Snatch!ーアラサー社畜、ダンスバトルにて青春取り戻しに行きますー

平加多 璃

プロローグ

第1話 勤め人、胃痛くらいじゃ動じない

 AM6時。

 スマホのアラームが大音量で鳴り響き、拓実たくみは泥のような眠りの中からぷかりと意識を浮上させる。

 アラームを止めてもぼんやりとした頭は眠気を引き摺り、許されるなら再び目を閉じてしまいたい、夢の続きを見に行きたい……が、そうもいかない。遅刻厳禁という強烈なプレッシャーによりシングルベッドを這い出すと、そのまま真っ直ぐ洗面所へ。冷水で顔を洗い、二度寝への未練を断ち切ってやる。


 そうして頭をしゃっきりさせれば、後は勝ったも同然だ。あっという間にトーストとベーコンエッグとサラダを用意し、牛乳で流し込むようにして平らげる。あまりオシャレをする方じゃないが、それでも社会人として恥ずかしくないレベルには身支度を整えて、七時十五分に家を出る。九時の始業には少し早いが、朝の電車はトラブルも多い。多少遅延があっても挽回できるよう、余裕をもっての出発だ。


 と、こうして早くに家を出るのも、埼玉のマンションから会社のある池袋まで一時間近く満員電車に揺られるのも、決して楽な事ではない。少なくとも好んでやるような人間は誰もいないだろうが、拓実はすっかり慣れてしまった。

 朝とはこういうものなのだと受け入れ切っているというか。最早全てがルーティーンというか。ギュウギュウの電車内、上半身と下半身が逆方向へ押されて引きちぎれそうになるのも日常の一部というか。

 そう、社会人生活九年目ともなれば、少しの事では動じなくなる。学生時代とは違い甘えた事が言えなくなる分、神経が図太くなるのだ。


 だから仕事に向かう事にも、なんの嫌気も感じない。むしろ拓実は仕事に対して前向きだ。今日も一日頑張るぞと、清々しい気概で満ちている。そして自らの所属する班の業績貢献しようと意気込むが――そこで。


――あ、痛てて……


 間もなく池袋に到着するという車内アナウンスが流れたところ、拓実は腹の辺りに手を当てた。不意に胃が、しくしくという痛みを訴えたのだ。


――くそ、今日もか……


 拓実は忌々しさに顔を顰める。この“しくしく”、最近頻繁に襲ってくるのだ。それも会社に近付くタイミングに高確率で、である。まるで出社する事に対し、身体が何か訴えているかのように……って、いやいや。


 拓実は大勢の降車客と共に電車を降りつつ、痛みから意識を逸らした。

 このくらい、別に大した事じゃない。仕事ができない程の痛みじゃないのだ。ならば、もし身体が何かを訴えていたとして、相手になんてしてられない。勤め人は暇じゃないのだ。

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