第20話 ダンジョンは嗤い、探索者は嘆く
「実は、『
正面に座るミスティの言葉に、アローは眉を寄せる。
「危険ではあります。ですが、最悪の異常事態『ダンジョン崩壊』と並ぶ程ではありません。ですが、『異常強化』はトップクラスに危険な異常事態と呼ばれています。その理由は、『異常強化』に付随して発生する異常事態が原因です」
ミスティは一つ呼吸を置いて、血色の瞳を真っ直ぐ見つめる。
「先ず、前提として、魔物とモンスターは全くの別生物という事をご存じですか?」
「如何云う意味だ」
「魔物とは、静獣が大量の魔素を摂取し、体内に魔石を生成した生物です。いうなれば、静獣が進化した存在です。一方で、モンスターとは、ダンジョンが産み出した生物であり、その肉体の大半は魔素によって形成されています」
無言で続きを促すアローに、ミスティは真剣な表情で言葉を続ける。
「つまり、ダンジョンとは、大量の魔素を保有する母体であり、その魔素を使用してモンスターを産み出しています」
「成程。其れで、斃したモンスターはダンジョンに吸収される訳か」
「はい。そして、ダンジョンが保有する魔力には上限があります。探索者がモンスターの魔石を持ち帰り、ダンジョンの総魔素量が減った場合、
アローは何かを考えているようだが、構わず続ける。
「それを踏まえたうえで、『異常強化』とは、ダンジョンから高ランクのモンスターが産まれるのではなく、既に産まれているモンスターが大量の魔素を吸収し進化する事を指します」
「ダンジョン内の魔素には上限が有るのでは無いのか」
「その通りです。つまり、『異常強化』が起こっている時、ダンジョン内には上限を超える魔素が存在している、という事です。そして、進化したモンスターが倒され、ダンジョンに吸収された時、ダンジョンは許容量を超えた魔素を吸収してしまいます。その時に起こる現象は二つ」
既にその先を理解したのか、アローは苦々し気に表情を歪める。ミスティも苦笑しながら、答え合わせを行う。
「一つはモンスターの『
想像した通りだったのだろう。アローは腕を組み、苛立たし気に舌を弾く。
「『昇華』したダンジョンが初めに産み出すのは、
*
ビキビキ、と絶望の足音が近づいてくる。ダンジョンが啼いている。全身が粟立つ。
勇者時代にも体感した事のない、震える程の悪寒。本能が全力で警鐘を鳴らしている。しかし、私の体は動かない。
パラパラ、と小石が降って来た。見上げると、天井に亀裂が入っていた。それは瞬く間に広がり、直径五〇メルトを超す天井の三分の一程を支配する。
それを目にした事はない。しかし、本能で理解した。
モンスターが産まれる。
直後、天井が割れた。
「なっ! 入口が!」
降り注ぐ瓦礫によって入口が塞がれてしまった。こうなってしまっては、新たに産まれるモンスターを倒す他ない。
天井から影が落下する。巨大な影は、音も無く軽やかに着地した。
ブワッ、と全身から汗が噴き出す。
知らない。こんなモンスターは知らない。コボルト種ではあるのだろう。コボルトジェネラルより、明らかに上位の個体。
体長は五メルト程。漆黒の毛並み。コボルトジェネラルの鎧のような分厚い筋肉と比べると、その体は薄い。しかし、凝縮された肉体は決して劣る者ではないと、圧倒的な存在感が証明している。
割れた天井から、闇を食らったような純黒の剣が、モンスターの目の前に振って来る。剣、といっても、五メルトを超すモンスターにとっての、なので、剣身だけでも三メルトを越えている。
銀の瞳がその剣を認め、ゆっくりと地面から引き抜く。
堂々たる威風。覇王の風格。正に皇帝。コボルトエンペラーとでも呼ぶべきか。
地面が揺れている。否、私が震えているのか。
濃密な死の予感。こんなものを感じたのは初めてだ。だが、私は死ぬわけにはいかない。何故なら、
まだアローを抱いていない!
こんなことなら、もっと早く抱いていれば良かった、とは思わない。コイツを倒して、思う存分抱けばいい。
震え? とうに止まった。
死の予感? 気のせいだ。
私は、自分の想いを自覚した。もう、自分を誤魔化したりしない。私は、アローを愛している。アローを守りたい。アローを抱きたい。一生隣に居てほしい。他の女には触れさせない。アローは私だけのモノだ。
皇帝? フッ、それがどうした。私のアローは魔王だ。
そして、私は、唯一魔王と肩を並べる事のできる存在、勇者だ。
ああ、嘆かわしい。実に嘆かわしい事だ。お前を倒す雄姿を、アローに見せられない事がな。
と、粋がってはみたものの、現実はそう甘くはない。
「【ゾルトラスイーラ】」
出し惜しみをしている余裕などない。極大の雷撃を放ち、同時にコボルトエンペラーを囲うように四つの魔法陣を展開する。
四方向から同時に【ゾルトラスイーラ】を放つ。轟音と共に、膨大な砂埃が舞った。
ヒュン、と軽やかな風を切る音。直後、暴風が吹き荒れる。魔力障壁が反応する程の風圧。砂埃は散り、無傷のコボルトエンペラーが現れる。
想像はしていた。まだ、想定内だ。
「【ディアコル」
氷剣を作り出すよりも早く、コボルトエンペラーが肉薄する。
一〇メルト以上離れていた筈だ。想定以上のスピード。しかし、咄嗟に二枚の障壁を張る事はできた。常時展開している障壁と合わせて三枚。
一振りで砕かれた。
凄まじい衝撃が左半身を襲う。それを知覚した時には、五メルト先の壁に激突していた。
「ガハッ!」
肺の中の空気を強制的に吐き出され、意識が暗転しかける。しかし、全身を襲う激痛がそれを許さない。
「ははっ」
最早笑えてくる。ここまで圧倒的とは。だが、私を絶望させるには足りないな。
きっと、アローはここに来る。来てしまう。
その時、無傷のお前を見られたら、恥ずかしくて死んでも死に切れん。
「せめて、腕の一本くらい、冥途の土産に貰って行くぞ」
無理やり口元を歪める。コボルトエンペラーも笑った気がした。
始まったのは、蹂躙だった。
どれだけの時間が経っただろうか。時間の感覚どころか、体の感覚すらあやふやだ。未だ意識を保っているのも奇跡に近い。というか、意地だ。
コイツとは相性が悪すぎた。決して、私が弱いわけではない。
一本一本が鋼鉄のような毛皮は雷魔法を防ぎ、今の私の膂力では皮を裂く事すらできない。奴の片目を奪った事を褒めてほしい。
目玉一つか。まあ、あの駄女神への土産なら丁度良いだろう。
ゆっくりと、コボルトエンペラーは歩み寄る。私の目の前で立ち止まり、銀の瞳で私を見下ろす。その瞳は、まるで敬意を宿しているようだ。
モンスターの癖に生意気な。だが、私の唇は自然と笑みを形作っていた。
純黒の剣が振り上げられる。
あーあ、せめて、アローの胸だけでも揉んでおけばよかった。
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