第2話 調査員の少女イオ
時間は一週間前に遡る。
魔法国カラバの有望な若人が研鑽を重ね、新しい魔法や技術を多く生み出すマールスト魔法学園。
その学園の一室で会話をする二人の人物がいた。
「ジャガマの樹海に住む守り人の一族から応援要請があってね。この一件を君に任せようと思う」
「はい? 私ですか!?」
イオ・ルミナスは室長である机に座った壮年の男性に対して疑問を投げかけた。
半年ほど前に調査員になった彼女の任務は主に書類仕事。
実地任務など片手で数える程度でしかも近場のものばかり、それが急にマールスト魔法学園から遠く離れたジャガマの樹海に行けと言われて慌てないはずがなかった。
「私の実績をご存じですよね?」
「君の事務作業は大いに助かっているよ」
「外での仕事はこの間の事後記録の出向くらいなのですが」
「あれは読みやすかったよ、少しコラムチックだったがね」
返ってくる褒め言葉にイオは口ごもりながら最後のカードを切る。
「お言葉ですが、私にはとても……その能力面が」
「……済まないが、人手不足でね」
教員でもある室長はイオの運動能力検査の結果を知っているので苦笑いで返す。
マールスト魔法学園の調査室はカラバ全域の魔法現象に対して調査および対処を目的としている組織である。
調査員の生徒には成績の加点や進路の推薦などの特典が存在しているが、こういった僻地への調査が存在しているために人気は無い。常に人手不足である。
(ついに私のところにも面倒事がやってきましたか)
室長の手前、口には出せないがイオは心の中で愚痴をこぼす。
「それで内容なんだが、魔宝を狙う怪盗からの手紙が届いたと……」
「はい?」
結局、その日のうちにイオは荷物をまとめて学園を出発することになるのだが、イオはこの時のことをあまり覚えてはいない。
古い文献にしか書かれていないような魔宝の話やそれを守る一族や狙っている怪盗の話を聞いておとぎ話ではないかと考えていたら、いつの間にか馬車に揺られていたのだから。
そして馬車を乗り継ぎ、慣れない原始的な大地を踏むこと一週間。ジャガマの樹海のどこかで根が隆起して出来た自然のベンチに座りながらイオは後悔していた。
「ああ、もう嫌です。というか終わりです」
道中何度も引き返そうとしたが、根が真面目なため、結局は足を止めることなく樹海を目指し続けてなんとかたどり着いたものの、その表情は暗い。
調査員の証である白を基調とした制服には今のイオの気持ちを表すように、肩を隠す程に長いブロンドの髪がだらしなく纏わりついていた。
一人で俯くイオだったが、耳元で蒼く輝く魔鉱石のイヤリングが風もなく揺れて音を出すとそれは声になり会話と成る。
『えーっと、かれこれ三十分くらい動いてないんだけど。イオ何してんの?』
「お姉ちゃん起きてたんですね。地面から飛び出してた木に足引っかけて挫きました……」
『結構前から起きてたけどね。てか、ここでやっちゃったかぁ。けっこう痛む?』
「けっこう痛いです」
イオは挫いた足を摩り、涙を堪えながらもイヤリングに話しかける。
通信機の役割を持つイヤリングの向こう側ではイオの姉であるトレス・ルミナスがサポーターとして彼女を支えていた。
「もう魔宝のこととか、それを狙ってる怪盗とか、成績とかどうでもいいので帰りたいです」
『いや、もうちょっとじゃん! ここで帰ったらまた一週間無駄な時間だよ』
「また行商人の荷馬車に揺られるのかぁ……」
イオはすでに心の中で帰路の想像をしてため息をつく。
もともと乗り気でなかった遠出の任務。道中、視界一面に広がる麦畑は嫌いではなかったがひたすらに退屈な時間だった。
街から離れれば離れる程星は綺麗になっていったが、同時に文明から離れていくので心細さは強くなる一方である。
