第8話 お約束には理由がある

 いよいよ、探索者としての第一歩を踏み出す、といった所で、早速出鼻を挫かれた。

 私達の前に身長二メルトはありそうな、筋骨隆々の山のような男が立ち塞がった。


「おうおう、こんなガキが探索者だあ? いつから探索者協会は子供のお遊戯場に変わったんだ?」


 何か喚いているが、私達には関係ないようだ。邪魔だから、前に立たないでほしい。


「おい! 何無視してんだ、てめえ!」

「ん? まさか、私に話しかけていたのか? そうだとしたら、余りに言葉選びが下手過ぎるぞ。言語を学び直す事をおすすめする」


 隣を通り抜けようとすると肩を掴まれたので優しくアドバイスしてやると、会話の下手糞な男は感激に肩を震わせ始めた。


「おい、あれ」

「ああ、ゴーリか。あいつも良くやるよな」

「全くだ。見てるこっちが嫌になるぜ」


 周囲の探索者達がチラチラとこちらの様子を窺っている。この男はゴーリというらしい。良い名前ではないか。名は体を表すというしな。


「いい度胸じゃねえか……! 痛い目見ねえと——」

「其の汚い手を離せ、ゴリラ」


 私の右肩を掴むゴーリの丸太のように太い手を、アローの小さな手が掴む。

 違うぞ、アロー。この男の名はゴーリだ。恐らく、ゴリラの獣人族だろう。


「誰がゴリラだ! 俺様の名前はゴーリ・ラリーゴだ!」


 ゴリラだ! 前から読んでも、後ろから読んでもゴリラだ! 何という事だ。コイツに名を付けた親の顔が見てみたい。


「そうか、済まなかったな、ゴリラ。詫びに選ばせてやろう。其の腕を砕かれるか、斬り飛ばされるか、何方が良い?」


 アローは何をそんなに怒っているんだ? まさか、このゴーリラが私の肩を掴んだのをセクハラだと思っているのか? 全く、何でもかんでもハラスメントというのは若者の悪い癖だぞ。ああ、お前は五〇〇〇年生きているのだったか。


「だから、ゴリラじゃねえと——なに……!」


 ゴーリラはアローの馬鹿力に驚いているようだ。それはそうだろう。アローは自分でも制御できない程の闘気を持っている。闘気全開で動けば、一歩で壁に激突するくらいだ。

 だが、掴むだけなら問題ない。有り余る闘気で強化された握力は、鉄すら握りつぶす。逃れる事なんてできる筈が無い。寧ろ、まだ腕が潰れていないゴーリラは幸運であろう。


「成程。潰して斬り飛ばされたいか。欲張りな奴だ」

「その辺にしておけ」


 これ以上は流石に不味そうなのでアローを止めると、あからさまに不満気な表情でゴーリラの腕を離した。ゴーリラの腕には、くっきりとアローの手の跡が残っていた。


「血の気の多い奴で悪かったな、ゴーリラ」


 今回は完全にこちらに非がある。悪い事をしたらごめんなさい。これが常識だ。分かったか、非常識アロー


「てめえら……揃いも揃って俺様を侮辱しやがって……!」


 ゴーリラは顔を真っ赤にしてプルプルと肩を震わせる。今度は感激ではない。怒りだ。ん? まさか、先程も感激ではなかったのか?


「こいつを見やがれ!」


 そう言って、ゴーリラは自分の右頬を指さした。そこには、痛々しい傷が刻まれている。が、それがどうしたというのだろうか。

 その傷を治してほしいのだろうか。残念ながら、私は回復魔法は使えない。


「こいつはな、ランク4のモンスター、ミノタウロスと戦った時に負った傷だ!」

「ふむ、それで?」

「……! だから! 俺様は——」


 凄まじい音と共にゴーリラの姿が消えた。代わりに私達の正面に立っていたのは、ズボンのポケットに手を突っ込んだ、銀髪の青年だった。青年の右足はゴーリラの背中を踏みつけていた。どうやら、この青年がゴーリラを床に叩きつけたらしい。


