第12話 ディスコミュニケーション
探索者は金が掛かる。ポーションや食料、水、そして携帯トイレ。必須の消耗品だけでも、一度の探索で一〇〇〇リアは掛かる。
水は魔法で出せると思うかもしれないが、魔法はそこまで万能ではない。魔法で出した水というのは、魔力が水の形を取った物でしかない。そんな物を飲んでしまったら魔力中毒を起こしてしまう。
汚れを落とすくらいならできるが、飲み水は別で用意しなければならない。
そして、携帯トイレ。当然、ダンジョン内にトイレなど無い。人によってはお構いなしにそこらで済ませる者もいる。というか、そちらの方が多数である。
ダンジョン探索は命懸けだ。できるだけ多くのポーションや食料を持ち込みたいと思うのは当然の事だ。携帯トイレにリソースを割きたく無いという心情を責める事はできない。
その為、ダンジョン内での生理現象に基づく行為を咎めないというのは、探索者内での暗黙のルールとなっている。一方で、それを見られても文句は言えない。
そんなわけで、携帯トイレは必須とはいえないかもしれないが、私は探索者である前に女だ。
ダンジョンで性別を気にするなんて、探索者の資格は無い、という者もいるが、私はそうは思わない。ダンジョンという非日常だからこそ、そういった当たり前の事を忘れてはいけない。
そうしなければ、非日常が日常になった時、戻る事ができなくなってしまうから。
人間には肉体的な限界があり、一生探索者を続ける事はできない。探索者を引退した後まともな生活を送る為にも、そういった常識は大切にしなければならない。
特に、羞恥という感情は失ってはいけない物だ。それを失い、人間としての尊厳を無くした者を、前世ではよく見た。
そういった理由で、私にとって携帯トイレは必須アイテムである。
それ等に加えて、武器防具の整備、新調にも金が掛かる。宿代もあるし、食事も取らなければならない。
更に、私達は一週間以内に探索者カード発行手数料の一〇〇〇リアを払わなければならない。この世界の一週間は六日。期限はあと五日。
宿と食事代は最低でも一五〇〇リアは掛かる。五日で一〇〇〇リアを稼ぐには一日二〇〇リア。つまり、一日最低でも一七〇〇リアを稼がなければならない。
今の私達では、食料や携帯トイレを買う余裕はない。ダンジョンを探索していられるのは、半日が限度だろう。
端的に言うと、崖っぷちである。
そんなわけで、私達は今、ダンジョン前の休憩所で作戦会議を行なっている。『コボルト迷宮』等、利用者の多いダンジョンでは、
「先ずは、昨日の反省点だ。お前は前に出過ぎだ。相手が弱い内はそれで通用するかもしれないが、敵が強くなればそうはいかん。引く事を覚えろ」
「チッ……まあ良い。勇者様の御言葉だ。素直に頷いておこう」
「お前、馬鹿にしているだろう」
まあ、素直に聞いてくれるのなら良しとしよう。
「貴様は、何故魔法陣を使わない?」
「魔法陣? そんな物を使っていたら、発動が遅れるだろう」
「はあ? 何を言っている? 魔法陣とは、事前に展開しておき、魔法を待機状態にしておく為の物だぞ」
「は?」
お前が何を言っている? そんな事をするのに、どれだけの魔力と魔力操作技術が必要になると思っている。
しかし、確かに魔王時代のコイツは、数百の魔法陣を同時に展開し、時間差で魔法を発動させていた。今思えば、あれはとんでもない技術だったのだな。
「お前、本当に凄い魔王だったのだな」
「今更気付いたか、愚か者め。だが、ワタシは寛大だ。今からでも平伏す事を許可する」
「平伏すか! そもそも、お前は私に負けているだろう! お前が私に平伏せ!」
血色の瞳が怪しく光り、獲物を狙う蛇のように私を見据える。
「ククク、王を跪かせる事の出来る者は伴侶だけだ。貴様が私の妻になるというのなら、膝を突き其の手に口付けを落としてやるぞ?」