『はぁ……よくここまで怪我せずに来れたねって褒めたほうがいい? それとも、まだ頑張れって言ったほうがいい?』
「まだ頑張れって言って欲しいです」
『じゃあ、頑張れ!』
「……はぁ」
『ちょおい!! なんだそりゃ!?』
トレスの応援はあまり効果が無かったようで、イオは立ち上がる様子を見せず足首をさすり、耳を慰めた。
周りを見渡せばマールストでは見ない植物ばかりが群生し、植物の研究者などは喜びそうだが、生憎とイオにその興味はない。
『そんなとこで留まってても何も起きないぞ』
先ほど雑に扱われたのが気に食わなかったのか、トレスの語気が少し強くなる。
「いやぁ、実は思ったより酷いみたいで、もっと痛くなってきました……」
『
「さっき、
イオは、痛み続ける足から視線を逸らし自分の魔法の触媒である指輪を見ながら苦笑いをする。
自分でも目が眩むほどの閃光の魔法。実は軽く使うつもりが、コントロールが上手くいかずにほぼ全ての魔力を使ってしまったのだが流石にそれは言えないなと思ってそこは黙っていることにした。
『なんでそんなもの撃ったの!?』
「私に考えがありまして、痛たた」
『怪我の手当よりも優先すること?』
イヤリングからは声しか聞こえないが、トレスは向こう側で信じられないという顔で頭を抱える。
イオも考えなしにそんなことをしたわけではないのだが、それ説明をする前に行動の結果がやってきた。
「お姉ちゃん、ちょっと静かに……」
『どうしたの?』
「さっき撃った光弾に気づいた方がいたみたいです」
声を潜めると、ガサガサと草をかき分ける音がトレスの方にも聞こえてくる。
そこでようやく、姉は妹の奇行の真意に気づくことが出来た。
『もしかして、
「はい! 距離的に守人の集落が近かったので賭けてみたんです」
会話中も労っていた足の痛みもこれで大丈夫と思ったイオだったが、トレスの心配そうな声がその安心感を崩す。
『あのさ、言いにくいんだけど』
「どうしたんです? そんな不安そうな声で」
『イオ、今近づいてるのが人じゃなかったらどうするの?』
腕を組んで軽く思考を巡らせた後、イオはひと息ついて頭を抱えた。
「……どうしましょう」
『お馬鹿! どうしてそこまで頭が回んないのよ』
「これでイケると思ったんです」
『長旅のせいで判断力鈍ったわね」
自分の考えが甘かったと理解する間にも音は近づき、人の腰が隠れるぐらいの茂みから人の姿は見えず、イオの不安だけがどんどん膨らんでいく。
「人じゃない可能性が高いです」
『な、何とかして逃げな!』
「お姉ちゃん、ごめんなさい。これでお別れかもです」
『諦めんな! えっと座標は……あっ』
「お姉ちゃん!?」
イヤリングの向こうからは、トレスがなんとかしようと奮闘しているようだったが、派手に何かがひっくり返る音と硬いものがぶつかる音がしてからは静かになってしまった。
『……』
「まさか自分の髪の毛を踏んずけて転んだなんてオチでは……」
「ハッハッハ」
「グルググ」
「!?」
やがて短く息を吐くような呼吸が聞こえてきて、イオは近づいているのが人ではないと確信する。
どうやら、自分の考えが甘かったようだと後悔するにはもう遅い。
「に、逃げないと……痛っ」
想像は現実に変化したがそこから逃げるには足が動かず、迎撃するには魔力が足りない。
「グォ……」
「ひっ」
イオが思考を巡らせていると、茂みから二匹の小ぶりな大きさのオオカミが一瞬だけ姿を見せて再び消える。
獲物の不安を煽る術を知っているのか、それとも遊んでいるのか、彼らは数回それを繰り返した。
「陰湿ですね」
相手の術中に嵌らないように最初は目を開けていたイオだが、やがて繰り返される恐怖に負けて目を瞑って下を向いてしまう。
「ヴォォウ」
