因習村の魚影

因習村の魚影 1

 お嬢さまが旅行に行きがちな場所といえば、やっぱりリゾート地だ。


 真っ白な砂浜でワンピースを浜風はまかぜに揺らし、吹き飛ばされそうなカンカン帽を手で押さえる――その姿は、世界中の美のアーキタイプとして、ルーブル美術館に飾られてもおかしくない。


「旅行に行きましょう」


 先日のことである。夏子さまに言われて、わたしはそんなことを夢想した。


 うっきうきでトランクケースに荷物を詰めこんでいたわたしをぶん殴ってやりたいね。


 お嬢さまが、そんなこってこてのリゾート地になんか行くわけがあるだろうか、あるわけがないんだよなあ……。






 今、わたしの目の前には2人の人間がいる。


 1人はわたしの雇い主である御城夏子おしろなつこさまだ。今朝の格好かっこうは、純白のワンピースにシルバーのバングル、それからサンダルという夏の装い。わたしが思い描いていた通りの姿だった。


 いつもだったら、わたしの心は昇天しょうてん寸前まで高揚こうようしていたね。


 でも、今日はいまいちノレれない。


「あ、あの」


「どうかいたしました?」


 どうかいたしましたもこうもないんだけれども、夏子さまは首をかしげていらっしゃる。とぼけているように見えるが、うちのお嬢さまは違う。


 ガチのマジで、疑問に思ってる。


慰安いあん旅行って聞いてたんですけど……」


 わたしはトランクケースをぎゅっと握りしめる。リュックサックとは別に持ってきたこれの中には、夏子さまの着替えなどが入っていた。


「わたくしもそう言いましたの」


 そうでしょうとも。もし、ウソを言うようだったら、1週間前に録音した生ボイスをこの場で再生するつもりだった。知らない人の前でそんなことしたくないよ。


「じゃ、じゃあどうして依頼人がいるんですかっ!」


 そこにいるもう1人ってのは若い男性で、頭をポリポリかいている。夏子さまが言うには依頼人だ。


 依頼! ってことは仕事じゃないか。


 わたしはここ最近の、怪奇現象で削りに削られまくった正気度SAN値を戻しに来たんだ。少なくともそのつもりで、水着とか水着とか、あと水着とかを持ってきたっていうのに……!


 わたしがじろりと夏子さまを見れば、笑みが返ってくる。


 いつもは大天使のように見えるその笑顔も、今日ばっかりは悪魔みたいだよ。


「……仕事なんですね」


「そうとも言いますの」


 という夏子さまの言葉に、わたしの夏の予定がガラガラと崩れさった。ぶち壊してくれたのは、ほかならないお嬢さまで、わたしはなにも言えない。


 夏子さまはお嬢さまで、わたしは雇われているんですから。


 そんな夏子さまが、そばまでやってくるとポンポンと肩を叩いてきた。


「ですけれども、遊ばないというわけでもありませんのよ」


「どういう……」


「このリゾート地に渦巻く謎を解明するという楽しみが待っているではありませんか!」


 そんな夏子さまの言葉が、大海原へと響きわたる。


 わたしにはなにがなんだかさっぱりわからない。たぶん、依頼人の男性もそうに違いない。目をぱちくりさせて、お嬢さまを見ていたからね。






 ってなわけで、わたしは今、リゾート地にいる。


 キラキラと輝く海、鉄板かってくらいアチアチで、雪みたいに白い砂浜。スカイブルーを泳ぐのはウミネコ……。


 そんな景色が一望できるカフェに、わたしたちはいた。


 わたしと夏子さま、テーブルを挟んで向こう側に依頼人。


 彼は木耳きがみロロと名乗った。


「今日はどのようなご依頼でしょうか」


 夏子さまの口調にはいささかのよどみもない。真面目も真面目、大真面目。旅行気分って感じがしないのはわたしだけなんだろうか。名刺めいしまで出してるし。


 お嬢さまが木耳さまに手わたした名刺には【オカルトハンター】という胡乱うろんな単語がある。


 ゴーストバスターなんかよりもうさんくさい。でも、夏子さまが自称していることだから、わたしからかける言葉はなかった。


 夏子さまから名刺をいただくという栄誉をたまわった木耳さまは、顔をテーブル中央へと――わたしたちの方へと突きだしてくる。


「えっと、なんというか、そのう……信じられないような話で」


 ヒソヒソ言うものだから、彼の言葉は聞き取りづらい。自然、わたしは身を乗りだしちゃう。


 夏子さまはピシャリと背を伸ばしたままで、微笑みを強くする。

 

