくるのが見えたからだ。沢田は「あー来た来た」と心底うんざりした顔をして。


「まぁなんにせよ、有給の件お願いします! 今度昼飯奢りますから!」

 と、話を強引にまとめようとするのだが、拓実は首を横に振った。

「いや、嫌だ」

「なぁんで! 頼みますよぉ!」

「嫌だって! たまには自分で言いなさい!」


 そうなんとか粘ってみるのだが、沢田の粘りの方が何倍も強かった。お願いお願いと余りにしつこく纏わりつかれ、その様子に周囲からもクスクスという笑いが起きると、

「あーもう! わかった!」

 ついに拓実は根負けした。これに沢田はありもしない野球帽を脱ぐ仕草と共に「あざーっす!」と頭を下げる。

「さすが砂川さん、頼りになります!」

 そう言って意気揚々自分のデスクへと戻っていくが、そのハッピーオーラ全開の後ろ姿とは対照的に、拓実の気分はどんよりと重くなった。なんだってこうも面倒事を引き受けてしまうのか。自らのお人好し加減を呪いたくなってくるが――しかし班の平和を考えれば、これが一番良かったという気もしてきた。

 何しろ先程の沢田の言い様からわかるように、拓実達の上司である狩谷と班員との関係は、物凄く冷え込んでいる為だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る