アシヤ・クライシス 4

 滑り落ちるんじゃないかって不安になるような階段を、うようにしてなんとか下りきったわたしは、シャキンと背を伸ばした夏子さまをローアングルから撮影する。


 急な階段もなんのその、お嬢さまは体幹も素晴らしい。対してわたしは……なんて思ってしまうのは、同性だからかも。わたしと夏子さまはメイドとお嬢さまで、くらべる必要性はないのに。


 スタイルはいいし、顔はいい、それにお金持ちだ。天は二物を与えず、なんて言うけれどそれは嘘だ。だって、目の前でにっこり微笑む夏子さまは、三物どころか四物くらいはもってそうだもん。


「ゴーストをバスターしたいものですけれど、どちらにいらっしゃいますの」


 なんて歌うように言う夏子さまは、ちょっとした欠点なのかも。でも、10000カラットはありそうなダイヤモンドに多少の傷があったってそれが何だって話。


 ゴーストバスターだなんて肩書を放り投げたら、今すぐにでも男どもに腕を引っ張られて大岡裁きのようになるに違いないよ。男に言いよられている夏子さまなんて、わたしは見たくないけれど。


 それに、夏子さまは除霊をはじめとしたオカルティックなことをやめないような気がする。そうして、わたしは夏子さまとゴーストに振り回されるってわけ。前者はともかく、後者はノーサンキューだ。


 わたしが願望めいたものをこねくり回しているうちに、カメラの中の夏子さまは、玄関の方へ。


「こちらにはお化粧室とお風呂がございますの」


 夏子さまは玄関から正面に伸びる廊下ではなく、左へ伸びる方へとズンズン進んでいく。


 その背中を撮りながら、トイレ横の洗面台へ。


 ホコリの積もった白い洗面台の上には、りところどころ赤茶けた鏡があった。


 わたしの顔が映らないほどに、ぼんやりとしている。寝起きだった、わたし以外の誰かがこっちを見つめているように思ってしまうかもしれない。


 中から幽霊やらバケモノやらヒーローやらが出てくるんじゃないかと思って撮影したけれど、なーんもなし。


 わたしは浴室へと向かっていった夏子さまを追いかける。


 浴室はガワだけなら今のそれと変わらない。


 でもよくよく見るとすぐに違いがわかった。


「シャワーがありませんね。それにカランも水しか出てこなさそう」


 カランは蛇口のことで、ここではホテルとかにありがちな赤と青のやつを指している。いい塩梅に調節するのが激ムズなアレさえない。銀色の三角形じみたカランひとつしかなかった。


 黒い浴槽よくそうは割かし大きい。わたしだけでなく、魅惑みわくの八等身スタイルの夏子さまであっても優雅ゆうがに脚を伸ばして湯につかれる広さっていうとわかりやすいか。


「あ、浴槽の底の方に何かありますね」


 夏子さまの横から浴室を覗きこんでみる。


 浅めの浴槽の底では、格子状の板がちはてていた。たぶんすのことかじゃないかな。


五右衛門風呂ごえもんぶろだったらしいですので、底が熱かったのしょう。その対策ですね」


 今ではレッドデータ入りしてしまった、五右衛門風呂。火をいて浴槽そのものを熱するんだけど、まきやら石炭を燃やさなきゃだからもー大変。


 おじいちゃんちでやったときは、金太郎よろしくまさかりをかついで薪割りする羽目になるわ、熱しすぎてゆでだこになるわ……。


 なんてことを思っていたら、夏子さまがわたしのことをじっと見ていた。


「おーい、もしかして幽霊でも見てしまったのかしら」


「い、いえ」


 子どものころの思い出に浸っていたなんて言えなくて、わたしはコホンと咳払い。


 あぶないあぶない……幽霊じゃなくて、夏子さまのご尊顔そんがんに心臓が急停止するとこだったよ。




 浴室には何もなく、トイレにも何もなかったので、省略。


 ちなみに浴室の窓は、やっぱり外側から板を打ちつけられていた。まあ、ここの窓が開けられたとしても、土蔵の中が見えるだけで風情もなんにもないんだけど。というか、なんでそんなとこに風呂をつくったんだって話だ。


