アシヤ・クライシス 終

 ――そんなことがあったのも、つい先日のこと。


 わたしは、夏子さまの家にいた。


 家というか事務所というか。


 別に、ゴーストバスターお嬢さま、という看板がデカデカ張られているわけじゃない。


 だから、事務所というよりかはスタジオか。そして、そこに、わたしと夏子さまの二人だけが住んでいるわけです。


 二人っきり!


 なーんて喜ぶわけもない。わたしは夏子さまお嬢さまに仕えるメイド、そんなことで喜んだりしません。


 さて、その夏子さまが眠っている部屋にわたしは紅茶を持っていく。いわゆるモーニングティーってやつで、夜更かししがちな夏子さまに目を覚ましていただくためのものだ。


 コンコンコンとノックをすれば、返事がある。


 時刻は午前十時ぴったし。


 中へ入ると、天蓋てんがい付きベッドに寝そべっていた夏子さまが体を起こす。


「おはようございます」


「おはよう」


「モーニングティーです」


 わたしがカップを手わたす。底の深いカップだ。磁器じき製のそれは、束になった一万円札が何個も飛んでいくようなやつだ。


 口をつけた夏子さまがほうと息をつく。ネグリジェ姿のお嬢さまは、はっきり言って美しい。


「昨夜はなにをされていたんですか?」


「ご友人に報告を。といっても大したことではありませんけれど」


 なんて言いながら、夏子さまはふうっと息を吐きかける。


 カップからくゆる湯気がもだえるように揺れる。


「さしあたっては、もう幽霊様は出ませんと」


「でしょうねえ」


 屋敷は跡形もない。十戒じっかいのごとく割れていったんだから、地下室も無事ではないだろう。というか、無事であってほしくはない。あんな黒魔術めいたものは、粉みじんになっていてほしいよ。


「わたくしの知りえたことを報告して、それから、動画作成の許可も得ました。もちろん、匿名とくめいというていにはなりますけれど」


 あんな屋敷を持っていることがバレたら何を言われるか分かったものじゃないから、だれだって名前をばらされたくはないね。わたしが同じ立場だったとしてもそうする。


 動画自体はもうできている。あとはアップロードをするだけ。もとより許可はもらってたんだけど、あんなことが起きたものだから、念のため確認することにしたんだろう。


「じゃあ、今日中に投稿しておきます」


「おねがいね」


「今日のご予定は……」


 わたしは手帳を取り出し確認する。今日のらんは真っ白だった。


「ございませんね」


「うーん。せっかくのお休みだし、今日はいっぱい休もうかしら」


「それがいいと思います」


 わたしも疲れちゃったから、そうしてもらえると助かります。


 夏子さまが紅茶を飲みおえるのを待ち、空のカップを持って、わたしは部屋を後にする。


 扉が閉まる直前。


「いつもありがとうね」


 そんな感謝のことばとともに、バタンと扉が閉まった。


 わたしは思わずガッツポーズ。ご主人様からめられれば、どんな疲れだって吹っ飛んでいくというものだ。


 鼻歌まじりにキッチンへ向かおうとすると。


 ガチャリ。背後で扉の開く音。


 振り返れば、わずかに開いた扉の隙間から、夏子さまがこっちを見ている。まるでなんかの映画のポスターみたいだ。


「そうそう、来週末、依頼があるからそのつもりでいてちょうだいね」


 バタンとしまった。


 ……ハッピーな気分が悪霊にりつかれたみたいにメランコリックなものに変わっちゃった。


 ま、でもしょうがない。幽霊のあれそれに対応するのが夏子さまの――ゴーストバスターお嬢さまのお仕事だ。


 わたしは一介いっかいのメイドに過ぎず、お嬢さまをお助けするだけなんだからさ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る