アシヤ・クライシス 10
そこは、地下室にしては広い空間だった。
光を左右に振ってみると、どうやら教室ほどの広さがあるみたい。奥行くも大体そんなもの。もちろん黒板があるわけでも、三十個の椅子と机が列をなしているということもない。
だだっぴろい空間。
その奥側には教卓のようなものがただ置かれているだけのように思われた。
わたしが夏子さまを見れば、お嬢さまもわたしのことを見ていて、ちょうど見つめ合うような
「あれはなんなのでしょうか」
レポーターのようなことを言いながら――動画の
でも、地下室に入って数歩で、夏子さまが立ち止まった。
「見てください」
夏子さまは床を見下ろしていた。わたしもつられてカメラとライトを向けてみる。
床はコンクリート打ちっぱなしで灰色をしていた。でも、その灰色はほとんど赤茶色の線によって上書きされている。それはたぶん、文字か絵だろう。ペンキをこぼしてしまったという感じじゃなくて、なんらかの意図を感じずにはいられなかったんだ。
まるで呪文かなにかみたい。
その線を踏まないようにしながら、夏子さまは奥へ。わたしもそれにならう。なんだか血っぽいし、踏んづけただけで、おみくじで凶しか出ない呪いでもかかりそうだったし。
教卓は、近づいてみると教卓ではなくて、もっと小ぢんまりとしていた。ローテーブルくらいの大きさなんだけど、ローテーブルとちがって足はない。四角いものがどーんと置かれているのを想像してもらえればだいたいあっている。
それの天井を向いている面は、わずかに凹んでいた。ちょうどお
「…………」
夏子さまは、じっとその台みたいなものを見つめていた。
あまりに真剣に見つめるものだから、わたしはごくりと
「これは
「生贄……」
わたしは、足元のそれを見た。これをどうやって生贄の儀式とやらに使うっていうんだろう? まさか、ゲームキューブみたいに角で殴るってわけじゃないだろうし。
「ここの
「心臓? いったいだれの」
「おそらくは人間の心臓でしょうか」
「に、にんげんっ!?」
わたしは思わず声を荒げてしまった。地下室内に、わたしの
夏子さまを見れば、微笑みを浮かべている。ただ、
先ほどまではただの台かなにかだと思っていたものが、途端に不気味なものに思えた。
「ほ、本当に生贄のものだとして、なんでそんなものがここに……?」
夏子さまは何とも言えないような表情を浮かべていた。「さあ、どうかしら」と言おうか言うまいか迷っているかのように。
「たぶんですわよ。今はもう推測するほかありませんから、あてずっぽうであることをご
と、夏子さまが前置きする。そんな歯切れの悪い言い方はなにぶん久しぶりで、口が開きっぱなしになってしまうほどにわたしはおどろいてしまった。
「ここではなにかしらの儀式が行われていたのですわ」
なにかしらの儀式、それは生贄を必要とする
「その儀式によって失われた命。その方々の霊がこの屋敷に
だとするならば、幽霊たちが言いたかったことは自明だ。
「儀式とやらを、わたしたちに伝えるために……?」
夏子さまがゆっくりと頷いた。
だからこそ、いつもみたいにわたしたちに襲いかかってこようとしなかったんだ。わたしが驚いてしまったのは……その、幽霊っていうのは驚かしてこようとしていなくとも、恐ろしいものだから。
「じゃ、じゃあ除霊するためには、この儀式を止めれば」
「そうだね。問題はどうやって止めたらいいのかわからないということなのだけれども」
「あっ……」
思わず声が出てしまった。
わたしたちは、謎の
こんな生贄の儀式の解除方法とか知らないし、そもそもそんな儀式で何やってたかもわからない。
「というか、だれのしわざなんでしょう」
「さあてね。今になってはもうわからないのではないかな。この地下室を見るに――」
そう言いながら、夏子さまは周囲を見回す。
最初っからそのようなことが
「ですわね。わたくしもそう思いますの」
「だとしたら、
