第5話 樹海を駆ける
カラバに日が昇り始める頃、カノンとイオは村の入口で出発の準備をしている。
入れ替わって一夜明けるとお互いの体の特徴を痛感するもので、カノンは瞼をこすってまだ付きまとう眠気と闘い、イオは目覚めが良かったので既に体をほぐし始めている。
「寝た気がしない……」
「こんな朝早くに起きればそうなりますよ、わたしの体早起き苦手ですから」
「そういうイオは元気そうだね」
「カノンさんの体、動きやすくて楽しいです」
「そりゃよかった」
カノンはイオに縛ってもらった三つ編みを揺らしながら、笑顔のイオを見てまた一つあくびをした。
気を抜けばその場で眠ってしまいそうだし、思考も冴えない。
(不便な体質だな)
「こうして見ると三つ編み似合いますね」
「え、うん。重心がズレるから慣れるまで大変だけど」
「切ってもいいんですよ」
「イオのだから、あんまりそういうのはしたくない」
きっぱりと言われて、イオはなんだか嬉しい気持ちになる。
「そうですか。でもそれ、切るの面倒で伸びただけなのでいざとなったら遠慮なくやっちゃってください」
「お、おう」
「そういえば、カノンさん荷物はそれだけですか?」
イオが元々持ってきたザックに対し、カノンは腰に巻いた革のポーチ二つと厚手の毛布一枚という軽装でここにいる。
「そのポーチ何が入ってるんです?」
「薬草とか樹海歩きに必要な物が最低限だな。あとは現地調達」
カノンはポーチの中身を見せた後で腰のナイフをゆっくりと引き抜いてみるが、持ち具合に違和感があるらしくその場で振るってみせた。
「体に馴染むまでちゃんと使えないか」
「そんな大きい刃物持ったことないので……」
「もう発つのか」
二人が振り返ると長老が入り口に打ち付けられた杭に背中を預けていた。
朝日が目に染みるらしく細い目でこちらを見ている。
「はい、日が落ちるまでに樹海を抜ける算段でいます」
「獣に気を付けてな、まぁカノンがいれば安心じゃろうて」
「へへ、確かにあたしがいれば大丈夫だな!」
「「……あ」」
とっさのことでカノンもイオも素で話してしまっていることに気づくがもう遅い。
しかし、長老は慌てることなくその場を制した。
「心配せんでよい、なんとなく分かっておったからの」
「なんだよ、せっかく演技頑張ったのに」
「ほほ、他の者は騙せてもこのワシを騙すにはちと足りなかったの」
朝から損した気分になるカノンを見て長老は笑った。
「イオさん、でよいのかな?」
「はい」
「昨日も言ったがこの子は少しズレとる。それに外をよく知らんから支えてやっておくれ」
「もちろんです!」
「あたしズレてんの?」
「えっと、同世代にしては野性的過ぎるかと」
「そうなんだ……」
ショックを受けているカノンの肩をイオは優しく撫でた。
細い自分の体は今のイオから見ると弱々しく「守ってあげたい」という気持ちが溢れてくる。
「そろそろ行かないと、カノンさん荷物お願いしますね」
「おう」
カノンはザックを背負いイオの背中におぶさった。
今回はまだ足の怪我の残るカノンを背負い、イオが樹海を駆けるという作戦でいくことになっている。
「んじゃ、行ってくる! 魔宝も取り返してくるから!」
「お世話になりました!」
「気を付けての。ついでにワシの分もあの怪盗にかましてこい!」
上り続ける朝日に顔をしかめながら、長老は樹海に挑まんとする二人を見送った。
周りの木々が深く茂ってくると樹海の奥地に足を踏み入れた証拠であり、足場も悪くなってくる。
イオはカノンの指示に身を任せ、足下を見ながら進んでいく。
「石と木の根っこだらけですね」
「人の手なんか入ってないからな、疲れた?」
「いえ、全然。やっぱりカノンさんの体って凄いです」
「別に普通だけど……ぶぁ!」
「だ、大丈夫ですか!?」
「木の枝が当たった……」
イオは気づかなかったがカノンのいた位置にだけ枝が伸びていたらしく、それが連続して当たっていた。
樹海の樹海は木が好き放題に枝葉を伸ばすせいで特に頭上に注意しなければならない場所でもあった。
「す、すみません。私の不注意で」
「いや、あたしも避けられると思ったんだけどさ、体が動かなくて」
「感覚のズレですかね」
「そうだな。樹海(ここ)抜けたらいろいろと試さないと」
「そうですね。ん?」
イオの耳に何かが駆けるような音が届いた。
距離も近くはないが遠くもないぐらいの間隔だろうか、そこまで把握できる。
「カノンさん、何かが走ってる音が聞こえるんですが」
「あたしは聞こえないけど? イオの体って耳はいいほう?」
「普通くらいですかね」
