第9話 最強は個故に最強

 ダンジョンには環境型と階層型の二種類が存在する。

 環境型ダンジョンは、一フロアからなる広大な空間で、森や砂漠、沼地に平原等、様々な環境のダンジョンだ。独自の生態系が確立されており、外界にはない植物や鉱物等も存在する。空があり、太陽のような物があり、昼と夜がある。そこは、一つの世界といっていい。

 階層型ダンジョンは、複数の階層からなる迷宮構造をしており、見た目は洞窟のようだが、明るく、空気は循環しており、火を使っても窒息するような事はない。最下層、最深部にダンジョンボスと呼ばれる、そのダンジョンで最も強いモンスターが待ち構えている。


 環境型ダンジョンは、探索者協会が定める特定のモンスターの討伐、或いは素材の採取によって、階層型ダンジョンはダンジョンボスの討伐によって、ダンジョンクリアと見做される。


 今回私達が挑戦する〈コボルト迷宮〉は、階層型ダンジョンで階層数は五。出現するモンスターはコボルト——二足歩行の犬のようなモンスターだけだ。

 正直物足りないが、初めはこんなものだろう。さっさとクリアしてランクをあげよう。


「では、ニャーはこの辺で失礼させてもらうですにゃ」


 私達をこの〈コボルト迷宮〉まで連れてきてくれたキティが、まるで厄介な客から逃げるように、この場を去ろうとしている。

 徒歩三〇分と、大した距離ではなかったが、偶然出会ったキティとをすると、快く馬車に乗せてくれた。魔物に襲われていた所を救ったとはいえ、ここまでしてくれるなんて、商人とは義理堅いのだなあ。


 因みに、あの時キティを置いて逃げた相棒とは、奇跡的に王都で再開したらしい。その為、今回はキティが馬車を引く事は無かった。


「ご苦労だったな、駄猫」

「めめめ、滅相もないですにゃ。ダンジョン探索、気を付けるですにゃ」


 キティはそそくさと去って行った。何をそんなに怯えていたのだろうか。ダンジョンの目の前とはいえ、ゲートからモンスターが出てくるわけでもないのに。


 それはさておき、いよいよダンジョン攻略の始まりだ。ここまで随分と長かった気がする。

 高さ三メルトを超す両開きの門、通称異界門ダンジョンゲート。ダンジョンは正しく異界。そことこの世界を繋ぐ門、異界門。この門を潜れば、そこはモンスターの跋扈するダンジョンだ。


「覚悟はいいか」

「フン、誰に聞いている」


 二人で手をつき、同時に門を開いた。



 ダンジョンに入って一〇分。未だモンスターとの遭遇エンカウントは無い。


 前を歩くアローが不意に右手を上げ立ち止まる。事前に決めておいた、モンスター接近の合図だ。

 アローは三本の指を立てる。数は三。まだこちらに気付いていないらしく、奇襲を仕掛けるつもりのようだ。


 曲がり角に身を潜め、右手で剣の柄を握る。私もいつでも魔法を発動できるように、魔力を集中させる。

 先頭のコボルトが姿を見せた瞬間、アローは剣を振り抜く。銀閃は音も無くコボルトの首を落とした。


「グギャ!」


 仲間を失い動揺する、残る二体のコボルト。これなら、私の魔法で二体纏めて屠れる。アローが引いた所に魔法を撃ち込む。


「【イー」


 アローが一歩——踏み出した。


「ラ】」


 時間が引き延ばされる。私の右手から撃ち出された雷撃は、そこが帰る場所であるかのように、剣を振り下ろそうとしているアローの背中に吸い込まれていく。


「あばばばばば!!!」

「あ、ごめん」


 間抜けな悲鳴を上げ、アローが倒れた。……死んだか?


