第8話 越後からの援軍と、おタマちゃんの晴れ姿
前話で越後勢を率いて三国峠を越えてきた、
「やれやれ、にここまで来るのには、骨が折れたわい」
「兄上、流石に孫四郎様のあまりにも早い
「為業ちゃん、ここまで来るのに、たびたび俺の事をじろじろ見てきやがって、うぜえったらないし、。まじきもいわ」
重景配下の者たちが怪しむのも無理はない。なぜなら、そもそも白井長尾家の御嫡男は、たいそう酷い病(呪詛?)におかされて余命を危ぶむ風聞が、越後長尾家にも届いていたからである。
「たのもう、それがしは長野家の家臣、
景春侍女のおタマは胸のところで両手を組み、軽く屈伸しながらその様子をのぞき込んでいた。
「おいおタマ、ちったあ大人しくできねえのかよ」
「なんで、春ちゃんだって右手の拳を、ぷるぷるさせてるじゃあにゃいか」
「若もおタマも落ち着かれよ、やたら本陣までたどり着けないのは、仕方がないのだぞい。いつ刺客に襲われるか分からんから、警戒に、過ぎるという事はないからのう」
「お待たせいたした、ささ、どうぞこちらへ」
こう言って登場したのは、越後
「ここからお上がり下され、奥でお待ちでござる」
久盛はこう言って景春らを引率し、部屋の前で片膝をつくと、奥へ向かって申し上げた。
「孫四郎様が、お着きでございます」
「そうか、とおしてくれ」
おタマと
「なんだなんだ、もっとちこう寄らんか、そなたの父長尾左衛門尉(景信)殿とは義兄弟であることを、知らぬはずがあるまい」
するとわきに控えていた為業は、きょとんとしている景春のフォローをするように、重景へ申し上げた。
「長尾弾正殿、若は病み上がりにて少々記憶に不確かなところが、おありになるようでして、じきに思い出すことでございましょう」
景春はこれに追従して、たどたどしい口調で話し始めた。
「そうそう、なんかちょっと調子が悪いんだ、ところで
「そうだな、その前にわしのことは弾正で良いぞ、端からのべると舌を噛みそうだからな」
「ありがとう、弾正ちゃん」
「なな、若、それではあまりにも」
そう言って慌てる為業であったが、重景は言葉をつづけた。
「よいよい、面白い奴じゃのう、病から回復したそうじゃが、まるで生まれ変わったようじゃのう」
「そうだよ弾正ちゃん、父上から、これからお前は、景春となって生きよと言われたんだ」
「そうか、景春と名を改めたのか、では
「さようにござる、それがしは長尾孫四郎景春である、なんちゃって」
「そうかそうか、そえは頼もしいのう。ところで戦の件じゃが、近々……。というわけじゃ、おぬしも
「そうなんだ、為業ちゃんと行くことになってるんだよ」
そんな軍事機密にあたる大事な話を、ぺらぺらと話してよいものか、との心配をよそに親し気な会話が終わると、景春たち一行は長野家の陣所へ戻ってきた。
「春ちゃん、なんか楽しそうだったにゃあ、アタイも混ざりたかったにゃあ」
「おタマ殿、お気持ちは察するが、私たちには身分という壁がある、それを乗り越えて中へ入り込むことは出来ないんだよ」
こういって
「八木ちゃん、なにそれ、そんな悲しい事言っちゃやだにゃあ」
おタマは、まだ初対面のはずの源太左衛門に対して『八木ちゃん』と言ってしまうのは、おかしなことであるが、ここはゲームの設定だからと得心してほしい。
「まあまあ、おタマ殿、そうしょんぼりするな、明日
この為業の景春の侍女おタマに対しての結構な気配りは、長尾家の若き武将景春への大きな期待によるところなのだろう。そして、つぐ朝、陣を払う(後片づけ)物音に目覚める、景春とおタマちゃんであった。
「いよいよ
大きく伸びをしてから、飛び跳ねるおタマちゃんを眺める景春であった。
「おタマ、なんかテンション高くね?」
「だって春ちゃん、厩橋にはアタイのための、お召し物が待ってるんだよ。この
「そうだったな、その格好で俺についてこられても、なんかつれえわ」
そこへ源太左衛門がやって来た。
「若、支度が終わりましたら
昨日は源太左衛門が景春の乗馬に手を貸したが、今日はそれをおタマに頼ってきた。これにはきっと訳があるのだろうが、ここでは追及するのをやめておきましょう。