カノンは耳に手を添えて周りの音を聞いてみるが、風や自分たちが出す音を拾うばかりで、イオの言うような音は聞き取れなかった。
「やっぱ聞こえないけど、あたしの体が聞きとれてるから間違いじゃなさそうだな。ちょっと木に沿ってゆっくり歩いてみて」
「了解です!」
イオは先ほどよりもペースを落としつつ木に身を隠すように進む。
やがて音はだんだん近づき、カノンにも音が聞こえるようになる。一方でイオの目には見覚えのあるシルエットが映る。
忘れもしない昨日の脅威、それは一匹のモリオオカミだったが、昨日の個体よりも一回り大きく、二人の身長を軽く追い越していた。
「あ、大きいオオカミが見えます」
「見えねー。イオって目もあんまり良くないのか」
「眼鏡要らないくらいなので普通です!」
カノンはイオが指さす方向を見つめてみたものの、ぼんやりと何かが動いているだけで全体を把握することはできない。
「カノンさんの五感が鋭いだけですって」
「しっ、声が大きい」
「あ……」
オオカミの方を向き直ってみると、こちらに気づいたのか動きを止め、二人が咄嗟に隠れた大木を見つめていた。
「ごめんなさい」
「いや、謝らなくていい。それより、今オオカミはどんな感じ?」
「立ち止まってこちらを見てます」
「ならまだ獲物かどうか見極めてる最中だ、静かにしてて」
「は、はい」
カノンの言うとおり、オオカミは不確定な相手の品定めをしているらしく動きがなく、イオたちも木の陰でそっと聞き耳を立てて様子を窺うことしかできなかった。
「これ、どれぐらい待つんですか」
「今のあたし達じゃ勝てないだろうし、相手が諦めるまでかな」
待っている間にイオから降りたカノンが木の幹に背中を預けながら言った。
「そんなぁ……。陽が落ちてきたらマズいのに」
「まぁ、大きめの個体なんでしょ? ならそんなに時間はとられないよ」
それから少し経ち、カノンの言うとおりオオカミの足音が離れて行くのが聞こえたが、イオにとっては何時間も待ったように感じた。
「行きました」
「ね、大丈夫だったでしょ」
「どうして襲いかかって来なかったんでしょうか?」
「大きいのは年とってるやつだから慎重になるんだ。こっちの全身が見えてなかったし、勝てないかもしれない相手はよっぽどのことがないと襲わないよ」
「なるほど、じゃあ昨日みたいなのは若いオオカミってことなんですね」
「そうそう」
ガサガサという音が耳に届き、再び緊張が訪れる。
「カノンさん、何か近づいて来てます」
「さっきのやつが戻ってきたかな?」
「多分違います。大分早いので」
耳が慣れてきたのか、イオは違いが分かるようになっていた。そして、それがもう少しでこちらに到着することにも気づいてしまった。
「カノンさん乗ってください!」
「オッケー、このまままっすぐ走って!」
イオは素早く走る体勢に入り、カノンを背負って樹海を駆ける。
途中何度か枝に当たったカノンのうめき声が聞こえたが、それをいちいち気にしている暇はなかった。
「群れの縄張りに入っちゃったか、でももっと先だったはず?」
首をかしげるカノンだったが、後ろから聞こえてくる足音が近づいていることに気がつくと、ポーチの一つから小さな球体を取り出して音のする方向へ放り投げた。
球体は地面に着地すると、白い煙と鼻をつまみたくなる臭いを周囲一帯に広げていく。
「うわ!? なんですかこれ」
「獣対策の煙玉だよ。それよりもイオ、全速力で直進! 煙が広がると視界が奪われてせっかくの有利が消えるから」
「は、はい!」
カノンの体が慣れているのか、最初の衝撃以降イオは臭いに惑わされることなくカノン背負ってその場を離れられた。
一方でカノンは煙を吸ってしまって気分が悪いのか、顔を青くして大きく呼吸をしている。
「うぇ、お。気持ち悪い……」
「ひどい臭いですもんね。耐性のない私の体だとそうなりますよ」
「とりあえず、あれを喰らってすぐに追いかけてこられるヤツはいないから、距離を稼ごう」
「はい!」
「げほっ……。おぇ……」
イオの背中に苦しそうなカノンの息づかいが響くたびに、自分たちの過ごしてきた環境が違うことを理解させられる。
本来であれば自分が受けるべき感覚を他人が受けている。それがイオを不思議な気持ちにさせた。
樹海の深部を抜けたのか、木々の隙間から光が差し込むようになってくる。
安心したい気持ちはあるが、二人を追いかける足音は相変わらず付いてきていた。
「しつこいです!!」
「本当にね」
定期的に煙玉を撒いているお陰で距離を詰められることはないものの、臭いに鼻が慣れてきているのか追跡者たちは諦めることなく二人に付いてきた。
