因習村の魚影 2

「怪物、ですか」


 怪物。英語でいうとモンスター。


 んなもん、わたしたちは出会ったことが……ないとは言えない。ツチノコをあと一歩まで追い詰めたことだってあるし、巨大ワニに追いかけられたこともある。白いやつじゃなかったら、ガスボンベでも食べさせたのに。


 そんな感じで、夏子さまとわたしは怪物も知らないわけじゃない。まだ見たことないのは怪獣くらいだけれども、お嬢さまのちいさな手にはあまると思うから、来ないで。


「どのような怪物なのでしょう。お写真などがあるとうれしいのですけれど」


「あくまでそういう噂が、僕たちの間にあるというだけで……」


「確か、イン湯村でお勤めになられていましたわよね」


 夏子さまの問いかけに、木耳さまが頷いた。


 今さらだけど、ここは『イン湯村』っていう。もともと、ここらは湯村っていうらしく、そこに宿泊施設を意味する『Inns』を足した名前。駅前とかにありそうな名前だよね。


 でも、ここらは都会の喧騒けんそいとはもっとも縁遠い場所。


 両サイドを山に囲まれた入江の最奥に、イン湯村はあった。山の奥底に存在する秘湯ひとうみたいにひっそりとたたずんでいるものだから、観光客の姿もまばら。


 ネットやSNSで調べても、なかなか情報が出てこないくらいなんだ。


 そんな知る人ぞ知るって感じの場所を知ってて、さすがお嬢さまって喜んでたんだけどなあ。仕事で知っただけっていうね、ちくしょ-。


 閑話休題それはともかく


「真夜中に出歩くと海の方から化け物がやってきて、連れさっていくとかなんとか」


「まるでおとぎ話ですわね」


 子どものときに枕もとで聞かされた話を思いだす。ほら、おなかを出して寝てたら雷神様にヘソをとられるってやつ。


 わたしと夏子さまがいっしょにいたときなんか大変だった……話を聞くなり雷雨の中に飛びだしていこうとしたんだから。


「確かに。ですけど、違うのですね」


「僕、見たんです! 夜、バス停に向かうとき、砂浜を歩く人影を」


「散歩してた人じゃなくて?」


「社員の方にもそう言われました。でも……デメキンみたいに目が飛びだしてましたし、なによりあの臭いは――」


「臭い?」


 夏子さまの問いかけに返答しようとした彼の口が、ガチンと閉じた。


 どうしたんだろうと思っていると、お盆をもったウェイトレスがこっちへやってきて、注文したものを置いていく。


 紅茶にアイスコーヒーふたつ。それから、パンケーキ。


 それらをテーブルに置いたウェイトレスは、わたしたちににっこり微笑ほほえみ、どうぞごゆっくり、と言って去っていった。


 遠ざかっていくエプロンを見ながら、木耳さまが安堵あんどの息をもらしている。緊張しいなのかな。


「話の途中でした、そのう、信じられないとは思うんですけど、すっごく魚くさくて」


 夏子さまがえらく高いところからミルクを入れている最中に、木耳きがみさまが話を再開させた。


「魚くさい……? 海の近くだからじゃないんですか」


 魚くささというかいそくささというか潮くささというか……そういうのが、潮風しおかぜにのってやっていただけじゃないんだろうか。


「それはありえないですわね、ももか」


「どうしてですか、お嬢さま」


「ここの目玉はなにか知っていますこと?」


 ミルクティーに口をつける夏子さまを見ながら、わたしは考える。


 このリゾート地のことであれば、けっこう調べた。わたしは遊ぶつもりだったし、目いっぱい遊ぶためには事前調査が大切だ。行き当たりばったりでいって、アトラクションに乗れないなんて絶対ヤダもん。


 そういうわけで、ここのことならツアーガイドかってくらい知ってるつもりだ。


「もちろん。都会の喧騒を忘れられる静かな海と、名前にもなっている温泉です」


「では、わかるはずですよ」


「???」


「ヒントは湯村のあちこちから上がっている湯気です」


 来たときから気になってたんだけど、ここ湯村ではあちこちから湯気が狼煙のろしみたいに上がっている。窓の外を見れば、側溝そっこうから上っているじゃん。モクモクしていて、リゾート地はなんだかきりの街って感じ。


 あ、なるほど。


 合点ガッテンした拍子に、手を叩いちゃった。


硫黄いおうの臭いでわからなくなってるんですね」


 地獄に行ったことがある人ならわかると思う。湯気はなんだか卵が腐ったような臭いがする。あれが硫黄の臭いだ。


「正確には硫化水素りゅうかすいそですけれど、そういうことですわ」


「じゃ、その魚くささっていうのは相当なものってことになりません……?」


「それこそ――魚そのもの、なのかもしれませんね」


 平然と言った夏子さまは、優雅にミルクティーを口にする。このまま喫茶店きっさてんのポスターにしたら、大人気店になりそうなほど様になっていた。


 でも、魚が歩くか……? いやだからこそ、魚人ってことなんだろうね。


「写真は残っていなくとも、なにか、見ているものはありませんこと?」


 夏子さまが依頼人に声をかけると、ビクンと体を震えさせていた。針のような方だが、なんだか小動物みたいな反応をしてる。


「えっと、暗闇のことだったんで、よくは覚えてないんですけど……。魚くさくてキラキラしていて」


 なんだかあやふやで抽象的。


 それくらい、曖昧あいまいだったということだろうか。


 でも、夏子さまはふんふんって頷きながら聞いている。しょうがないので、メモを取ることにした。後から聞かれて、答えられないんじゃあメイド失格だしね。


「海から上がってきたのか、うろこが光っているのかしら」


「どうしてそう思うんです?」


「魚人と言われているのですから、鱗がある人間でしょう」


 そんな人魚めいた存在、いるわけがない。


 なんて……幽霊と出会ったわたしたちが言うのも説得力ないか。

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