第9話 長野為業・五郎父子の決断、これっていじめじゃね?

 約束通り長野信濃守為業ながのしなののかみためなりの用意してくれた装備を身に着け、ぴょんぴょんと跳ねながらポーズをとるおタマちゃんの姿に、一同は、あんぐりと口を開けて、その凛々しい姿を見上げるのであった。すると八木原源太左衛門やぎはらげんたさえもんが、おタマのはしゃぐ姿を見かねて声をかけた。


「おタマ殿、そろそろその戦装束をお返し願いたいのだが」


「八木ちゃん、アタイに嫉妬してんのかにゃあ?」


「ばかな、いつもそんなカッコウで、いられるわけなかろう。それは、いざ出陣って時のいわば勝負服だ。それまでは夫丸ぶまる(人足)に担がせたり荷駄にだとして運ばせて、備えて置くもんだ」


「長野(為業)のお殿様、そう言うもんにゃの?」


「おタマ殿、残念ながら源太左衛門の言うとおりじゃぞい」


「そか…。わかったにゃ……」


 おタマは、装束のおへその辺りの所を両手づかみすると、とぼとぼと猫背になって奥の間へ消えていった。その後、この物語の主役である、長尾孫四郎景春ながおまごしろうかげはる具足ぐそく(鎧一式)を付けて装着具合が確かめられると、おタマの時と同じように鎧櫃よろいびつに収められた。これ以後は、景春の馬廻うままわり(親衛隊)を仰せつかった、八木原源太左衛門の手の者に管理され、運用されることになるのであった。


「今日の所はこれまでにしておこう。明朝支度が出来しだい、城を出て五十子陣へ向かう予定じゃぞい」


 為業の言葉で一同解散となると尼寺の時と同じように、その日は景春とれっきとした屋根の下で一夜を過ごす、おタマちゃんであった。なんだか景春は主役の座を奪われた気がしないでもない気分のようだった。


「おタマってこんな奴だったっけ? まあいいか、おもろ可愛いいしな」


 そんなことを呟きながら、迷い込んでくる虫に耳をぴくつかせて、ぐっすりと寝こんでいる、おタマちゃんをのぞき込む景春であった。そういえば猫が寝込むてあったな、余談だが…… (これってVRMMOゲームなんで、猫耳は突っ込みなしで)


   ◇◇◇


 一方その夜、城内の別室では、父為業に呼び出されて正座する少年があった。彼の体躯は見た感じ割と細身と思われるが、直垂ひたたれ(武士の平服)から時おり覗く両腕は、いわゆる細マッチョと呼ぶにふさわしかった。また彼は、ぎゅっと握りしめた拳を膝にのせる姿から、何やら困惑しているように見えた。


「五郎、そなたをここへ呼び出したのは他でもない。あの若君の小姓として付き従ってもらいたいからじゃ」


「どうして僕が…。彦太郎兄さんはお父上の跡取りなので別ですが、他にまだ次郎、三郎、四郎と立派な兄上がおるではありませんか」


「よいか五郎、そなたの言うとおり兄はおる、じゃがな、その兄たちも父の弟源太左衛門と同じように、これからこの長野家に従ってくる家へ婿として入り、兄彦太郎の重臣として仕える役目がるのじゃ」


「(ぐすん)僕では、そのお役に立たないってことですか」


「そなたは分かっておらんようじゃな、この長野家へ従ってくる国人衆こくじんしゅう(小領主たち)よりも、若様(景春)の方がはるかに格上じゃ、そなたの兄弟のうちでだれもが、若様の小姓へと聞けば、もろ手を挙げて喜ぶであろう」


