アシヤ・クライシス 8
足なんて飾りですと言わんばかりに宙に浮いたその人は、手をだらりと前に下げている。純白の死に
テンプレート的幽霊とはいえ、全身に
当の夏子さまは、
「ごきげんよう!」
腹の底から響く、元気な挨拶をしていた。
その顔にはいつなんどき、幽霊に会おうが鬼に会おうが変わらない微笑みがあった。
太陽のような挨拶を受けて、さしもの幽霊も
まさか、あいさつをされるとは思わなかったんだろう。ここ数年、幽霊屋敷という屋敷に夏子さまといったわたしが言うのだから、幽霊にとっては天地がひっくり返るほどの驚きだったに違いない。
その幽霊は、
不意に、背をむけて動きはじめる。
調子のいい挨拶をした夏子さまの方ではなくて、むしろその反対。まるで逃げるかのようにしずしずと幽霊の背中が小さくなっていく。
「お待ちになって」
と、夏子さまは幽霊のあとを追う。といっても、走ったりはしない。
「に、逃げちゃいません?」
ゆったりとしすぎなんじゃなかろうかって、いつも思う。でも、夏子さまは絶対に走らない。仮に地震雷火事親父が、同時多発的に発生したとしても、ドレスの裾を持ち、ももを上げるようなことはしないに違いない。
お嬢さまはキラキラ笑顔を振りまいて、
「逃走するつもりだったら、最初から現れないと思いませんこと?」
そうかもしれない。でも、脅かそうとした人が、まったく動じず、あまつさえパーフェクトな挨拶をやってきたら、だれだって
夏子さまは、幽霊を追いかけていく。もちろん、ゆっくり散歩感覚で。
土間に戻ると、幽霊がいた。
ほんとにわたしたちのことを待っているらしい。
「どちらに案内していただけますの」
と、のほほんとした口調で夏子さまは聞く。そのたび、幽霊がびくりと震えているように見えるのはわたしだけなんだろうか。
気の毒な幽霊は返事をすることなく、ふたたびホバー移動を行ってダイニングの方へと消えていった。
そんな感じで、逃げる幽霊を追いかけてたどり着いたのは、あの
ふすまをすうっとすり抜けた幽霊に、眉ひとつ動かさず、夏子さまはふすまを開いた。
部屋の中心には、幽霊が立ちつくしている。ふすま側に立っているわたしたちに背をむけるような
ちょっと冷静になって、その幽霊を見てみる。まるまった背中には、天の川みたいにつややかな髪が流れている。それがぼんやり光ってるものだから、まさしくミルキーウェイ。
たぶん、女性なのかな……体の線もまるっこいし。
「ちょっとよろしくて?」
なんて、友達にしょうゆをとってもらうみたいに気安く、夏子さまは問いかける。その方幽霊なんだけどなあ。地に足ついていないんだけどなあ。
でも、夏子さまはそんなの気にしない。
幽霊の影(そんなものがあればだけど)を踏めるような距離まで近づいていく。
逃げるように幽霊は離れていき、仏壇の前でピタッと止まった。
壁があるから、逃げるのを諦めたのだろうか。……そんなまさか。さっきだって、ふすまをすり抜けていたではないか。
それなのに、じっと仏壇の前から動こうとしない。
「そこに、なにかありまして?」
夏子さまの問いかけに、幽霊がうなづいたいたように見えた。単にぼんやりと光を放つ
不意に、フッと光が
見えない誰かに息を吹きかけられたロウソクのように、幽霊が消失した。
いきなり現れて、いきなり消えた幽霊……肌が
でも、夏子さまは違う。そんなの単なる風のしわざに違いないとばかりに、仏壇へと歩み寄っていく。
「なるほど」
何がなるほどなんだろう。後ろからだと夏子さまの影になって仏壇はほとんど見えない。もしかしてだけど、幽霊による血文字のメッセージでも残されていたとか……。
夏子さまは仏壇に手を伸ばしたかと思えば、くるりと振り返る。
「どうやら先ほどの幽霊様は、これを教えたかったようですよ?」
お嬢さまの純白の手袋に包まれていたのは、古めかしい青銅色した小さなカギだった。
別にそのカギにデカデカとラベリングされていたわけじゃない。
でも、土蔵の床の扉をまさぐっている最中にあの幽霊は現れた。で、そいつはカギが
これを偶然だと片づけてしまうのは、脱出ゲーム苦手ウーマンのわたしでもできないよ。
そういうわけで、わたしたちは土蔵へとトンボ返り。あの四角い床下への扉を見下ろしている、というわけだった。
「いきますよ」
夏子さまの言葉に、わたしは頷く。すでにカメラのスイッチは入っている。止めるなって言われたって止めるつもりはない。
夏子さまは微笑みでもって返答とし、見つけたばかりの鍵を鍵穴へと差し込む。
穴にぴったり入って、くるりと回転。
カチャリ。
そんな音が、静かな空間へファンファーレのように鳴り響いた。
でも、どうやって開くんだろう?
そう思っていると、夏子さまがカギを持つ手に力をこめた。そのぷにぷにの二の腕のどこに力があるのかわからないほどたやすく、扉は上へ上へと上がっていく。
お嬢様だからといって、箸より重たいものが持てないというわけでもないらしい。いや、知ってはいたんだけどね。
開いた先の空間には、闇が広がっている。ペンキをひっくり返したようなのっぺりとした闇。どこか電気がついてる場所はないのか。
「電気は止まっていますから」
前もって調べているから、わたしだって知ってるんだけどさ。いつまでもどこまでも真っ暗だと気が
「ですけれど。ここで終わりだと思いますよ」
と言って、夏子さまは闇に光を向ける。床下に広がる空間は、当然のことながら宇宙船でも宇宙人が行き来するターミナルでもない。
こぢんまりとした空間だ。わたしが身をかがまなければならないくらいに小さいから、本当にちょっとした物置って感じ。
わたしたち二人が下りちゃうと、もうぱんっぱん。撮影どころじゃない。
二人分のライトで、狭い部屋は真昼みたいに明るかった。ここまで明るくしろとは言ってないんだけど。
中には何もない。ものも置かれていない。
ただ、またしても床に鍵穴があった。
「また、ですか」
思わずわたしは呟いちゃった。だって、また地下にいかなきゃってことでしょ? それに、こんな感じで隠されている先にはロクなものがあるわけがない。
「みたいですわねえ」
なんて夏子さまは言うけれど、わかってないわけがない。それでも
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