「ですねえ」
ですねえ、て。
わたしたちの予想では、蘆屋家は
それなのに蘆屋家の誰かが犯人だなんて、あまり信じられないというかなんというか。
赤の他人どころか、
わたしの顔にはそんな疑問がびっしりと浮かんでいたらしい。普通はね、と夏子さまは言った。
「でも、はばかりながら言うのだけれども、もしかしたら普通ではなかったのかもしれないとは考えられませんこと?」
「普通じゃないってどういう……?」
「異常だった。――子孫にどのようなことが起きても我関せずといった方がいらっしゃったのかもしれませんね」
そんなはた迷惑なやつがいるだなんて。
「もしくは」
と夏子さまはピースサイン。いや、二つ目の案って意味か。
「お昼すぎに放送されているサスペンスドラマ並みのドロドロとした
「夏子さま、昼ドラなんか見るんですね」
「もちろんです、非常に興味深いのでしてよ」
何が興味深いんだろう、聞きたくなったけれども、本筋から脱線しどこかへ行ってしまいそうなのでやめた。
というか、そうじゃなくて。
「どういうことなんですか」
「そのくらい色々なことが考えられるということなのですわ。今となっては証拠を集めることもできませんから」
確かに、幽霊がわたしたちの目の前に出てきて、法廷みたいにベラベラ喋ってくれなきゃ真実なんてわからないだろうし。そもそも、マッドな博士みたいなやつだったら、答えてくれなさそうだけど。
「ですので、推測の域を出ないというわけですの。もしかしたら、たまたまこうなっただけなのかもしれませんし」
と夏子さまは言ったけれど、たまたまでもこんなことが起きてたまるか。
わたしたちはそんなやり取りをしていたら、
入ってきた方向がぼんやり明るくなった。
見れば先ほどの幽霊が立っているではないか。もしかしたら、わたしの考えを読んで、この
でも、その女性の幽霊は、わたしたちのことをじっと見つめるだけ。だらりと垂れ下がった髪の隙間から見える目は、なんだか呆れたような色を見て取れた気がした。
急かすために現れたんじゃないよね……?
「そのためかもしれませんわ。あまりにわたくしたちが仲良く話していたものですから、輪の中に入りたかったのでしょうね」
幽霊が首を振る。それから、一歩(足はないんだけど)前へ出てきた。
やっぱり、急かしてきてる気がする。このままここで野宿でもしていたら、わたしの体をのっとってでもなんとかしてきそうな雰囲気あるもん。
わたしは夏子さまを見た。何か手はあるんだろうか。
こちらにおわすはゴーストバスターお嬢さまである。幽霊は当然として、その手のオカルトへの対処法は、かなり詳しい。メイド兼助手のわたしが言うんだから間違いない。
夏子さまは、わたしのすがるような目線に気がついたように、ニコッと笑った。
「任せてください、ももか」
ますます夏子さまに対する尊敬の念が込みあがってくる。もともと100パーセント満タンだったけれど、天井突破だ。
夏子さまは、魔法陣モドキへと近づいていって。
「えいっ」
模様を蹴った。
わたしは目を疑った。もっとこう、はんにゃーはらみた、的なあるいは
まさか、原始的な、それも直接的かつ物理的なものだとは。
「そ、そんなんで大丈夫なんですか」
「こういうのは、魔法陣が完璧でなければなりませんの。であれば、一部分を削りとるだけで――」
コツコツコツ、キーキー。
黒板をひっかくような音がする。わたしは苦手じゃないけれど、幽霊はどことなく顔をしかめているように思えた。幽霊もこの高音が苦手なのか。
パンプスのかかとが魔法陣をこすりあげること数回。
パリンと音がした。
塗りたくられた線がガラスみたいに砕け散るとは考えられない。でも、そんな音がしたんだ。
ああ、ホントに魔法陣は破れちゃったんだ。
――次の瞬間、強い揺れがわたしたちを襲った。
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