第6話 己の敵はいつだって己自身

 馬鹿が馬鹿な事を口走る前に王城から逃げる。既に口走ってはいたが、誰にも聞かれていないのでノーカンだ。


 土地勘のない中王都を彷徨い続け、漸く宿屋を発見した。


「いらっしゃいませ。宿泊は、一泊一〇〇〇リアになります」

「……えっと、一泊いくらだって?」

「一泊一〇〇〇リアになります」


 受付の若い女性は、一切営業スマイルを崩さず繰り返す。


「ああ、ここは高級宿だったか。失礼した」

「いえ、この宿は、王都では比較的安価な方かと」

「……」


 私達が田舎者だからと足元を見られているわけではなさそうだ。

 王都の物価の高さを舐めていた。一〇〇〇リアなんて、ウィーシェなら五泊してもお釣りが出るぞ。


「いくら持っている?」


 アローの財布を確認すると、その中に入っていたのは五〇〇リア硬化が一枚と一〇〇リア硬化が一枚。私の所持金は七〇〇リア。合計一三〇〇リア。一部屋で一泊しかできない。

 この宿は王都では安価な方らしいし、これから探してここより安い宿が見つかる保証はない。背に腹は代えられないか。


「一部屋で一泊頼む」


 受付は私とアローの間で視線を往復させ、何かを察して頷いた。


「ありがとうございます。あの、こちら、サービスです」


 受付が顔を赤らめながら差し出してきたのは潤滑液だった。


「そんな物いるか!」


 馬鹿なのか? 客になんて物を渡しているんだ。そもそも、私達は女同士だ。そんな物は必要ない。いや、必要ないではないが。そんな行為をしないが。


「ほう、気が利くではないか」

「受け取るな!」


 馬鹿なのか? ここには馬鹿しかいないのか? お前はそれを受け取って何をするつもりだ?


 受付が身を乗り出して耳打ちしてくる。


「壁が薄いので注意してくださいね」


 いったい何に注意するのだろうか。皆目見当もつかない。


 意味の分からない忠告を無視し、鍵を受け取って部屋に向かう。安宿なだけあって、部屋には最低限の物しかない。ベッドが一つにテーブルとイス、クローゼットがあるだけだ。

 当然、ベッドは一人用のサイズだ。私もアローも小柄なほうだが、二人で寝るには少々窮屈そうだ。


 宿を探すのに思いのほか時間を取られてしまい、窓の外は既に暗くなっている。今日はもう休んで、明日探索者協会に行く事にした。


 水魔法で水を生成し、体を清める。


 魔法というのは適性がないと使えないらしいが、私は殆どの魔法が使えた。しかし、戦闘で使用するのは基本的に雷魔法だけだ。雷に耐性のある敵が現れた時の為に、少しだけ氷魔法を練習しているくらいだ。あとは、こうして生活に役立つ程度の魔法しか使わない。


 そんなわけで、私は水出し係としていいように使われていたわけだ。王都に来るまでの道中は、屋外だったので服を着たまま水を被り、風魔法で乾かしていた。しかし、今は屋内で誰にも見られる心配がないからか、アローは躊躇なく服を脱いだ。いや、私が見ているが?


 一糸纏わぬ姿で桶の中に立ち、私の魔法を待っている。

 あまりに美しい裸体。栄養は全てそこに行っているのかという程の、大きく、且つ形の整った、ハリのある乳。栄養を全て胸に吸われ、無駄な肉のない体つき。かといって、痩せすぎというわけでもない。鍛えられた腹筋に、瑞々しい太腿。