 二体のコボルトは放電に巻き込まれ斃れている。初戦闘は無事終了した。さて、魔石を回収しよう。


「貴様! 殺す気か!」

「おお、生きていたか」

「生きていたか、では無いだろう! 貴様、何を考えている!」

「む、それはこちらのセリフだ。今のは私は悪くない。私の射線に入ったお前が悪い」


 あそこは、一歩引いて魔術師の援護を待つ場面だろう。これだから、パーティーを組んだ事のない引きこもりは。まあ、私もパーティーを組んだ事は無いが。


「ほう、貴様、良い度胸——グッ……!」

「おい、大丈夫か?」


 アローはその場に蹲ってしまった。思った以上にダメージがあったようだ。


「チッ、馬鹿魔力が」

「ダメージが大きいな。優秀な魔術師で済まない」

「貴様、喧嘩を売っているだろう」


 失敬な。素直に謝っているというのに。

 しかし、参ったな。お金が無くてポーションは買えていない。このまま探索を続けるのは、ランク1のダンジョンとはいえ危険だ。

 仕方ない。今回の探索はここまでか。まだ、一五分程しか経っていないが。


「お前がこの状態では、これ以上の探索は危険だ。今回は帰還するぞ」

「おい、ワタシのせいみたいに言うな。貴様のせいだ」


 まったく、世話の掛かる奴だ。まあ、実力はあっても、私と違ってコイツは冒険は不慣れだからな。初めは多めに見てやろう。


「おい、其の仕方の無い奴だ、みたいな目を止めろ。何度でも言うぞ、貴様のせいだからな」


 戦闘で負傷してしまったアローは休ませ、私は魔石と素材を回収する。コボルトの解体には、アローの剣を使った。嫌そうな顔をされた。


「さて、では帰るか」

「……歩けない」

「ん?」

「何処かの馬鹿魔術師に、背中から撃たれたせいで歩けない」


 アローは拗ねたように口を尖らせる。


「ほう、お前程の剣士を、たった一撃で戦闘不能にするとは。優秀な魔術師も居たものだな」


 睨まれた。これ以上は本気で怒られそうなので、止めておこう。


「……お姫様抱っこを所望する」

「……は?」


 今、何と言った? 聞き間違いか? お姫様抱っこと言ったのか? 七大罪の権化といわれた、あの魔王が?


 アローは座ったまま、ジッと私を見つめている。天使のように愛らしい顔で、私を見上げている。

 ふっ、良いだろう。こうなったのには私にも非はある。三割程。偶には我儘な妹の願いを聞いてやろう。


 アローを抱き上げる。アローの身長は一五〇セルト程。痩せ型で体重は驚く程軽い。軽いのだが、極端に闘気の少ない私が、ここから街までアローを抱いて帰れるかと問われれば、答えはノーだ。

 一度、アローを下ろす。訝し気な表情のアローに目線を合わせる。


「いいか、皆が皆、お前のように闘気を持っている訳ではない。人には向き不向きというものがあり、できる事とできない事がある。それを補い合うのがパーティーというものだ」


 アローは一層、訝し気な表情をする。


「要するに、私の体力では、お前を抱きかかえて街まで戻るのは無理だ」


 正直に告白すると、アローは悲し気に顔を伏せる。そんなにお姫様抱っこに憧れていたのか。可愛いところがあるではないか。


「仕方ない。おんぶで我慢してやる」


 高慢な物言いだが、その声音は弱弱しい。なんだか、悪い事をしている気分になって来るではないか。


 ともかく、先ずはダンジョンを出なければ危険だ。こんな所でグダグダしている場合ではない。

 アローを背負い、立ち上がる。


 こ、これは! 背中に当たる柔らかい感触。耳にかかる吐息。鼻腔を擽る甘い香り。そして、全身を包むようなアローの体温。

 やられた! これが狙いだったのか! おのれ魔王! ダンジョンの中ですら、私を惑わせて来るとは!


「貴様の背は温かいな。ダンジョンの中で体が動かぬと云うのに、安心する」


 弱弱しい、囁くようなアローの呟きが鼓膜を揺らす。その声に不安は無く、感じるのは私に対する全幅の信頼。


 ……ごめんなさい。本当に、ごめんなさい。

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