アシヤ・クライシス 11

 その揺れはンゴゴゴゴゴゴっというオノマトペが聞こえそうなくらい強く長い揺れだった。


 地面がフェリーになっちゃって揺さぶられてるんじゃないかって思ってしまうほどの振動。


 ただの地震じゃないってことは間違いない。……たぶん。地面の下にいるっているナマズかミミズモドキが暴れてるんじゃないだろうし。


「なななななっ」


 わたし自身、奇怪だと思ってしまうようなことを口走っている間、夏子さまはしばらくの間考え込んでいた。


 その間も揺れは続いている。


 ガクガクする世界の中で、先ほどの幽霊は姿を消していた。たぶん、これで人を狂わせる魔法かなにかは消滅したんだろう。幽霊も安心して成仏じょうぶつしたようで何より。


 でも、わたしたちはどうなるんだ。


 頭にコツンと何かがぶつかる。それで天井を見上げれば、コンクリートにヒビが入っていた。そいつが大きくなったらどうなるか……パラパラ落ちてくる破片を見るまでもない。


「に、逃げますよ」


「そうですわね。魔法陣も崩したことだし」


 ええそうでしょうとも、こんなことになったのは魔法陣とやらを壊されて怒り狂ったやつのしわざに違いないんだから。


 わたしはカメラを回しつつも、扉まで走っていく。


 建物は沈没寸前の船みたいにグラグラグラグラ揺れている。走りにくいったらありゃしない。それでもなんとか地面をハイハイするように先へと進み、扉のノブにしがみつく。


 カギがかかっている――なんてことはなく、すんなり開いた。


 背後を振り返れば、夏子さまはまだ部屋の真ん中らへんを歩いているではないか。その歩く姿はまさしくお嬢さまのようにしずしずとしたもの。揺れている中で悠然ゆうぜんと歩くのはむしろ難しいんじゃないか。


 いやそうじゃなくてっ。


「夏子さま、走ってください!」


「いやね、そんなに慌ててどうするのかしら」


「慌てるに決まってるじゃないですかっ! いつ崩落してもおかしくないんですよ」


 わたしは天井をちらりと見る。ひび割れはグランドキャニオンみたいにひろがっていた。チーズばりに裂ける5秒前だ。


 それなのに、プロムナードでも歩いているみたいに夏子さまはゆったり歩いていた。


 そもそもここはお城の中じゃなくて、み嫌われるべき生贄いけにえの儀式が行われた場所なのに。


 わたしは夏子さまに駆けより、その腕を引っ張ろうとする。


「って動かないし!?」


 渾身こんしんの力で引きずろうとしても、夏子さまのからだはびくともしない。まるで根っこの生えたように。だったら、その場から動けないはずなんだけど、お嬢さまは足取り軽やかに歩いている。


 しなやかながらも細い手足のどこにそんな力が……。


 夏子さまはわたしを見て、ふふふと笑った。


「こういう時こそゆっくりと」


「ゆっくりしてたらガレキに潰されちゃいますよっ」


「いついかなる時でも優雅たれ――そういった方がいらっしゃったそうではありませんか」


「その人は背後から刺されました!」


「ふむん……ではこういうのは? 話せばわかる」


「その人も死んじゃいましたよぉ!!」


 わたしの心配をよそに、夏子さまが手をぎゅっと掴んでくる。これじゃあ離れようにも離れられない。わたしの意志はさておき。


 わたしと夏子さまは一心同体。上からガレキが降ってきたらバッドエンドだ。


 でも、そんなことにはならず、地下室を後にする。


 壁に開いている手を当て、わたしは階段を上る。夏子さまはそんなことしない、あらあらうふふとわたしの滑稽こっけいな姿――わたしとしてはいたって真面目な姿だ――を見て、笑いながらも体勢は崩れない。


 天井の出入り口まで、やっとのことでたどりついた。


「夏子さまが先に」


「いいのでして?」


 わたしは何度も何度も首を縦にした。それこそ、バブルヘッドのように。


 夏子さまがようやくわたしの手を離し、よっと軽くジャンプ。へりをつかみ、懸垂けんすい要領ようりょうで上へとのぼる姿はよどみなく、必死さがない。お嬢さまだからといって、か弱いというわけじゃなかった。


 走ろうと思ってくれさえすれば、50メートル7秒台の俊足が火を噴く。問題は、その気になってくれないことなんだけどね……。


 とにかく。


 わたしは夏子さまに続いて、上へと這いあがる。夏子さまは土蔵に上がり、わたしもそうする。


 リュックサックを背負うころには、建物の揺れはすさまじいとしか言いようのないものになっていた。プリンかなにかみたいに建物は揺れている。地面だけじゃなく、建物そのものがゆっさゆっさ揺れているらしかった。


 わたしたちを逃すまい、押しつぶして殺してやる――そう言っているかのようであった。


 そんな殺意に当てられ、鳥肌が立つ。ぞくりとして、いますぐにでも外へと駆け出したい気分になった。


「ふふふっどうしてそんなに急ぐのでしょうか」


「死ぬかもしれないからですよっ」


 ゴゴゴゴゴゴという地響きは、この世のおわりみたいに響きわたっている。


 今すぐ逃げなきゃなのに……!


 夏子さまは、ふたたびわたしの手を取り、ゆったりのったり歩きはじめる。


 この人に危機感というものはないんだろうか、ないんだろうな。


 しょうがないのでカメラは回す。あと、手のひら越しに伝わってくる夏子さまの体温を味わおうとして――って手袋じゃん、感じないじゃん!


 わたしはそわそわそわそわしていたことだろう。いつ建物が崩れるかわかったもんじゃないんだから。


 でも、案外崩れない。むしろ建物が気を利かせて、崩壊するのをやめているようでもあって。


 わたしたちは建物の外へ出られたのだった。


「ほうら、無事に出られましたの」


 夏子さまが言った瞬間、建物が崩れる。


 それは一大スペクタクル。


 屋敷が真ん中から沈み込むように崩れていく。逆タイタニックみたいな感じだ。バキバキと柱が崩れる、ガラガラと瓦は剥がれ落ち、砕けていった。


 最後に建物の両側が、真ん中めがけて崩れ落ちて、ドーンと地面を打つ。巻き上がる土ぼこりが、わたしたちへとおそいかかった。


 ギュッと目をつぶる。パラパラとつぶてが降りかかってくる。


 少ししておそるおそる目を開けると、そこにもう屋敷はなかった。


 蘆屋邸あしやていだったものがころがっているばかりだった。

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