「おいしょっと、春ちゃんわりと、お尻重いんだね」
昨日よりはすんなりと乗馬できたが、まだしばらくは補助が必要なようだ。
「うるせえ、尻軽よりいいだろ」
このような茶番劇のあと、景春とおタマは乗馬を終えて為業の待つ広場までやって来た。
「おう、若、早かったでござるな、では出発じゃぞい」
為業の号令と共に、源太左衛門を先頭にした一行は、白井城を出て利根川の東へ渡ると、長井坂から下ってきた街道を
「この辺りは、わしら長野家の大事な牧場じゃ。今年も良い馬が育っておることじゃろう」
「たしかに、そろそろ左衛門尉(景信)様のかえ馬も、用意せねばなりませんからな」
「そうじゃの源太(八木原)、ついでに若の分も頼んだぞ」
「兄上、若には大した入れ込みようですね」
為業と源太左衛門(八木原家に婿入り)が実の兄弟であることは、以前お話したとおりである。
「おう源太、分かるか? 若だけに」
「……。そっ、それは無論のこと……」
どうやら源太左衛門は、上州(群馬)名物赤城おろし(からっ風)よりも強力な、寒風にさらされたようであった。
「為業ちゃん、俺をだしにすんの、やめてくれる?」
こんなやり取りをしているうちに、周囲に広がる牧場を通り過ぎると、やがて目的地に近づいてきた。
「これは若、とんだ失礼を。ほれ、あれに見えるのが我が館のある、
言い終えると為業は、愛馬から下馬して
戦国後期に比べると簡単な作りであるが、白井城のそれよりは立派な建屋のある場所、いわゆる本丸へむかった。というより当時では、
「殿、お待ちしておりました。そちらのお方が、長尾の若様でいらっしゃいますね?」
為業はなにやら、こそばゆそうに『もみあげ』のあたりを指でしごいた。
「さよう、ところで節殿、例の召し物は準備万端かのう……」
ここは上野国である「かかあ天下とからっ風」と江戸時代には吹聴されていたが、そう言われたのは戦国期からだとも云われていた。為業と奥方の節との関係もこの例に漏れないと、考えてよさそうだった。
「殿、ご安心なされませ、左衛門尉(景信)様から若様の具足をお預かりしておりまして、それとは別に侍女殿のそれも、ご用意いいたしておりましてよ」
「そうか、おタマ殿の分もか、それではさっそく拝見いたそう」
こういった会話のあと、景春たちは板の間まで案内されたが、今度はおタマや源太左衛門も同時に床の座についた。すると節の指図のもと、家人たちが丁重に
「な、なんとこれは、
為業が驚くのも無理はない、昌賢とは先にも解説があったと思うが、
「春ちゃんすごいにゃあ、アタイには無いのかにゃあ?」
この能天気な一言に、為業の奥方の節が声をかけた。
「そなたが若様お付きの、おタマ殿ですね」
「そだけど、それが、どうかしたかにゃ?」
端に控えていた源太左衛門は、このやり取りを聞くと、たしなめるように口を開いた。
「おタマ殿、口が過ぎますぞ、お控えなされ」
「八木原、そなたの申すことはもっともなれど、まあこれを御覧なされ」
するとさらに家人は、紅がかったっお
「節殿、この装束をおタマにくれてやるというのか」
「そうですよ殿、おタマ殿は若様をお守りする大事な役目があると、お申し付けになったじゃありませんか」
「しかしなあ、これには節殿との思い出が……」
「だからですよ、みなまで申し上げなくても、殿にはお分かりでしょ」
「た、確かに……」
為業の頭には、長野家をここまで築き上げてきた過去がよみがえり、そこには妻節と戦場を駆け回った影が、浮かんでは通り過ぎていった。
「すごいにゃあ、これすごいにゃあ」
為業のそんな感慨深い思いもよそに、はしゃぐおタマを見かねた節は、奥の部屋へおタマを連れて行き、さっそく着替えさせると、床の間まで戻ってきた。
「じゃああああ~ん、どうよこれ?」
ぴょんぴょんと跳ねながらポーズをとるおタマちゃんの姿に、一同は、あんぐりと口を開けて、その凛々しい姿を見上げたのだった。
「こりゃあ
卒倒する一同は、吹くはずの無い『からっ風』(寒風)にあおられるのであった。恐るべし長野信濃守為業の実力……。
つづく
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