第11話 勇者は愛を欲していた

 彼女は、生まれながらにして勇者だった。

 運命の女神より使命を賜った彼女を、世界は祝福した。


 彼女は人々を愛した。世界を愛した。されど、彼女は愛されなかった。大き過ぎる力を、ある者は畏れ、ある者は利用しようとした。

 それを知りながら、彼女は戦った。強き者の務めとして、弱き人々を、愛する世界を守る為、戦った。どれ程の困難が立ちはだかろうとも、どれ程の孤独に苛まれようとも、彼女はただ一人剣を振るい続けた。


 遂に、彼女は世界を覆う闇を討ち払い、世界に平和を齎した。それでも、彼女は愛されなかった。

 世界を救った勇者は、大罪人として処刑された。裸に剥かれ、磔にされるその時まで、彼女は人を愛していた。


 何故、彼女はそれ程までに人を愛したのか。それは、愛されたかったから。

 愛を欲した彼女を愛する者はいなかった。ただ一人を除いて。


 本当は、彼女はそれに気づいていた。しかし、彼女は死してなお勇者だった。

 鋼の理性が気づかないふりをする。

 認める訳にはいかない。何故なら、彼女が何よりも欲した愛を与えてくれたのは、彼女がその心臓に剣を突き立てた、かつての宿敵だったから。

 そんなに都合の良い話がある筈がない。


 なにより、彼女は恐れていた。この、偽りの甘露が壊れてしまうのを。事実を知らなければ、偽りこそが真実となる。

 気付いてしまえば、彼女は事実を確かめてしまう。そうすれば、この偽りは壊れてしまう。


 だから、彼女の理性は気づかないふりをする。

 それでも、もし、何かの拍子に彼女が理性を手放したら——



 *



「おまえりゃー! もっとしゃけをもってこーい!」


 椅子の上に立ち、テーブルに片足を乗せ、空になったジョッキを掲げ、少女は高らかに叫ぶ。少女の足元には、顔を真っ赤にして倒れた男達。死屍累々といった様相だ。


 ふと、少女は何かに気づき、美しい金色の髪を振り乱しては涙目になる。


「ありょー? ありょー、どこぉ?」


 迷子になった幼女のような弱々しい声は、周囲の喧騒に掻き消され、探し人には届かない。


「ありょー、どこいったのぉ? あっ! ありょーいたぁ!」


 離れたテーブルでジョッキを呷る相棒を見つけ、少女は一目散に駆け出す。その勢いのまま背後から抱き着き、額をぐりぐりと押し当てる。


「ありょー、なんで? なんでわたしからはなれりゅの? わたしのこときりゃいになったの?」


 突然の衝撃で溢れたビールを体に浴びたアローは、その表情に殺気を込めて振り返る。


「貴様が勝手に向こうのテーブルに行ったのだろう。そんな事より——」

「ごめんなしゃい! あやまりゅから! きりゃいになりゃないで!」


 アローの怒りを敏感に感じ取った少女——幼女と化したミアは、宝石のように輝く碧眼一杯に涙を溜め、縋るように両手でアローの服を掴む。


「貴様、酔い過ぎだ」


 その様子に怒りなどすっかり霧散したアローは、小さく嘆息しミアを隣に座らせる。


「ほら、水を飲め」

「ん……まじゅい。しゃけじゃない……」

「水だと言っただろう」


 呆れたようにコップを受け取るアローだが、口元には優し気な笑みが浮かんでいる。


「ちょっとちょっと! これがあのミアかい!? 可愛くなっちゃって!」


 ミアの隣にやって来たルービが、ミアの頭に手を伸ばす。バシン、とミアはその手を強く弾いた。


「にんげんがわたしにしゃわるな!」


 アローにしがみつき、フシャー、と子猫のように威嚇するミアを、アローは聖母のような微笑みを湛えながら頭を撫でてやる。


「昔色々あってな。コイツは人間を信用出来なくなってしまった。表面上は取り繕っている様だがな」

「ああ、アンタら孤児だって言ってたね」


 納得したようにルービは頷く。孤児である事は関係ないが、アローはわざわざ訂正したりはしない。


「コイツが本当の意味で信用し、信頼しているのは、此の世界でワタシだけだ」

「それは……ちょっと、重くないかい?」

「重いだと? 笑わせる。此の程度、世界の命運に比べれば軽い。それに——」


 ワタシの愛は五〇〇〇倍重い。


 言葉にはしない。その瞳に、その口に、その手に、ひたすらに愛を込める。

 ありったけの愛を込めた表情は、余りに美しく、余りに悍ましい。それを直視してしまったルービが言葉を失う程に。


 そんなアローの愛を正面から受け止め、ミアは無邪気に笑う。


「えへへ、ありょー、もっとなでてー」

「フッ、仕方の無い奴め。ほら、此処に座れ」


 ミアを膝の上に乗せ、その金糸のような髪を優しく梳く。心地よさそうに目を細めるミアは、やがてアローに体を預け、寝息を立て始めた。

 安心しきった寝顔を晒すミアに、アローはゴクリ、と唾を飲む。が、直ぐに頭を振る。


「コイツもこうなってしまった事だし、ワタシ達は宿に戻る。馳走になった。感謝する」

「いいのよ。何か困った事があったら、遠慮せず相談して頂戴ね」


 アローはミアを抱きかかえると、そこら中に死体のように転がる探索者達を蹴飛ばしながら、酒場を後にした。



 *



 頭が痛い。吐きそう。これが二日酔いというやつか。

 昨日は途中から記憶が一切無いのだが、私はどうやって宿まで帰って来たのだろうか。


 起きると私はベッドに寝かされており、隣でアローが寝ていた。コイツが私を運んでくれたのだろうか。


「ん……」


 アローが目を覚ました。のそのそと体を起こし、目を擦りながら私を見る。


「お前が私を宿まで運んでくれたのか?」

「……チッ」


 何故舌打ちした。そんなに私は重かったのか? いや、アローには闘気があるのだから、人一人くらいなんて事ないだろう。


「そんな事より、貴様、昨日の事は覚えているのか?」

「いや、酒を飲んだ辺りから一切記憶が無い」

「……そうか」


 何故かホッとした様子だ。昨日、いったい何があったのだ。聞いても何も教えてくれない。

 良く分からないが、とりあえず、私は二度と酒を飲まないと決めた。二日酔いしんどい。

 それなのに、この日以降、アローがやたらと私に酒を飲ませようとしてきた。


 おのれ魔王。そんなに私を苦しめたいのか。だが、私は勇者。二度と酒は飲まん!

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