 乱雑にカットされた、鬣のような短い銀髪に狼の耳と尻尾。精悍な顔つきに、鍛え上げられた鎧のような筋肉。身長は一七〇セルト程だが、その圧倒的な威圧感はゴーリラの比ではない。右目を縦に切り裂く深い傷が印象的だ。

 灰色を基調とした戦闘衣バトルクロスに黒のズボン、足元は金属のブーツ。武器は持っていない。

 クラスは斥候だろうか。凄まじい速さだった。それに、これ程の存在感を持ちながら、姿を見るまでその存在に気づく事ができなかった。


 狼獣人の青年は、地を這うムシケラを見るように、コバルトブルーの瞳を踏みつけたゴーリラに向ける。


「俺の視界でダセえ真似してんじゃねえよ、カス。殺すぞ」

「グッ、てめ、ロウ……!」

「いいか、カス。傷ってのはなあ、テメエの弱さの証なんだよ。体に刻まれた恥なんだよ。そんなモンを誇るカスに生きる価値なんざあ、ねえんだよ」


 傷は弱さの証か。良い事を言う。


「ほう。では、右目に傷を負う貴様は、生き恥を晒していると云う事で良いのだな?」

「ああ?」


 愉し気に嗤うアローに、青年は今その存在に気が付いたように顔を上げる。青年は僅かに目を細めると、ゴーリラの上を通ってアローの目の前に立ち、殺気にも似た威圧を放ちながら見下ろす。


「そうだ。コイツは、俺の人生で最大の汚点だ」

「ふむ、ならば、何故傷を消さない。其の程度、魔法で直ぐに癒せるだろう」

「んな事する訳ねえだろ。毎朝この傷を見る度に、全身の血が沸騰する程の怒りが込み上げて来る。それを忘れねえ為の戒めなんだよ、コイツは」


 ギラついた殺意。それは、アローや私、ましてやゴーリラに向けられた物ではない。それは、己自身に向けられた物だ。


「ククク、気に入ったぞ。貴様、名を名乗れ」

「ハッ、雑魚に名乗る名はねえ。失せろ」


 不味い。私が止める間もなく——事は終わっていた。

 私でも目で追うのが精一杯の速度で、アローは腰に佩いた剣の柄を握った。その時には、青年の足が柄頭を押さえていた。


「失せろっつったろ。次はねえぞ」


 速過ぎる。アローがいきなり剣を抜くなど、予想できる筈がない。つまり、青年は、アローの動きを見てから動き始めた、という事。にもかかわらず、アローより速く剣を押さえた。

 全く以て信じ難い。が、目の前で起こったからには、信じないわけにはいかない。いやはや、この世界には想像以上の化け物が存在するらしい。


「ククク、クハハハハ、面白い!」


 アローが声を上げて笑う。こんなアローは初めて見た。なんだかもやっとする。もやっと?


「ワタシはアロー・リリベルだ」

「あ? 聞いてねえよ。雑魚の名前なんざ、興味ねえ」


 何故アローは名乗った? そんなにこの男が気に入ったのか? 意味が分からない。アローも、このもやもやも。

 結局、狼野郎は名を告げず受付の方へ向かって行った。入れ替わるようにミスティがやって来る。


「お二人共、大丈夫ですか! 上級探索者に喧嘩を売るなんて、何をしているんですか!」


 やはり奴は上級探索者だったのか。噂通りの実力ではあったな。まあ、前世の私の方が凄いが。


「ふむ、あれが上級か。ククク」


 何がそんなに面白いのだろうか。私はちっとも面白くない。


「いてて、クソ、ロウの野郎! この俺様を足蹴にしやがって!」


 ああ、まだいたのか、ゴーリラ。


「なんだ、まだ居たのか、ゴリラ」

「だから、ゴリラじゃねえって……チッ、もういい。ガキに構ってやる程、俺様は暇じゃねえんだ」


 そう吐き捨てて、ゴーリラは去って行った。

 絡んで来たのはそっちだろうに。


「あの、ゴーリさんの事、悪く思わないであげて下さい」


 ミスティが申し訳なさそうに言う。別に私は何とも思っていないが。というか、ゴーリだったな。ゴーリ・ラリーゴ、やはり良い名だ。


「ゴーリさんはわざと、ああやって新人探索者さんを威圧しているんです。この程度で怯むようでは、モンスターからの本気の殺気に耐えられないから、と。自ら憎まれ役を買って出て、篩に掛けて下さっているんです」

