第19話 魂に刻まれた記憶
階層型ダンジョン最下層最深部、通称ボス部屋。ダンジョンによって大きさは様々だが、『コボルト迷宮』のボス部屋は、直径五〇メルトを超す広大な
ダンジョン内最強のモンスターだけが存在を許される空間。そこに足を踏み入れる。
部屋の中央に鎮座する一体のコボルト。通常のコボルトやコボルトソルジャーの体長は一メルト程。しかし、このコボルトは座った状態で二メルト近い。立ち上がれば三メルトを越えるだろう。
艶やかな赤黒い毛皮と分厚い筋肉。地面に突き立てられた黒い大剣。灰の瞳が私を見据え、口元には獰猛な牙が覗く。
大剣の柄を握り、ゆっくりと立ち上がる。
コボルトジェネラル。コボルトソルジャーの上位種、ランク3のモンスターだ。
やはり、というべきか、ボス部屋で待ち構えていたのは、ランク3のモンスターだった。
見た所、私より先にここに到達したパーティーはいないようだ。つまり、私がコイツを倒せば、この異常事態は解決である。
彼我の距離は約一〇メルト。魔術師の距離だ。
「【ゾルイーラ】」
挨拶代わりの一撃にコボルトジェネラルは反応できない。否、反応しない。
中位魔法の直撃も無傷。僅かな痛痒すら感じていない。
あの毛皮だ。あれが魔法を完全に防いでいる。面倒だな。だが、脅威には及ばない。
私の魔法を防いだ事で気を良くしたのか、コボルトジェネラルは牙を剥き地を蹴る。数歩で距離を詰め、大剣を振りかぶる。
闘気の少ない私の身体能力は、一般人に毛が生えた程度。回避は叶わない。
ガキンッ、と黒い大剣は透明な壁に阻まれる。しかし、その威力は凄まじく、魔力障壁に罅が入る。
一発耐えられれば十分だ。二撃目が届く前に障壁を張り直す。これで奴の攻撃は私に届かない。
しかし、こちらの魔法が通用しない以上ジリ貧——とはならないのが私だ。
「【ディアコルドス・ソルース】」
私の右手に氷の剣が握られる。中位氷魔法で生み出す
久しぶりの感覚に気分が高揚しているのを自覚する。
少し物足りないが、心地よい重み。あの時の身体能力は無い。しかし、この魂に刻まれた戦いの記憶は、肉体が変わろうとも失われる事はない。
黒い大剣が透明な壁を砕く。コボルトジェネラルがニヤリ、と笑った。障壁を貼るのが間に合わなかった、とでも思ったのだろうか。
希望を見せてしまったようで申し訳ない。障壁はもう必要ないから貼らなかっただけだ。
ただ力任せに振り回すだけの剣を避けるのに身体能力など必要ない。
振り下ろされる大剣。剣身だけでも私の身の丈を越えるそれは、半歩動くだけで空を切る。目標を失った大剣は地面に叩きつけられ、飛び散った石片が頬を切った。
コボルトジェネラルは何が起こったのか理解できない、というような表情だが、安心しろ、何も起こっていない。何か起こるのはこれからだ。
右手に握る氷剣を振り抜く。数本の毛が散るものの、分厚い筋肉の鎧に阻まれる。
今の私の膂力では、この鎧を切り裂く事はできないか。ならば、狙うは関節部。だが、当然そこを狙うのは容易ではない。私以外ならな。
右上からの袈裟斬りを、剣の腹を滑らせ受け流す。大剣は地面を叩き、私は目の前にある右肘関節を斬りつける。
「グギャァァ!」
モンスターの悲鳴が轟き、赤黒い毛皮を鮮血が染める。
痛がっている所申し訳ないが、隙だらけだ。左膝関節を斬りつけると、コボルトジェネラルは膝をついた。
おいおい、この程度で膝をつくとは。ボスとしての自覚は無いのか。全く、これだから、最近の若いもんは。魔王軍の幹部は、手足を斬り落とされようが向かってきたぞ。
左肘関節を斬りつけると、更に悲鳴を上げる。右膝関節を斬りつけると、悲鳴を上げなくなった。
これでは、弱い者いじめをしているみたいだ。もう、終わらせよう。
突き立てた大剣の鍔に右足を乗せ、左足をコボルトジェネラルの肩に乗せる。既に戦意を失っているコボルトジェネラルの耳を掴み、顔を上げさせる。無様に開いた口に氷剣を突き刺す。そして、
「【ゾルトラスイーラ】」
魔力が氷剣を通り、切っ先から雷撃が放たれる。コボルトジェネラルの体内を雷が駆け巡り、関節部の傷から
上位雷魔法の威力は凄まじく、ランク3のモンスターを一瞬で焼き焦がした。
余裕の勝利——というわけではない。コボルトジェネラルの攻撃は、一度でもまともにくらっていれば戦闘不能に陥っていただろう。防御面も、氷魔法が使えなければこちらの攻撃が届く事はなかった。
脅威と呼ぶ程ではなくとも、厄介な敵ではあった。
ともあれ、勝ちは勝ちだ。戦利品を頂くとしよう。
コボルトジェネラルの体内から魔石を取り出そうとすると、ドロリ、とその体が溶けるように地面に沈んでいった。
ダンジョンに吸収された? 馬鹿な。死んだモンスターがダンジョンに吸収されるには数時間は掛かる筈。
直後、ゴゴゴ、と不気味な音が聞こえて来る。
地面が揺れている? 否、ダンジョンが震えている!?
それは、子供を殺された母の悲しみか、或いは——
そして、私の鼓膜を揺らす、絶望の産声。
ビキビキビキ
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