「では、次はダイニングへ向かいましょう」


 真っ暗な廊下を玄関まで引き返す。それから、廊下を突き当たりまで進む。


 スライドドアを開ければ、ダイニングだ。


 ダイニングは、仏壇ぶつだんの置かれていた部屋ほどは広くない。四人家族がテーブルに座ってだんらんを楽しめるだけの広さはあった。


 また奥の方にはシステムキッチンが置かれており、台所もねているみたい。


 だけども、今この瞬間には家族のだんらんはなく、カレーのいい香りがすることもない。あいかわらずのホコリっぽさが充満されていた。


「ここがダイニングです。水は……流れません。ガスも」


 カチチチチとコンロのノブを回しても、火がつくことはない。ガスも水道も通じていないことはすでに確認している。それでもついたとしたら、異常だ。


 ……そんな異常を夏子さまは探してるんだけど。


「お皿とか包丁だとかは前の持ち主が持っていったようですね」


 そうそう、とシンクの上のホコリを見つめながら、夏子さまが言った。


「前の持ち主といえば、競売にかけられた後にこちらのお屋敷にやってこられた方々で、蘆屋邸あしやていとは縁のゆかりもないそうです」


 話しながら夏子さまは、体の前で両手をつなぎ、わたしのカメラへ目線を投げかけてくる。悩ましい、吸い込まれるような視線を。


「その方々はどうなったと思います?」


 ……………………。


 三点リーダ8つくらいのが沈黙が流れていく。


 その間、わたしの心臓はバクバクのドッキドキだった。今心拍数を測ったら、医者が目玉を飛びだたせるくらいには高速で脈打っていたと思う。じきに心臓は胸郭きょうかくからロケットのように飛びだしていくに違いない。


 でもその前に、夏子さまのぷるぷるの唇が動いた。


「不幸にも亡くなられてしまったのです」


 目を伏せがちに夏子さまが言う。この時ばかりは、わたしもお嬢さまが見目麗みめうるわしい、とは思ってられなかった。


 不謹慎ふきんしんであるし、そら恐ろしいものを感じずにはいられなかったんだ。


 前もって調べておいたことをまとめるとこういうことになる。


 夏子さまの友人がいて、その方は不動産屋さんをやっていた。で、安くで買ったのがこの屋敷を含めた蘆屋家の土地なんだとか。確か、相場の10分の1にも満たない額で購入したはず。


 そんな陰気な屋敷は、腐っても鯛というか、その大きさを目当てにやってくるご家庭がいるんだそう。確かに大きさだけなら豪邸と言わないまでも立派な家には違いない。

 

 しかも、月5万もしないんだからやってくるお客はいる。……長居する人は少なかったらしいけれど。


 ある時、4人家族がやってきて、ここで暮らしはじめた。それが数年前のこと。


 住みはじめて1か月で、いろいろなことが起き、4人はこの世からいなくなった。


 轢死れきし、転落死、感電死、行方不明……。


 程度に差はあれ、亡くなってしまったことには変わりない


「こちらの屋敷で起きたことではありません。けれど、その4人はここに住んでいたご家族なのです。……関係ないと考えるのが無理だとは思いませんこと?」


 そんなこと、たずねられるまでもない。


 偶然と考える方が無理だ。なにか関係性を感じずにはいられない。


「疑っている方は、ここに幽霊が出ると知っていてもそう言えるのでしょうか」


 と、夏子さまは口元をきゅっと結んで言った。別にすごんでいるわけでもないのに、ウッと声が漏れちゃいそうな圧迫感がある。


「幽霊がいる――そうわたくしのご友人に訴えたのは、その家族の方なのですから」

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