 こんな煽情的な身体を惜しみなく晒すコイツは、やはり、七大罪の権化といえるだろう。


「おい、早くしろ」

「ん、ああ。【シーア】」


 発生した水を操作し、アローの体を洗う。


「ん……!」


 水がアローの背中に触れた瞬間、艶やかな吐息が漏れる。


 冷たいのはわかるが、毎度いやらしい声を出すのはやめてほしい。本当に。


「ん、はぁ……!」


 今回はアローが全裸なので、余計に変な気分になってしまう。しかし、私は勇者なので、鉄の精神力でこの難局を乗り越えた。

 綺麗になったアローを風魔法で乾かしてやる。艶やかな黒髪がサラサラと風と踊り、アローは心地良さそうに目を細める。


「うむ、ご苦労」


 尊大に言い放つと、全裸のままベッドに飛び込んだ。


「おい、服を着ろ」

「貴様、洗濯と云う物を知らんのか。着た物は洗う、常識であろう」


 まさか、非常識の塊に常識を説かれるとは。屈辱だ。


「なら、洗えよ」

「ワタシは魔王だぞ。そんな事は下々の仕事だ」


 誰が下々だ。魔法で一瞬だから、洗うのは構わないが、頼み方というものがあるだろう。まったく、仕方のない奴だ。


 魔法でアローの服と、ついでに自分の服も洗う。風魔法で乾かしつつ、水魔法で自分の身体を清める。

 二つの魔法を同時に操作するのは、魔力操作の良い訓練になる。


 乾いた服をアローに投げ渡すが、それを着る気配はない。私はちゃんと服を着て、床に座り壁に背中を預ける。


「おい、何をしている」

「ベッドはお前が使えば良い。私はこれでも十分休める」

「巫山戯るな。来い」

「いや、いいと——」

「来いと言っている」


 威圧の込められた言葉に、私は渋々立ち上がり、ベッドに潜る。一人用のベッドは二人で寝るにはやはり窮屈だ。


 左腕が柔らかい感触に包まれる。アローが私に抱きついて来た。素肌が触れ合い、アローの少し高めの体温を直接感じる。

 布越しとはまるで違う柔らかな感触は、もはや兵器といっても過言ではない。

 それだけでなく、アローはしなやかな足を私の足に絡めて来た。サラサラとした素肌、弾力のある太腿に挟まれるのは、天にも昇る心地である。


 余程疲れたのか、既に耳元でスースーと寝息を立てている。

 私も想像以上に疲れているようだ。目を閉じて、明日に備え眠ろう。


「…………」


 寝れるか! なんだ、この状況は? 私は試されているのか?


 頭の中で天使悪魔が、勇者理性魔王本能が戦っている。


『抱きたいのだろう? ならば、抱けばいいだろう』

『ダメだ! 私は勇——』

『抱いちゃいなよー』

『こんなの、襲って下さいって言ってるようなものだよ』

『抱ーけ! 抱ーけ!』


 魔王側の勢力が多過ぎる! 勇者が埋もれてしまっているではないか!


 おのれ魔王め。私に精神支配を施すとは。許すまじ。

 だが、私は勇者だ。この程度の精神攻撃に屈しはしない。私の理性を舐めるな。

 一先ず、落ち着いて、一旦この火照りを冷ますとしよう。




「眠れなかったのか」


 小さく欠伸をした私に、アローは目を細める。


「……ああ、漸く探索者になれるのが楽しみでな」


 そんなわけがない。全部お前のせいだ。

 しかし、そんな事を言えば、どうなるかわかったものではない。


「ほう。てっきり、ワタシの裸体に興奮して寝付けなかったのかと思ったが」

「そんなわけあるか!」


 そんなわけある。しかし、そんな事は口が裂けても言えない。


 探るようなアローの血色の瞳を堂々と見返す。ここで目を逸らしてはいけない。


 アローはニヤッ、と口の端を吊り上げると、ベッドから立ち上がる。服を着て手早く身支度を整える。


「一人でするくらいなら、ワタシを抱けば良かろうに。ワタシは何時でも歓迎するぞ」


 そう言い残して、アローは部屋を出た。


 寝起きの頭は完全に覚醒した。大きく息を吸って鼓動を落ち着かせる。


「……ふう」


 死にたい。

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