「その点はどうかご安心を。わたくしたちも信じられないような体験をいくつもしてきましたのよ」


 ももか、と夏子さまが言ったので、わたしはスマホを取りだす。


 いくつか画面を操作して、動画投稿サイトを開く。もちろん再生するのは、わたしたちの動画だ。


 なにを再生したものか……ま、この前のがちょうどいいか。


「こちら、幽霊屋敷を探索したときの動画です」


 スマホをテーブルの中心へと置く。画面に、逃げていく幽霊やら魔法陣の刻まれた地下室やらが出てきたかと思えば、がくがく揺れはじめ、最終的に屋敷が崩壊した。


 時間にして十分ほどで、動画の再生は終わる。


 動画を食い入るように見つめていた木耳さまは、ぽかんと口を開いていた。信じられないといったご様子。わかるよ、わたしだってアレが現実に起きたことだって、今も受け入れられてないんだから。


「これでも信用していただけませんか」


 という夏子さまの言葉に、男性はハッと我に返った。キョロキョロとし、


「す、すごいですね」


「そうでしょう。なにせ幽霊様の撮影に成功しているのですから――」


「建物の崩落が、映画みたいで」


 木耳さまの感想に、夏子さまの動きが止まる。笑みもわずかにぎこちなくなっていた。


 でも、彼の気持ちもわかる。幽霊なんか、わたしの手が震えていたせいではっきり映ってないし、なにより地味。建物の崩壊はタイタニックかってくらいド派手だった。


 銅像のように固まっていた夏子さまは、自分がお嬢さまであることを思いだしたかのように、紅茶をすする。その所作しょさに動揺なんて見えない。客の前――わたしの前でも、おくびにも出さないんだから、徹底している。


「とにかく」


 有無を言わせぬ口調で夏子さまが言った。


「どのような超自然的な現象が発生したのかしら」


「発生したといいますか……うわさと言いますか」


 何やら歯切れの悪い返答。言いにくいことでもあるんだろうか。


「そう言うんじゃないんですけど」


 ふきふきふきふき。


 木耳さまは、額に浮かんだ汗をハンカチで拭う。まるでキンッキンのお冷みたいに汗をかいてる。


 なんか怪しい。


 わたしは夏子さまを見た。


 お嬢さまは有名人である。動画投稿者としても、御城家の次女としても。


 だから、怪しげなメールやらスパムやらは日常茶飯事にちじょうさはんじ。メールボックスが下駄箱げたばこくらいだったら、今ごろ爆発四散していたに違いないね。


 この人は、つぼとか水とか空気とか売りつけてこないよね……?


 夏子さまは首を振った。もうちょっと様子を見ようってことらしい。ま、従いますよ。お嬢さまのシックスセンスは幽霊さえも逃さないんだから。


「教えていただけないと、わたくしどもも調査ができません」


「そう……ですよね、すみません」


 じっと木耳さまは、お冷をのぞきこんでいる。


 透明な水の中に浮かぶ、タイタニックが激突したみたいな氷がカランと音を立ててひっくり返った。


「うちの会社のことはご存じですか」


 わたしはうなづく。夏子さまも同じだ。


 うちの会社っていうのは、わたしたちが今いるカフェや泊まることになっている宿泊施設をひっくるめたもので、ようするに海野うんのコーポレーションのことだろうね。


「このリゾート地を経営されているとか」


「はい、僕はそこで雇われてるんですけど」


 木耳さまはまわりをキョロキョロ。


 あたりに客のすがたはない。閑古鳥かんこどりさえも、ギラギラ太陽に照らされた砂浜へ駆けていったらしくガラガラだった。


 それでもなお、彼は内緒話でもするかのようにわたしたちへ顔を近づけ、


「怪物が出るって噂があって――」


 とささやくように言ったんだ。

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