「(ぐすん)それなら、なぜ僕がそのお役目を仰せつかるのですか?」


「よいか五郎、先ほど聞かせたように誰もが若様の小姓になりたいのじゃ。それゆえ父が五郎をと言えば、兄たちの不満もおおいに募ろう」


「ますます、わかんないよ」


「なら聞いてくれ五郎、明日朝出発したら父とは別に、たった一人でこの城を出て若様に近づき家来にしてもらうんじゃ」


「どうやって?」


「城中に集まっておる父が率いる一揆衆は、明日は若様と共に阿内あうちの砦で一休みとなろう、お前が容易に中へ入れるよう源太には伝えて置く、後は出来るな?」


「そんなの、わからないよ」


「よいか五郎、わしには凡々たる兄弟達の中で、お前だけには特別に光るものがあるとみておる。そなたならできる」


「なにそれ、でも、お父上ができる言うならやってみるよ」


「そうじゃ、やってみることが大事じゃ」


 だが為業は、本当に五郎に光があると感じていたわけではなく、息子五郎の将来を思ってのといっても良かったのだろう。後になってこの事を思い返すと、実は長野家の命運がかかっていたとも言えるのだった。父子の会話が終わると、厩橋城の夜は更けていった。


《ちっ、ちっ、ちっち》と、鳥のさえずる声がヘッドセット越しに流れると、どうやら厩橋城の朝がやって来たようだ。するとすっかり景春になり切った春香は思った。


(何だこのゲーム、オープンワールドって謡ってるのに、まるで一本道じゃあねえか。うん? 待てよ、でもこれってラウンドエックスのゲームだもんな。そういえばかつてエックスのゲームで『自由に探索できる広大な世界を』とか言って、実はだだっ広いだけで、なんも無いくそげーがあったっけ。このゲームもエックスのお家芸ってやつか、でもなんか没入感だけはな。もうちょいやってみるか)


 「春ちゃん、お出かけのお時間ですにゃあ」


 おタマは、昨日の猫背となってしょんぼりする姿とは打って変わって、なぜか晴れ晴れした声で景春の所へやって来たのだった。


「なんだ、おタマか、どうしたそのカッコウ?」


「八木ちゃんが用意してくれたにゃあ、どう? なかなかイケてるでしょ」


 そんなおタマの姿を見ると、鎧直垂よろいひたたれ(鎧の下衣)に手足の甲(防具)を付けて、萌えアニメの姫武者のような羽織をまとっていた。しかし残念ながら不必要な露出はなかった。


「だけど、もっとこうさあ、肩とかおへそが見えると可愛いんだけどにゃあ」


「おタマ、そんなんじゃあ、戦にならんだろ」


 景春の言うことはもっともで、どうやらこのゲームは、割とリアル寄りに作られているようだ。だが、ユーザーの要望によっては、おタマの希望するような装備が、バージョンアップで実装されるかもしれない。


「そうだよね、せっかく八木ちゃんが用意してたんだもんね。そんな事より春ちゃんもアタイみたいな装束が用意してもらってあるんで、お着換えするにゃ、お手伝いするにゃよ」


「わかったよ、でも、爪でこちょこちょすんなよ」


「そんなことしないにゃ、まかせるにゃ」


 おタマの手際よい所作により、すっかり若武者姿となった景春は、彼女の取る手綱(騎馬の誘導具)により、一揆衆(小領主集団)が勢ぞろいする場外の内出うちで(集兵所)へと馬を進めてきた。


「おタマ殿、すっかり見違えたな。普段はそれだが勝負服(忍具足)はいつでも用意できるぞ」


「八木ちゃん、そん時はたのんだにゃ」


 コクリと笑みを浮かべながら返事を終えると、八木原源太左衛門は兄為業の所へ報告に向かった。


「兄上、若の到着にございます」


「そうか、わかった、者ども出発じゃあ…ぞい」


 こう言って采配を振り下ろす上州一揆の旗頭はたがしら(親分)である、長野信濃守為業の合図とともに、軍勢は厩橋城から街道を南下して一里ほど離れた阿内の砦を目指した。遥か北方では湖色に濡れた赤城山がそびえ、それを背にしばらく進んで行くと阿内の砦が見えてきた。


「若、あれが阿内の砦でござるぞ、まあ砦と言ってもこの街道を進む軍勢が宿陣するための施設と言ってよく、広いだけで要害性はあまり持っておらん」


 こう八木原が言うように、この辺りは前橋大地上に広がる平野部で地面の凹凸がなく、東に流れる小河川が唯一の防護施設となっているだけだった。それでも大地を掘り下げ、柵をめぐらす最低限の作事の跡だけは残されていた。