それを見てオオカミたちは獲物が抵抗の意志が弱まったと知ると、茂みの中で声を荒げながらスピードを上げる。
目を瞑っていても彼らが加速したのが分かるほどに音が変わったのが分かった。
(どこから囓られるでしょうか)
視界から入ってくる情報が消えたことで恐怖が増大し、今か今かと迫る脅威に体が細かく震える。
「怖い……誰か、誰か助けて!!」
「「グルオォォ!!」」
「
遊びに飽きたのか、ついにオオカミたちの牙がイオに襲い掛かろうとして茂みから飛び出す。
イオの叫びも無駄だとと思われたその直後、急に強い風が吹いたと思ってイオが目を開けると目の前には少女が立っていた。
「モリオオカミのやんちゃ坊主どもが! 随分と趣味の悪い狩りの仕方を覚えたなぁ?」
オレンジの短髪に獣の皮で出来た外套、腰から覗く大ぶりのナイフは目を引き、野性的な印象を受けた。
「あ、あなたは?」
「ん、あたし? あたしはカノン、この樹海に住んでるんだ」
凶暴なオオカミを前にして、カノンと名乗る少女は暢気そうに答える。
「グルゥゥ」
「あー、怒ってるわ」
「そ、そうなんですか?」
オオカミたちは狩りの時間を邪魔されたのが気に障ったのか、うなり声を上げてカノンに狙いを変えたようでイオを見ていない。
「まぁ、あたしの敵じゃないけど。ちょっと待ってて」
カノンは腰のホルダーに入れていたナイフを手に取ると、オオカミたちと目を合わせて動かなくなる。
最初は何をしているのか分からなかったが、やがてイオにも分かるほどにお互い鋭い気配を放っていることに気がつき、ゾクっとした。
(こ、怖い。人ってこんな気配出せるんですか!?)
「……
「え?」
「ギャン!」「ヴァウ!?」
オオカミたちはカノンに襲い掛かろうと態勢を整えていたが、カノンはそれより早く動き、決着をつけた。
イオの目にはカノンの姿が一瞬で消えたと思ったらオオカミたちの後ろにいて、二匹の体に傷をつくっていたのしか見えず。
オオカミたちは得体の知れないものに遭遇してしまったように怯えながら、傷を庇い、その場から逃走する手段を選んで走り去ることしかできなかった。
その場には尻もちをついたイオとそれを見下ろすカノンだけが残った。
「す、すごい」
「あー、良かった。オオカミって美味しくないから殺すの嫌なんだよね」
(食べるんだ、オオカミ)
「ところで、さっきの光の柱ってあんたがやったの?」
「あ、はい」
「ちなみにあんたって調査員ってやつ?」
「そ、そうです。イオ・ルミナスっていいます」
「じゃあ、とりあえず逃げよっか」
「はい? ええ!?」
カノンは軽く確認をすると、自分より少し小さいイオを抱きかかえて走り出す。
イオは何が何だか分からず困惑するばかりで声を荒げる。
「ちょ、ちょっとなんなんですか!!」
「確かに助けてほしいなって思ってましたけど」
「うるさいなぁ。あんたがあんだけ目立つことしたんだから、みんな寄ってきちゃうんだよ」
イオの背負っている荷物が邪魔だなと思いながらカノンは走るペースを緩めないで言った。
「みんな?」
「あれに気づくのは人だけじゃない、獣も魔物も珍しがっていっぱい寄ってくるよ」
「……あ」
イオは風を受けながら、数多くの獣や魔物に囲まれるところを想像する。
もしも、カノンが助けに来なかったら、さっきのオオカミに襲われるどころでは済まなかったと思うと顔が青くなる。
「急に静かになったけど大丈夫?」
「っは! ええ、大丈夫です」
「とりあえずさ、あたしあんたのこと知らないからなんか話してよ」
「こんな状況でなにを話せば?」
「そうだな、好きな料理とか?」
こうして先ほどのオオカミのようなスピードで樹海を駆けながら二人の会話は始まったのであった。
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