「…………………………今はそんな話はしていないだろう!」
「相変わらず、長い葛藤だな」
別に心を揺らされてなんかいない。私の前に跪くアローの姿を想像なんてしていない。アローとの嬉し恥ずかし甘酸っぱい新婚生活なんて想像していない。
おのれ魔王。こんな幻覚を見せるとは、小癪な。だが、私は勇者。この程度の幻覚、破るまでもない。やはり、ペットは犬より猫だろう。
「そ、そんな事より! そろそろダンジョンに入るぞ!」
「何を赤くなっている?」
「赤くなんてなってない!」
頭上に展開した魔法陣から雷撃を放つ。一条の雷光はアローの真横を通り、対峙していたコボルトを焼き焦がす。魔力操作で放電を制御しているので、アローが巻き込まれる事はない。
背後にいたもう一体のコボルトは、目の前の仲間が斃れた事に動揺し、致命的な隙を晒す。その隙をアローが見逃す筈もなく、一振りの元、その命を絶つ。
剣を鞘に納めたアローは、勢い良くこちらに振り返る。
「貴様、またワタシに当てようとしたな」
「当てようとはしていない。当たりそうになっただけだ」
「同じだ。貴様は後ろからワタシの動きを見ているのだから、ワタシに合わせろ。ああ、貴様如きにはワタシの動きを追う事も出来ないか」
人を舐め腐った嘲笑をアローは浮かべる。それすらもどこか愛嬌があるのだから、この顔は反則だと思う。
「舐めるな。お前の動きなど全て把握している。その上で当たりそうになっただけだ」
「尚悪いではないか。ノーコンめ」
「フッ、馬鹿め。敵には当たっているのだから、私はノーコンではない!」
「馬鹿は貴様だ。己の魔法で味方を危険に晒す魔術師が何処に居る」
ダンジョンに入って三度目の戦闘だったが、毎回こんな言い合いをしている。
確かに、すぐ横を魔法が通過するのは恐怖かもしれないが、当たっていないのだから良いだろう。それに、私にだって言い分はある。
アローの動きは出鱈目過ぎて予測できないのだ。私に剣士の経験があるから、余計にセオリーを無視した動きに惑わされてしまう。
ただ、それが悪い事かというと、そうともいえない。アローの動きは魔術師の事を考えたものだ。
恐らく、自分が魔術師だったから、前衛にしてほしい動きというのを理解していて、それを体現しているのだろう。
つまり、どちらかというと私の方が悪いともいえる可能性が僅かにある、という事だ。
これを解消するには、私がアローの動きに慣れるしかない。
ともあれ、今日は無傷で五体のコボルトを倒した。あと二体も倒せば、目標の一七〇〇リアに届くだろう。
ダンジョンに入って一時間程。一度休憩を挟み、もう一時間程探索をしたらダンジョンを出る。
ダンジョン探索において重要なのは、自分の体力と集中力を正確に把握する事だ。特に、精神的な疲労による集中力の低下には注意しなければならない。
こういった判断は私に任せてくれている。剣士と魔術師で体力に大きな差があるからだろうが、それにしても、かなり余裕を持った私の判断にも文句を言わず従っている。
憎たらしい奴ではあるが、素直な所もあるし、私の事を信頼してくれているようにも思える。
何故なのか。私にはコイツの考えている事がわからない。それが、凄く不安になる事がある。
コイツにとって私は仇でもある。全部私の勘違いで、私の事を恨んでいるのかもしれない。いつか、復讐しようと考えているかもしれない。
確かめなければならない事なのだろう。しかし、私にそれを確かめる事はできない。何故なら、隣に感じるこの体温を心地良いと感じてしまっているから。これを失ってしまう事を、私はひどく恐れている。
勇者ともあろう者が魔王を相手に情けない。だが、これで良いのかもしれない。だって、コイツはもう魔王ではないし、私も勇者ではないのだから。
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