「成程。ゴリラという静獣は、力は強いが仲間想いで心優しい種だと聞く。ゴリラ獣人であるゴーリもその性質を持っているのか」

「いえ、ゴーリさんは只人族ですよ」

「え?」

「何?」


 アレが只人族だと? 冗談だろう。アローも驚いている。当然だ。アレが同じ種族だと言われて、信じられる筈が無い。


「ですが、仲間想いというのは、その通りです。ゴーリさんは、私達協会がしなくてはならない事を、自分が嫌われてでもやってくれているのです」

「フン、そんな事はどうでも良い。あのゴリラは、許可なくワタシの僕に触れた。罰を与えるのは当然だ。だが、今回は貴様に免じて不問としてやろう」

「誰が僕だ」

「ありがとうございます。やはり、お二人はそういう関係なのですね」

「やはりとはどういう意味だ」


 顔を赤らめるな。お前も、あの宿の受付と同じか。


「まったく、無駄な時間を取られた。私達にはもう宿を取る金もないのだ。さっさとダンジョンに行くぞ」


 馬鹿共は放って建物を出る。折角の探索者としての初陣だというのに、私の心はもやもやと雑念が渦巻いている。


「何を焦っている」

「別に、焦ってなどいない」

「? それにしても、アレは中々面白い男だったな」


 また奴の事か。面白くない。あんな奴、どうでもいいだろう。


「そんなに奴を気に入ったのなら、奴とパーティーを組めばいいだろう」

「はあ? 貴様は何を言っている。何をそんなに怒っている?」

「怒ってなどいない!」


 私の顔を覗き込むアローは、ああ、と納得したように頷き、ニヤリと口の端を吊り上げた。


「案ずるな。奴は配下に欲しいと思っただけで、男としての興味など無い」

「はあ!? お、お前こそ何を言っている! 私は、そ、そんな事案じてなどいない!」


 今、私はホッとしたのか? まさか、私はあの男に嫉妬していたというのか? 勇者である、この私が? いや、ありえない。


「ククク、勇者ともあろう者が、簡単に動揺し過ぎだぞ」

「動揺なんてしていない!」

「ワタシを満足させられるのは、此の世でたった一人だけだ」

「なっ……!」


 そんな奴、私の魔法で消し炭に……って違う! 何故私がそんな事をしなければならないのだ! クソ、何なのだ、この感情は。イライラする!

 おのれ魔王め! どこまでも私を惑わすつもりだな! 私は勇者。こんな事には屈しない!


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 ゴーリ・ラリーゴ

 27歳。ランク4探索者。

 とある異常事態での英雄的行動により、中級探索者の中ではかなり慕われている。

 仲間想いで、自分が嫌われてでもダンジョンでの犠牲者を減らす為に、新人探索者に『洗礼』を行っている。

 以前、別の探索者が『洗礼』を代わる、と申し出た所、

「お前みたいな貧弱な奴に務まるかよ。俺様程鍛え抜かれた肉体と威圧感がねえとな」

 と断られた。

 因みに、ゴリラ獣人という獣人族は存在しない。


「おい、あれ(また先を越されちまった)」

「ああ、ゴーリか。あいつも(ランク4の一流探索者なのにわざわざ憎まれる事を)良くやるよな」

「全くだ。(ゴーリさんは新人の為にやってるのに、憎まれるなんて)見てるこっちが嫌になるぜ」

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