アシヤ・クライシス 9

 開いた扉の先は穴のようになっていたけれど、ここと違うのは奥の方に階段が見えるってこと。


 奥の闇へとつづく、階段が。


「わたくしから行きますね」


 お嬢さまを上から撮るか下から撮るか。わたしの大してすごくない頭が回転して、結局は恐怖が競りかった。


 何かに襲われるんじゃないかもしれない。だったら上から撮った方がいいじゃん?


 でもそれだと夏子さまが襲われちゃいそう……いやお嬢さまだったら大丈夫な気がしないでもないけど。


 悩んでいるうちに、夏子さまは颯爽さっそうと穴へ飛びこんだ。流石さすがお嬢さま、即断即決、迷うということを知らない。


 カメラとライトを向ければ、笑みが返ってくる。


「どこかが腐っているということもありませんの。奥へも行けそうです」


 その言葉を聞いて、わたしは安心して穴の中へと降りようとした。


 できない。何かが引っかかってわたしは腰のあたりで宙ぶらりんになった。


 え、え。ホントにどうして潜れないんだろう? 


 わたしはめちゃくちゃ大柄というわけではない。また、穴も半畳ほどだから、小さいってわけでもないんだけど……。


「リュックサックが引っかかっているのではないですか」


「あ……」


 そう言われてやっと、わたしは背負っていたリュックサックのことを思いだした。これはわたしの一部分をなしているといっても過言ではない。たまにその存在を忘れてちゃうほどなんだから。


 でも、そっか。これが引っかかってるとしたら、ここに置いていかなくちゃいけない?


「それが自然なことだとは思いますけれども」


「ええっ!? これこそわたしの魂なのにっ」


 魂というか体の一部分とでもいうか。そんなのをパージするだなんて、わたしには――。


「でしたら、ももかは一生、こんな暗闇で宙ぶらりんにならないといけないのですよ」


「そ、それはイヤだ」


 こんなわけもわからないゴーストハウスで幽霊に見つめられながら、限りある寿命をムダにするだなんて、そんなの耐えられるわけがない。


 わたしはなんとか上へと這いあがり、リュックサックを下した。ホントに久しぶりだ。いつも見えるところに置いて、いつなんどきでも背負えるようにしてたっていうのに。


「シャワーのときに、入口に置いているのはやめた方がいいと思いますわ」


「どうしてそれを知ってるんですかっ!」


「メイドが何をしているのか把握はあくするのも、主としてのつとめだとは思いませんこと?」


 ふふふと夏子さまが笑う。ときおり、この幼なじみが何を考えているのかわからなくなるよ。


 とにかく、わたしはリュックサックを下した。めちゃくちゃからだが軽い。ギプスをつけてトレーニングしていた人たちは、こんな気分を味わったに違いない。もう怖くないって思うのも無理はなかった。


 でも、やっぱり怖い。なにもないというのは心細くてしょうがない。


「なにか持っていってもいいですか」


「もちろん。多少くらいでしたなら」


 わたしはリュックサックを開く。大きさは登山の人が背負っているようなやつ。あの背中をすっぽり覆うようなやつの中には、わたしが必要と思うものでぎっしり詰まっている。


 もっとも常識的な範囲の中で、だけど。拳銃なんかが入ってるわけじゃないし、地球爆破ボタンがあるわけでもない。


 ナイフと食料と水と、それか予備電池でしょ。あっと、忘れちゃいけないライター。


「もしかして、サバイバルだと勘違いしていません?」


 そう言われると、わたしの顔はかあっと熱くなった。


 両手いっぱいに取りだしていたサバイバル用品をリュックの中へと押し込んだ。








 最終的にわたしが持っていくことにしたのは、ナイフとライターだ。


 ナイフは折りたたみ式のこぢんまりとしたもの。ワインオープナーとか缶きりとかついてるスイスのお土産ね。それからライターは、百均に売ってそうなちゃちなものだ。


 それくらいなら、メイド服のポケットにも入るし、いざというときは何かできるかもしれない。


 いざってときは一生来ないでほしいところだけれども。


 わたしは穴をくぐって、夏子さまの隣に着地。


 上を見上げれば、穴二つ分越しに地上の土蔵が見えた。さしずめここはB2といったところで、今から向かおうとしているのはB3なのかB4なのか分かったものじゃない。


 目の前の階段を光でかざしてみる。まっすぐ続く階段の向こうに扉が見えた。地獄までつながっていなくて、ホントによかった。


「では行きましょうか」


 わたしはうなづき、歩きはじめた夏子さまのあとにつづく。


 コーンコーンコーン。


 一段、また一段と階段を歩くたびに、足音は反響し、けあって、亡者もうじゃの叫び声か何かのように聞こえる。


 空気はシンと冷えわたり、夏だというのに寒いくらいだった。


 夏子さまはいつもとかわらぬ調子で歩いていたけれど、わたしなんかはとてもじゃないけど、怖くて怖くて。


 一歩降りるたびに、不気味なものに近づいていっているような気がしてならない。寒いのに、手やひたいに汗がにじんできた。


「ふーふふん」


 なんて鼻歌まじりに歩いているほうがどう考えたっておかしいんだ。マイノリティなんだ。


 わたしをペチャンコにするかのような恐怖を考えないようにしていたら、あっという間に、扉までたどり着いた。


 そのとびらは、金庫室か、核シェルターみたいに分厚くて頑丈そうな見た目をしていた。鍵穴はなくて、場違いなドアノブがくっついていなければ、宇宙船のシャッターかと思うほどにつるつるだ。


 扉にはわたしたちの姿が映っている。


 ビクビクした様子でカメラを構えているわたしと、その前に立つリラックスした夏子さま。落ち着き払ったお嬢さまを見ていると、怯えているのがバカらしくなる。……なるだけで、体の震え、動悸どうきは止まらないんだけどね。


「開けますわよ。よろしくて?」


 わたしは無言で頷く。カメラも故障してないし、むしろこんなこと早く終わらせて、ベッドに潜り込みたい。


 カメラを見、わたしを見た夏子さまはにっこりと笑った。


 石かってくらいガチガチに緊張しているわたしを心配するかのように。


 その優しさが今のわたしにはありがたかった。


 再度カメラを見た夏子さまは、扉をじっと見つめて。


 コンコンコン。


 もしもノックの美しさを競う世界大会があったのならば、審査員が全員10点満点を出すかのようなノックの音が響きわたった。


 またかよ、と思うかもしれない。またです、はい。


 というか、夏子さまは扉の先にどんな悪霊・妖怪・怪物・邪神がいたとしても、ノックをするのをやめないだろう。


 どんな時だって礼儀正しく。


 それが夏子さまのダイヤモンドよりも硬い夏子さまのポリシーだから。


 ……わたし個人の意見としては聞き耳くらい立ててほしいところですけど。


「ごめんくださいまし」


 ゆるりとしているようで芯のあるその声は、たしかに扉の向こうまで届いたと思う。


 でも、やっぱり返事はなかった。


 分厚い扉のせいなのだろうか、あるいはそこに誰もいないから? 


 誰かがそこにいて、隠れているのではないか――なんて夏子さまは考えない。いや、考えてはいてもなお、先へ進もうとする。たぶん、お嬢さまの辞典には「好奇心は猫をも殺す」という金言はないんだ。


 夏子さまはノックした手で、ノブをつかみ、ひねった。


 何の抵抗もなくノブは回り、わたしたちを蘆屋邸あしやていの最深部が出迎えた。

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