因習村の魚影 5

 翌日。


 夏子さまがいつになく興奮していた。口元に浮かぶ笑みは3割増しだったし、紅茶を3杯も飲んでいた。いつもは1杯だけなのに。


 りんとした足取りだって綿毛よりも軽そうだったし、明らかにウキウキしている。


「どうしてそんなに嬉しそうなんですか……」


「当然ではありませんか、魚人が本当にいただなんて」


 なんて、乙女みたいな目をして夏子さまは言う。でも、そんなアイツは夏子さまの裸をのぞいてきてたんですよ。


「確かに覗きはよくないですね。でも、魚人たちにはそのような常識がないのかもしれないわ」


 アイツ、服着てませんでしたもんね。いや、むしろ裸で夏子さまの裸を見てたってこと……?


 怒りがマグマのように湧き上がってくるのを止められない。


 絶対、許さないんだから。


 何をどう許さないかはさておき。


「今日はいかがいたしましょうか」


「もちろん、依頼人さまにご連絡を」


「報告するということですね」


 夏子さまがゆっくり頷いた。


 わたしたちが受けた依頼は、うわさを確かめるってこと。魚人がいるかどうかを調べてほしいってことだった。


 そして、実際に魚人はいたわけだから、それを報告しに行くってわけだね。


 夏子さまが興奮していようと、依頼はこれで終わり。ようやっとリゾート地を満喫まんきつできる――なんて思ってたんだけどなあ。どうやら神様はわたしに休ませたくないらしい。


 わたしは木耳きがみさまに連絡した。前日に連絡先はいただいていたしね。


 プルルルル……。


 耳につけたスマホから聞こえてくるコール音。待てど暮らせど、その音が鳴り止むことはなかった。


 出ない。


 下のレストランで朝食をとってから、またかけてみる。でもやっぱり出なかった。


 時刻は午前9時を回ったばかり。イン湯村で働いてるんだから、もう起きてなきゃおかしいのに……。


「風邪でもひいたんでしょうか」


「従業員の方に聞いてみましょう」


 と言うが早いか、夏子さまはその辺を歩いていたホテルマンを速攻で捕まえるなり話しかけた。


 この行動力の速さには、いつもびっくりさせられるよね。わたしなんか、とっさには話しかけられなかったりするし。


 二言三言夏子さまは会話を行って、戻ってきた。


「木耳さまはお休みになられているみたいですわね」


「どうしたんでしょうか」


 普通に考えたら、病気になったとか肉親が危篤きとくになったとか、そんな感じだと思うんだよ。


 でも――なんかねえ? 魚人が出てきたのにって感じがあるのは気のせいじゃないと思うんだ。特大の伏線しいてたのに何もないだなんて、物語としてどうなんだ。……なに言ってんだわたし。


「ふむ」


 夏子さまもあごに手を当てて考え込んでいる。お嬢さまも違和感を覚えているんだろう。相手がちょっとしたケガだったり熱だったりでも察することができるんだから、それくらいできても当然だ。


「お家へうかがってみましょうか」


 ……まあ、こうなっちゃうよね。でも、こう言わざるを得ない。


 なんで?






 木耳さまのお家はアパートの一室らしい。


 そのアパートは深海荘ふかみそうといって、イン湯村の従業員が住んでいるとか。


「アルバイトの方だけみたいですけれどね」


「一時的な宿みたいな感じなんでしょうか」


 車の組み立てをする人たちみたいなのかなあ。あと、メイド見習いも一応そんな感じかも。メイドたちが住む部屋があって……。


 ってわたしの話はどうでもいいか。


 その深海荘も出来立てほやほやのアパートって感じで、すごくきれい。後ろが大自然じゃなくてビルとかだったらぴったりだったと思う。


 アパート1階の隅の扉に、木耳きがみという表札がかかっていた。


「ここですね」


「ごきげんよう。いらっしゃいまし?」


 とノックをし、夏子さまは言った。リゾート地でも変わらぬはきはきとした挨拶に、ほれぼれしちゃう。


 返事はない。ちなみにインターホンはないよ。


「うーん、いらっしゃらないのかしら」


 夏子さまが首をかしげている間に、わたしはアパートの側面に回ってみることにする。


 たいていココに……あった。電気メーター。たぶん、これが木耳さまの部屋のものだからっと。


 電気メーターはくるくる回転している。電化製品が動きっぱなしってことだね。つまり、部屋にいるかもしれないってこと。


 お嬢さまの元に戻って、そう伝える。


「なんだか探偵みたいなことをしますのね?」


「あ、えっと……冬子さまに教えてもらったんです」


 留守の時は、電気メーターを確かめれば居留守かどうかがわかるかもしれないって。もちろん、クーラーつけっぱなだけかもしれないけれども。今はとろけちゃいそうなくらい暑いし。


「ふーちゃんが? それは少々意外ですわね」


 確かに意外かも。冬子さまは警察――本人そう言っている――のはずなんだけども、電気メーターなんか確認するかなあ、普通。


 まるで隠れる人がいるみたいじゃん。


 ま、そういうのは今度会ったときにでも聞いてみるとして。


「仮にお部屋にいらっしゃるとして、どうして出てこられないのでしょう」


「夏風邪で寝込んでるとか」


「それもありそうですが」


 ありそうって、それ以外にはほとんど考えられないと思うんだけども。


 夏子さまが、ドアノブに手をかける。ひねったら、


 ガチャリ、と音が鳴って、いとも簡単に扉は開いてしまった。


「あらあらまあまあ」


「え、カギは……」


「かかっていなかったみたいですわねえ」


 みたいって。


 いくらこの湯村というリゾート地が人里離れた場所にあるからって、カギをかけないのは不用心すぎないか。


 開いたとびらの隙間すきまからは冷気がひたひた漏れてくる。まるで、冷凍庫の扉を開けたときみたい。それと同時になんともいえない生臭さもある。


 ん?


「魚くさいですわね……お魚パーティでもしていたのかしら」


「どんなパーティですか」


 お魚がどんちゃん騒ぎをしている――わけじゃないよね。マグロか何かをその場でさばいたり、カキを剥いたりだろうか。


 でも、このこぢんまりとしたアパートの一室だよ? しかもわざわざこんなとこまでバイトしにやってきている子が、そんなことするかなあ。


「いやいや、そうではなく魚そのものが来ていたのですよ」


「そんなまさか」


 夏子さまを見たら、にっこり笑っていた。冗談かとも思ったけれどもそういうわけでもないらしい。


 言うまでもなく、昨夜覗のぞいてきやがった魚人が来たかもってことだよなあ。


 どうせならドッキリの看板でも出してくれた方がうれしかったんだけども、しょうがない。


 わたしは腹をくくることにした。


 そりゃあカギがかかってないからって部屋の中に入っていいわけがないんだけどさ、気になるじゃん。


 なによりも、


「入ってみましょうよ」


 と言わんばかりに夏子さまが見てきている。メイドとして、幼なじみとしては止められないし、止めたって聞いてはくれないんだから、さ。

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