第2話 さようなら世界、こんにちは世界

 さて、私は火炙りにされたわけだが、ここはどこだ?

 見渡す限りの白。そもそも、私は死んだ筈だ。あの、体を焼かれる苦痛は鮮明に覚えている。


「何だ、意外と早かったな」


 聞き覚えのある声が背後から聞こえた。さっきまでそこには何も無かった筈だが、振り返るとディアボロが椅子に座って優雅に紅茶を啜っていた。


 おかしい。こいつは宿敵の筈なのに。こんな奴の顔を見てホッとするなんて、絶対におかしい。


「何を呆けている。まるで、死人に出会したような顔をして」

「正にその通りなのだが、それはそうと、そちらは?」


 ディアボロの隣に女性が座っていた。


 角度によって色を変える白、あるいは白銀の長髪に、透明な瞳。不気味な程整った顔立ちに、人体の完成形とでもいうべきか、非の打ちどころのないプロポーション。一枚の布を巻きつけたような白い衣服は、大きな胸の半分や臍、脇や背中、と露出度は高いが、下品な印象は受けない。

 女神と形容するのが最もしっくりくる。そんな女性だ。


「そう慌てるな。貴様も座ったらどうだ?」


 ディアボロの言葉にふと視線を向けると、いつの間にか三つ目の椅子が現れていた。

 事態は全く飲み込めていないが、一先ず椅子に座る。すると、ディアボロがパチン、と指を鳴らし、目の前に紅茶の入ったティーカップが現れた。


「ちょっと、ディアちゃん。いくらなんでも好き勝手し過ぎよ」

「黙れ。ワタシに指図するな。そして、二度と其の呼び方をするな」


 魔王をディアちゃん呼びとは、何者なんだ。


 それはそうと、ディアちゃんか。


「貴様、何を笑っている?」

「いやなに、随分と可愛らしい呼び名ではないか。似合っているぞ、ディアちゃん」


 軽く頭を引く。

 眼前をディアボロの鋭い爪が通過し、遅れてヒュン、と風を切る音が鳴った。


 折角用意してくれたのだ。冷めないうちに頂こう。


 私がカップに口をつけると、ディアボロは大きく舌打ちし、ズズッ、と紅茶を一気に飲み干すと、乱暴にカップを置いた。


「それで、そちらの方は?」


 白髪の女性に視線を向けると、女性はにっこりと微笑む。


「此れは神だ。ディスティーナなどという気取った名の、ワタシ達が居た世界を管理する運命神とかいう、な」


 本当に女神だった。というか、神をこれ呼ばわりとは、コイツも大概だな。


「すんなりと信じるのだな」

「これ程異質な存在感ならな。神という方がしっくりくる」


 それは良いとして、ディアボロは何故こんなにも神と親し気なのか。そして、私は何故この場に呼ばれたのか。


「さて、勇者よ。そろそろ寝惚けた頭は回り始めたか?」

「ああ。ここは死後の世界。そちらの女神様が、私とお前の魂を呼び出した。そんなところか」

「ククク、五〇点といった所か」


 なんだこいつ、偉そうに。私に殺されたくせに。


「正確には此処は死後の世界ではないが、其処はどうでもいい。何故、ワタシ達なのか。何の為に、ワタシ達が呼ばれたのか。無知な貴様には分からないか」


 小馬鹿にしたようにディアボロは肩を竦める。ように、ではないな。小馬鹿にしている。

 こいつ、もう一度殺してやろうか。


「無知で愚かで滑稽な貴様の為に説明してやろう。ワタシ達は其処の神に使命を与えられていた。其の使命を果たした為、ワタシ達は此処に呼ばれた。褒美を渡す為に、な」


 説明してくれるのはありがたいが、その枕詞は不要だろ。いちいち私を小馬鹿にしないと気が済まないのか、この陰湿魔王め。


「生憎と、私が成した事といえば、どこぞの引きこもり魔王を討ち滅ぼしたくらいだが、まさか、それが使命だったのか?」


 存分に皮肉を込めた問いだったが、ディアボロは愉し気に唇を歪める。


「其れは手段であって、目的ではない。ワタシの使命は、世界の均衡を保つ事。貴様の使命は、世界を終わらせる事だ」


 私の使命が世界を終わらせる事だと? 私は勇者だぞ。


 いや、そうか。世界を終わらせるとは、つまり、世界の均衡を保つ魔王を討つ、という事。魔王を討つ者、それは勇者。

 勇者だから使命を与えられたのではなく、使命を与えられたから勇者になったのか。


「ククク、それなりに頭は回る様だな。此の先、褒美とやらについてはワタシも聞いていない。おい、さっさと話せ」


 相変わらず、神に対しても不遜だな。


「………………すぅ」


 もしかして、寝てる?


「……おい」


 ディアボロが女神の座っている椅子を蹴ると、女神はビクッ、と体を跳ねさせた。


「勿論聞いてますとも! あれでしょ、あの話!」

「そうだ、あの話だ。早くしろ、勇者が待っているぞ」


 うわー、寝てたの知ってて泳がせるとか、本当に陰湿な魔王だな。まあ、寝てた方も悪くはあるか。


「はいはい、あれね。まあ、それに関しては私から話してもいいのだけれど、折角ならディアちゃんが話した方がいいのではないかと思うわけよ」


 こっちはこっちで、何故誤魔化そうとするのか。素直に寝てました、と謝ればいいものを。


「未だ詳しく聞いていないのだから、ワタシが話せる訳が無いだろう。いいから、さっさと話せ。それと、次に其の呼び方をしたら殺す」


 完全に遊んでるな。どこまで神を泳がせるつもりだ。


「まだ話してない事? とすると……あれか!」


 全部聞こえているぞ。これが本当に神なのか?