それどころか、足音の数も増えてきている。
「イオ、まだ走れる?」
「あ、全然大丈夫です」
イオは体力だけは有り余るカノンの体に感謝しているが、カノンはこの状況が良くないのを理解していた。
「縄張り抜けても追いかけてきてる。振り切るか行動不能にしないとマズいかな」
「でも、私カノンさんみたいな武器は使えませんよ」
「朝のかんじだと、今のあたしもまともに戦えないだろうな」
「あ!」
「どうした?」
だんだん焦りが近づいてくる中、イオは何かを閃いたように声を大きくする。
「そういえば、私たちの使える魔法ってどうなってるんでしょうか?」
「どうなってるって……なるほどね」
そこまで言ったところでカノンもイオの考えていることが理解できた。
イオは一瞬だけ腕輪に視線を落として成功するように祈る。
「カノンさんの得意技使いますね!」
「おう、行け行けぇ!!」
「
腕輪が光るとイオの速度は急激に上がり、視界に映るものが流れるように見えては消えていく。
しかし、それは一時的なものにしかならず、イオのスピードは徐々に元に戻ってしまった。
「え、なんで!?」
「うわ、アイツら追いついてきた」
困惑する二人に追いつこうとオオカミたちが追い上げる。
妨害をやめてスピードを上げた標的を追いかけるために彼らも速度を出していたので、距離が詰まるのは当然のことであった。
少しでもイオが足を休めれば牙が届きそうになる状況に焦りが出てくる。
「スピードが出ないんじゃしょうがない、迎撃するか」
「煙玉はあります?」
「もうない、けどどうにかするしかない!」
「だったらカノンさん、光の弾を放つイメージってできます?」
「どういうこと?」
おそらくはイオの使える魔法のことを言っているのだろうが、カノンにはその魔法のヴィジョンが浮かばない。
「うーん。カノンさん的に言えば、光る種が相手に向かっていって弾けるようなかんじですかね?」
「ああ、それなら分かりやすい」
イオがこちらに歩み寄った考え方でイメージを伝えてくれたおかげでカノンの中で魔法の形が定まり、右手を後ろに向けて構えた。
指に嵌めた媒体の指輪も今か今かと待ちきれないように輝き始める。
「いい感じです。あとはバンって勢いよくお願いします」
「失敗したらごめん」
「大丈夫です。もうほぼ成功してますから」
イオはこの時だけはいつもの臆病さを抑え込み、揺らぎない言葉でカノンの背中を押した。
カノンも息を吸ってから後方だけを見つめ、前方をイオに全て任せる。
「上手くいけよ!
すると手のひらサイズの光弾が放たれてその場を数秒漂ったあと……それは音もなく弾けて、周囲一帯を光の中へ包み込み、追って来ていたオオカミたちはもちろんのこと、術者であるカノンの目すらも真っ白に染め上げる。
「目が!?」
「あ、ごめんなさい! 目瞑ってたほうがいいって言い忘れてましたね」
先ほどの迷いのない雰囲気は消えて、落ち着いたイオの慌てた声だけが視界を奪われたカノンの耳に届く。
「そういうのは先に言えー!」
「わわっ!? 暴れると落ちちゃいますよ!」
カノンの代わりにイオが後ろを向くと、気絶しているのかオオカミたちが倒れているのが見えて、小さくなっていく。
「足音もあたしたち以外聞こえない、なんとかなったな」
いまだ戻らない視力をあきらめて、聴力に頼っているカノンが音を聞きながらそう言った。
走り続けていたイオも追跡者の気配がないと知ると安心してペースを遅らせる。
「イオがあたし寄りにイメージを変えてくれたおかげで上手くいった。ありがとね!」
「昨日カノンさんが私の話を頑張って自分なりに理解してくれていたおかげですよ」
「そ、そう?」
褒められてカノンの頬が少し紅くなる。
「その考え方大切にしてくださいね。凝り固まると使える魔法が狭まっちゃうので」
「そうなんだ」
カノンの視界が戻ると樹々が数を減らし、入り口付近の森へ抜け出たことが分かる。
雲が漂う空を見上げれば陽は傾き始めていたが、沈むにはまだ余裕があるだろう。
「予定より早く樹海を抜けられましたね」
「ここまでくれば獣も出てこないと思うけど、緊張は解かないでね」
「はい! このまま突っ走りますよ!」
二人の少女がジャガマの樹海を抜けた。
これからも知恵と閃きと芽生え始めた信頼は窮地に陥った際、どんな武器よりも頼りになるであろうことを二人はまだ知らない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます