いざ、本入部!
「いやぁ、吹部、楽しかったね!」
マリンがイキイキとした表情でるんるんとはずむ足どりで歩く。
「安間先輩に話しかけられてなかったら仮入部なんてしてないから、ほんと話しかけてくれて良かったな」
「だねだね〜っ」
吹奏楽部。
何となく避けてきちゃってたけど、今日仮入部して、気がついた。
音楽ってやっぱり楽しいってこと!
昨日まで行ってた運動部も楽しくないわけじゃなかったけど、わたしには音楽が合ってるって思う。
あ〜あ。こんなに楽しいんなら、金管バンド、やめなければ良かったなぁ……。
――あれ?
ふと立ち止まってしまう。
わたし、なんで金管バンドやめたんだっけ?
小さなこの疑問が、わたしの頭にズキっと痛みを与える。
「あいー?どしたのー?」
数歩先を行くマリンが動きをとめたわたしに気がついて首をこてんとかしげる。
「ううんっ、なんでもない!」
頭の痛みをなかったことにするように、わたしは首を横に振った。
「それよりさっ。なんで楽器体験フルートにしたの?」
彼女にそう問いながら、数歩歩いて並ぶ。それを見たマリンが、歩くのを再開して、わたしも足を踏みだす。
「フルートってさ、楽器紹介最初だったじゃん?そのとききいた音がきれいすぎてビビッてきたんだよね。まだ悩み中だけど、もし吹奏楽部に本入部するなら、フルートやる!」
「確かにきれいだったもんね!あの美しさは最初だったっていうこともあってしょうげき的だったなぁ」
わたしがうんうんとうなずくと、マリンはピッと空に向かって腕をのばし、指をさした。そして、歯を見せてニッと笑う。
「フルート、先輩みたいに吹けた?」
「う……それがねぇ」
わたしの何気ない質問に、うぐっと声をつまらせたマリン。どうしたの、ってわたしが聞く前に、彼女は口を開いた。
「まず楽器を吹く以前にねっ。あんなに細くてかるそーなのに、いや、実際軽いんだけど…。ほら、フルートってさ、楽器を横にたおして口元に近づけるために腕を肩くらいの高さまであげて吹くじゃん?あれを維持するのがちょー大変なの!十分ともたないうちに腕がプルプルしちゃってキツかったんだよおぉっ。」
わたしがぽかんとするほど一気にまくしたてた彼女は開いていた口を閉じ、肩で息を吸う。
「……それで、吹いたら?」
「それがぜんっぜん音が出ないの!先輩たちはいともかんたんにきれいな音を吹いてみせてくれるのに、あたしはひゅーっ、ひゅーってカッスカスの音しか出なくて!しかもそんだけの音しか出してないのに頭がクラクラするくらいになっちゃってさぁ……」
マリンはフルートのむずかしさをていねいに伝えてくれたあと、しょんぼりと背中を丸めてしまった。
「いやっ、大丈夫だよ、マリン!きっと、今きれいな音を出せてる先輩たちも、最初はみんなそうだったって!……って、まだ、吹奏楽部に本入部するって決めたわけじゃないのにね……」
あわててマリンをはげますと、急に彼女は背中をピンとのばした。
「おおっ」
「あいっ、ありがと!そうだ、そうなんだよ。あたしも練習頑張ったら、いつか先輩みたいな素敵な音色を出せるかなぁって、ワクワクしたきもちになったから、フルートやっぱりやりたいって思ったの!」
「うんうんっ。きっと出せるようになるよ!」
「……他の部活も超楽しかったから、色々考えながら本入部する部活決める!」
つきものが落ちたような顔をして、マリンは遠く、空を見つめる。
「あ、そういえば。あいは楽器体験、テナーサックスだったね。コルネット、だっけ?それやってたって言ってたから、トランペット体験するのかって思ってた」
ふと、マリンはわたしのほうに向き直って、わたしが体験した楽器の話を振る。
「それはね、今までずーっと金管楽器やってきてて、木管楽器も吹いてみたいなぁって思ったからなんだ。で、木管楽器の中で一番気になったのがサックスだったから、あの場で誰も体験してなかったテナーサックスを体験しようかなって思って」
胸に両手を当て、あのときの新鮮なきもちを思い出しながら答える。
「やったことのないことに挑戦するのってめっちゃ大事だもんね!」
首が折れんばかりにうなずくマリン。その動きにちょっと笑ってマリンが見つめていた美しい空を自分も見つめる。
「音楽って……基本なんでも楽しいから、なんの楽器でもいいけど、もし、吹奏楽部に入るなら、サックス、ちょっと興味あるかも」
ぼそっとそうつぶやくと、マリンがこれ以上ないほど目をきらきらさせた。
「おお〜っ!じゃあさじゃあさ、二人で一緒に吹奏楽部入る?」
ぴょんぴょんはねながらそんなことを言う彼女に、半ば呆れ笑いして、口を開く。
「確かに明日が本入部届けの提出締め切りだけど、そんなにはやらなくても……」
「それもそっか!まだまだ今日は長いもんねっ」
気がコロコロ変わるマリンはジャンプするのをとめて、納得したようにうなずいた。
「じゃ、明日本入部する部活一緒だったらもうそれは運命だね!」
顔をクシャってしながら笑うマリンのその笑顔が、わたしにもうつる。
「あはは、確かに!」
「あっ、あたし、もう家だ。ばいばいっ、あい」
マリンの声に気がつくと、もう目の前にマリンのまっしろい家が。
「うんっ。マリン、じゃあね」
手をふる彼女にわたしも手をふり返して、そのまま数メートル先の自分の家に到着する。いつもおかあさんは仕事でおそいから、リュックからカギを出して、ドアを開けた。時刻は五時半。手を洗ってうがいをして、五月の初めくらいに提出の、数学の課題をすこし進めておこうかな、なんて考える。リュックからその課題である問題集を取り出して、リビングに行く。そして、問題集を広げてペンケースからシャーペンと消しゴムを取り出す。マイナスが出てくるから、ちょっとむずかしい。すこしずつ、手を動かして解き進めていく。それから、ここ七日間で仮入部した部活を頭の中で思いうかべた。バドミントン部、バスケットボール部、ダンス部、卓球部、ソフトテニス部、陸上部、ソフトボール部、そして吹奏楽部……。
とくに楽しかったのは、ダンス部とソフトテニス部と吹奏楽部。この三つはただただ体験するだけじゃなくて、入りたい!って思わせてくれるようなしかけがまんさいだった。何より先輩たちがとっても楽しそうで。……うーん、迷うなぁ……。
本入部する部活についても悩み、数学のやけにむずかしい問題にも悩みはじめ、五ページくらい解いたから明日先生に質問して解けばいいや、とパタンと問題集を閉じた。
気づけば、もう一時間近く経っていた。そろそろ夕飯を食べよう、そう思って、問題集を持ちながら立った。リュックに問題集を戻し、ダイニングに移動する。ダイニングテーブルの上には、ラップのかかったご飯と、サラダ、ハンバーグ、そして置き手紙に“電子レンジであっためて食べてね”というおかあさんの文字が。毎度毎度ありがたく思い、電子レンジの中に、ご飯とハンバーグのお皿を入れて、あたためをスタートさせるボタンを押す。
ダイニングテーブルのイスに座りながら、たなに置いてある『部活動本入部届け』をふと見やる。すると、この七日間で仮入部した部活で体験したさまざまな記憶が脳内をかけめぐりはじめた――。
すこし経ってから、よし、この部活に入部しよう、と決めて、席を立つ。ちょうど、ピー、ピー、と電子レンジがわたしを呼ぶ声が聞こえた。
「マリンっ、おはよ!」
家のドアをガチャンといわせながら目の前に立つマリンにあいさつをする。
「おはよう……」
なんだかげっそりした表情のマリンを見てわたしは苦笑する。
「だ、大丈夫……?」
「うん……ちょっと本入部する部活悩みすぎて全然寝れなかっただけ……」
「あー、やっぱり……」
「あいはいつ決まったの?」
そんな表情のまま、マリンはいつも通りのわたしに問いかけた。
「夕飯食べてるときかな」
「えっはやっ!」
わたしが昨日の記憶を思い出しながら言うと、彼女はぎょっとした。
「あたしなんて夜寝てるあいだも考えてたんだからぁ……。で、今日の朝、ママとワーキャー言いながら決めてきたよ」
「とりあえず、決まったんだね。良かった良かった」
すこし間をおいて、歩きだしたわたしたちは、ちらりとお互いに目をやる。
「……なんの部活に決めたか、言う?」
わたしがそう問うと、
「うんっ」
と、さっきのやつれた姿とは大ちがいの、シャキッとしたかっこうになった。
「じゃあ、せーので言おっ」
マリンのうきうきしたその声に、うん、とうなずく。
「せーのっ」
「「吹奏楽部!」」
ぴったりそろった二人の言葉。あははっと笑いあうわたしたち。
「うん、なんかやっぱりこうなると思った」
目じりの出たなみだを手でふきながらわたしは言う。
「昨日、あい『そんなにはやらなくても』って言ったから、もしかしてちがうかも…って思ったけど、さすがあたしたち。運命だねっ」
「そう言えばマリンも昨日、そんなこと言ってたね〜」
笑いすぎてにじんだ視界の向こう、同じように中学校へと歩く生徒たちがちらほら見える。
「中学校ってさ」
マリンがまっすぐ前を見つめながら、ぼそっと言う。
「小学校とけっこうちがうところがあって、大変だけど、なんか、楽しいなぁって」
「……うん、そうだね」
わたしもマリンのひとりごとのような小さい声に、同じ声量で返す。
「だから、部活も、ちょー楽しみ!」
「わたしも!」
同じタイミングでお互いを見て、ばっちりと目が合う。
「あははっ、また合ったね」
「あたしたち、そろいにそろいまくってるから、最高の親友なのかも!」
「そろわなくたってもあたりまえ!」
まわりの生徒たちの人数が多くなってきて、学校の正門も見えてくる。ときどき、「どの部活入るー?」とか、「運動部入るんだ!」とか、そんなワクワクキラキラした一年生の声が聞こえる。きっと、わたしたち以外の一年生も、みんな部活が楽しみなんだね。そう思うと、なんだか嬉しくなってきてしまった。
昇降口前の花だんに咲いてるチューリップが、水をあたえられて、あたたかい太陽に照らされて、きらきらかがやいている。
下駄箱まで行き、ちょうど下駄箱の前にいたクラスメイトたちにあいさつして、毎度のごとく遠い一年二組の教室へ。
「はぁ、ほんと遠いなぁ…」
「先輩たちは、四階、三階だけど、学年が上がってくうちに階は下がってくみたいだから、歴代の先輩方はあたしたちと同じ気分を味わってきたと思うとなんかちょっと面白いねっ」
「ふふっ確かに!」
五階まであがって、教室に入る。あっ、今日は本入部届け提出締め切りだからか、いつもよりはやい時間に春川先生がもう教室に来てる。
「「おはようございます!」」
わたしとマリンは先生にあいさつする。
「加賀屋さん、坂口さん、おはよう。まだ部活の本入部届けが提出されてないけど、持ってきた?」
「はいっ」「持ってきました!」
先生にそう答えて、リュックを机におき、そこから本入部届けを取り出す。まったく同じ二枚のうち、一枚は担任の先生に、もう一枚は、部活の顧問の先生に出さなきゃいけないんだ。
学年、クラス、出席番号、名前。それから入部する部活名と、経験者か未経験者かのチェック、保護者氏名とハンコ。本入部届けの、記入しなければならない欄がちゃんとうまってる。それを確認して、またわたしたちは、春川先生の前に立った。
「「お願いします」」
「はーい」
内容を確認してから、マリンの分は笑顔で受け取る先生。でも、わたしには眉じりを下げて、どこか心配そうにして、口を開いた。
「この部活で、本当に大丈夫?お母さんに、なにか言われなかった?」
その言葉を聞いて、確かに、昨日おかあさんにしつこく心配されたことを思い出した。だけど、そんなに心配されるようなことの心当たりはない。だから、先生ににこっと笑って「大丈夫です!」と本入部届けを差し出した。
「大丈夫ならいいの。じゃあ受け取りますね」