「若がつく前に、物見を出しておかねばならんな。だれかあるか?」


 こう手勢に呼びかけるや否や景春に手綱を預けると、おタマが八木原の所へ駆け寄っていた。


「八木ちゃん、おタマが見てくるにゃあ」


「おい、待て何もいっとらんだろ」


 おタマは、すでに八木原の声も届かぬところを駆けっていた。どうやらおタマは俗にいう地獄耳であり、猫族の特技を猫一倍身に付けたキャラクターのようであった。つまり八木原とは、少々離れていても言ってることはお見通しなのだった。


「おおっ、ここが阿内砦か、八木ちゃんが言うように柵やちょいとした戸板のような資材が積んである、なんつうかあばら家があるだけだにゃ」


 猫足で砦に侵入するおタマの周りは静けさに包まれ、気まぐれに吹く風に転がされた、枯れ草が見えるだけだった。


「うん、なんだあ?」


 おタマは枯草の転げる音とは少し違う些細な物音に目を向けると、一瞬あばら家の片隅に動く影を見つけて、駆け寄った。


「おいだれだ、アタイの目はごまかせないにゃあ、いるんだろ、顔を見せるにゃ」


 物陰にある影は酷くおびえていて、声も出せずに震えているようだった。


「いいよ、そっちがそのつもりなら、べつにいいんだにゃ」


おタマは、にゃん速で物陰に突入すると、影の持ち主の首根っこを抑えにいった。


「なにものだ、春ちゃんに手を出すやつは、おタマが許さんにゃ」


 八木原から頂戴した鎧の下装束は、それだけでも防御効果が備わっており、おタマの勇ましい行動を助けるのには十分だった。


「いたいよいたいよ、ごめなさい、ごめんなさい」


「なんだ、ちび助じゃにゃいか、ところでお前ここで何してんだ」


「ここで待てと、父上に言われて……」


「いわれて、なんだ?」


「ごめんよ、よく覚えてないんだ…」


「お前馬鹿なのか、それだけでここに居たっつうんか」


「はい…」


「はいじゃないだろ、お前さっき父上といったにゃ、まるで武士の家みたいな言いようだけど、名前は何というにゃ?」


「ええと…な○○五郎…」


「なにぃ? このおタマ様にも、聞こえないにゃ、もう一度いうにゃ」


「あの…な○の五郎」


「よく聞こえないにゃあ、中野五郎といったかにゃ?」


 おタマに問い詰められたちび助は、この時ばかりと顔を上げて言った。


「うん、ぼくの名前は中野、中野五郎といいます」


 このような会話を続けていると、いつの間にか八木原がやってきて、おタマたちへ声をかけてきた。


「おタマ殿、人の話を聞かずに飛び出すとか、これっきりに願いますぞ。戦は一人でやるんじゃないんだ、現場でやるんだ」


 なんか聞いた様なセリフではあるが、ちっとんべえ違げえと思うがどうだろう。


「あ、八木ちゃんごめんよ。つい初仕事とか張り切っちゃったにゃん」


「まあよい」


 と言いながら、ちび助の方を見ると八木原は思った。


(五郎のやつ、旨くきっかけは掴んだようじゃな)


「ところで、そこの小僧はどうしたんだ」


「あのね八木ちゃん、この子ちょっぴりおつむが足りないみたい。なんでもお父上の言いつけでここで待つように言われたんだけど、その後どうするとか忘れちゃってるようなんだ。それでね、聞いたら中野五郎って言うんだって、なあ五郎そうだろ?」


  八木原の見つめる小僧は、その目くばせを見て少しほっとしたようで、こう答えた。


「ぼく、このお姉ちゃんの言うとおりで、中野五郎と言います」


「そうか、五郎かまあ良い。後のことはおタマに任せるがそれで良いか」


「八木ちゃん分かったにゃあ、任せるにゃ」


 普通なら五郎の処遇は、この砦からの追放が適切と思われるが、この計らいは為業と源太左衛門兄弟の思惑が働いていることに間違いなかろう。すると、時もたたぬうちに、為業率いる一揆衆が続々と砦へ入ってきた。


「おい五郎、こっちへ来るにゃ」


 こう言われ、おタマに引きずられるようにして、この少年五郎は景春の所へ連れていかれた。


つづく




















 

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