「私のスリーサイズは、上から九——」

「そんな物興味無いわ、戯け」

「違うの?」

「寧ろ、何故其れだと思った」


 どうやら、私は神というものに幻想を抱いていたようだ。これが本当の神の姿か。知りたくなかったな。


「でも、勇者ちゃんは私のおっぱいを凝視していたわよ? 気になるんじゃないの?」

「いやなに、戦うのに邪魔そうだと思ってな。なんなら、切り落としてやろうか?」


 別に他意はない。私のようにスマートな体型の方が戦闘に向いているというだけだ。ついでにディアボロのも切り落としてやろうか。そんな、無駄にでかい物、邪魔だろう。


「ちょっと! この子、神に対する敬意が一切ないのだけど!」

「ククク、気にするな。持たざる者の僻みだ」


 そう言いながら、ディアボロは無駄にでかい乳の下で腕を組み、無駄に重そうな乳を持ち上げその大きさを強調しながら嗤う。


 決めた、削ぐ。

 腰に手をやるが、そこに愛剣はなかった。チッ、命拾いしたな。


「茶番は終いだ。報酬について話せ」

「ほう、しゅう……あー、はいはい。報酬ね。勿論、その事だとわかっていたわよ。敢えて、ね。勇者ちゃんの緊張をほぐす為に、敢えて、惚けてみたのよ。女神ジョークってやつよ」


 危うく手が出そうになったが、その前に女神は、こほん、とわざとらしく咳払いし、姿勢を正す。


「貴女達への報酬は、異世界へ転生する権利よ」

「異世界へ、転生?」


 異世界、とは、こことは別の世界という事か。そんな物があるのか?


「魂をそのまま、つまり、記憶を保持したまま異世界に転生して二度目の人生を送るか、魂を初期化してまたこの世界に生まれるか、貴女達には選択する権利があるわ」

「待ってくれ、この世界は終わるのではないのか?」


 私は、世界を終わらせる、という使命を果たしたからここに呼ばれた。それなら、この世界はもう——


「正確には、神の手から離れたのよ。見放された、というのが正しいかしら。何千年も戦争、戦争、戦争。もう、愛想が尽きちゃった」


 てへ、と女神は舌を出す。そんな可愛く言われても。


「身勝手な奴と思うかもしれんが……実際身勝手ではあるが、此奴なりに手は尽くしている。神託を告げたりな。愚かな人間共は聞く耳を持たなかったようだがな」

「フォローしてくれるのは嬉しいけど、やるなら最初から最後までフォローしてくれないかな? 急に刺されてビックリしちゃったよ」


 そうだったのか。人間の醜さを知ってしまった今の私では、女神に文句を言う事もできないな。


「それで、私はもうこの世界から手を引く事にしたのだけど、神の手を離れたからといって、必ずしも滅びるわけではないわ。これまで以上に発展するかもしれないし、やっぱり滅びるかもしれない。それは、神にもわからない」


 どうなるかわからない世界に、魂を初期化して生まれる。要するに、記憶を消して、別人として生まれ変わる、という事だろう。記憶を消す、か。


「私は、人間の醜さを知ってしまった。命を懸けて戦い、守った人間に裏切られて、殺された」


 人間を恨む気持ちはない。復讐したいとも思わない。だが、


「私はもう、人間を信じる事はできない。それならいっそ、記憶を消して、新しい——」

「ならば、ワタシを信じろ」


「は?」


「人間なぞ、信じる必要はない。ワタシは魔王。五〇〇〇年の時を生きる古の魔。貴様如き小娘を陥れる必要など無い。貴様を裏切る事は有り得ない」


 こいつは何を言っているんだ? 勇者である私が、魔王であるお前を信じる?


「ワタシが貴様に嘘を吐いた事があったか?」


 ディアボロは足を組み、頬杖をつき、不遜に笑う。


「嘘……嘘、か。確かに無いな。お前の言葉は、全て真実だった」

「ワタシと共に来い、ミティア」


 ミティア、か。そういえば、私はそんな名だったな。久しく呼ばれていないから忘れていた。


「ああ、お前と共に行こう、ディアボロ」


 ディアボロの差し出した右手を握る。ディアボロは、少し意外そうな顔をした。


「それじゃ、二人とも異世界に転生って事で、いいのね?」

「うむ」

「ああ」

「おっけー、じゃ、転生を始めるわよ。そこの魔法陣の中に立って」


 異世界とやらがどんな所かはわからない。しかし、不思議と不安はない。

 隣にいるのは宿敵だった魔王なのに、万の軍勢を率いるよりも心強い。


「ディアボロ、一つ聞かせてくれ」

「なんだ?」

「お前は、私の事をどう思っているんだ?」


 私はディアボロを殺した。使命の為とはいえ、その時は自覚は無く、自分の意思で殺した。

 自分を殺した私の事を、ディアボロは恨んでいないのだろうか。


「愚問だな。ワタシは貴様を——」


 魔法陣が青白く輝く。眩い輝きに包まれ、ディアボロの言葉は掻き消された。


 こうして、私は異世界に転生した。

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