すこし考えるような仕草を見せたあと、笑顔で受け取ってくれた。ありがとうございます、と二人で言いながら、おかあさんといい、春川先生といい、なんでそんなに心配するんだろう……と不思議に思った。
それから、まだ朝のホームルームまで時間があったので、すこし早歩きしながらマリンと二階の職員室へ向かう。さっき部活動一覧を見たら、吹奏楽部の顧問は
「ねえ、あい。さっきなんで春川先生にあんなこと言われたの?」
ろうかを歩いていると、マリンがそんなことを聞いてきた。
「うーん、どうしてなのか、わたしにもわかんないんだよねぇ……」
自分でもわかるくらいビミョーな返事になっちゃった。
「なぞだね……」
マリンも雑にあいづちを打つ。そんなこんなで職員室前にきた。
「ええっと、吹奏楽部の顧問は、中野先生と、宮里先生だから……」
わたしがそんなふうにもごもごと言うと、
「どっちかに渡せればいいんだ!」
パッと顔を明るくさせてマリンが言葉を引き取った。あ、コソコソ小声で話しあうわたしたちの前に先客だ。……あれ?ネームカードに『中野
あ、話が終わったみたい。ぺこっとおじぎして、くるっと身を反転させたその子の顔を見て目を大きく見開くほど驚いた。
「さっちゃん!?」「のの!?」
マリンも気づいたみたい。その子の名前を自分でもびっくりするくらい大きな声で叫んでしまった。
「ああ、マリちゃん、あいり。久しぶりだな」
その大声を気にもとめないで、よ、と右手をあげる彼女。二つの三つ編みにぶっきらぼうな言葉づかいは中学生になっても変わらない。
――
わたしたちと、小学校が一緒で、金管バンドにも引退するまで入ってたんだって。中一のクラスは離れちゃったけど、マリンとも、わたしともよく同じクラスになってたから、けっこう仲も良かったんだ。
「さっちゃんも、吹奏楽部入るの?」
「『さっちゃんも』?……ってことは、お前らも吹部入るんだ」
「あっそうなんだっ」
マリンが急いでうなずく。そういえば、さっちゃんもわたしと一緒でコルネットを吹いてたんだけど、習い事としてトランペットを習ってたから、コルネットを吹いてた人の誰よりも群を抜いて上手かったなぁ…と思い出す。
「ま、これから部活でもよろしく」
「よろしくね!」「うんっ」
にっこり笑って、じゃあ、と手を振るさっちゃん。と、いうことは、部活に二人も知ってる同級生が入るんだ……!なんだか安心、安心。
「そうだ、思わぬ再会で忘れてたけど、本入部届け出さなきゃっ」
「あ、そうだったね!ホームルームの時間になっちゃう!」
急いでコンコンコンッと職員室のドアをたたく。
「失礼しますっ、一年二組の加賀屋 マリンと」
「同じく一年二組の坂口 藍梨です!中野先生はいらっしゃいますか?」
「はーい」
ちょっと前にさっちゃんと話してた穏やかに微笑んだ先生がここまで来てくれる。
「あの、わたしたち吹奏楽部に入部したくて…」
「そうなんですか!嬉しい!ありがとうね」
わたしが入部したい旨を伝えると、先生は手をぱんっと打って嬉しそうに笑った。
「じゃあ、これ、お願いします!」「お願いしますっ」
「はーい、もらうわね」
中野先生は本入部届けをさっと確認して、こちらに目を向けた。
「ありがとう、一年生は、五月のゴールデンウィークが明けてから一律で部活開始だから、そのあと最初の金曜日の放課後に部活へ来てほしいんだけど……大丈夫かな?」
「はいっ」「大丈夫です!」
「オッケー、よろしくね!」
「「よろしくお願いします!!」」
二人で声をそろえて、さっちゃんがしていたようにぺこりとお辞儀する。
「「失礼しました」」
「はーい」
ろうかにぶら下がってる時計を見ると、気づけばホームルームが始まるまであと五分。「急げ急げ」なんて言いながら、そんなわたしたちの姿を見て笑っている中野先生を盗み見して、階段をかけあがっていった。
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