5
夕焼けの見える次の日は晴れになる――でも、夕焼けを見た次の日、僕の心は一体どうなるんだろうか。
放課後の校庭の隅に、ただひっそりと1つの影が見える。その影は、果たして僕にとってどう見えているんだろうか。わからないが素直な答えだ。心の中で嘘をついたからと言って、退学になることはないけれど、これは本当のことだ。
虚しさが胸を締め付ける。玄音が1人、寂しそうに草むしりをしている姿に。何も語ることなく草むしりしている姿に。
「玄音」
僕はそっと玄音に近づいて、声を掛ける。もちろん、その目的は決まっている。
「……墨興? どうしたの?」
僕の声に気づくと、玄音はクエスチョンマークを浮かべながら僕の顔を見てきた。夕日に包まれてた玄音の姿は、どこか神秘的に見えた。
「だいたい察せよ。手伝いに来たに決まってるじゃん!」
「えっ、いいのに……。これは私に対する罰だから」
「いや、校則に手伝っちゃだめなんて書いてないだろ」
強引かなとも思ったけれど、そうでもしないと玄音は僕に手伝わせてくれないだろうと思ったのだ。玄音の持っている袋には、半分ほど草が溜まっていた。だから、残り半分といったところだ。僕が加われば間違いなく早く終わる。
「ふふっ、そうだね」
これでも玄音に断れるかもと思ったけれど、そんなことはなく玄音はわざとらしく笑ったあと、僕に対してじゃあ、お願いと言った。僕はその言葉に反応して、草むしりを始める。軍手などを僕はしていないが、それでも構わない。痛くない。
正直言えば、僕が加わったことで作業の効率は3倍以上に上がった。それを表す証拠として、視線を袋にやるたびに草の量は目に見えるほど増えていた。
10分ほど過ぎて、夕日もその役目を果たそうとしている頃、草むしりは無事に終わった。玄音は手を洗うためにトイレに行くと言い、僕はその間にゴミステーションに今日の成果を捨てに行った。戻ると、まだ玄音の姿は見えなかった。
夕日が沈むまであと5分ほどといったところだろうか。何かもやもやしている。これが青春でいいのかな。こんなにも重い校則に、虚しい縛りを受けていいのかな。
僕はたった1人だけこの世界にいるような気がして、どこか遠くを眺めていた。水平線なんて見えないのに、僕の心の目ではどうしても見えるように感じてしまう。
「ほいっ」
――つめた!
その感覚に、一人の世界――その世界から抜け出す。
冷たいと感じたものの正体は、玄音が持っていたアイスだった。それを僕の頬に当ててきたのだ。流石にそれは冷たいだろう。おそらく、自販機で買ったのだろう。
「まあ、今日のお礼てやつだよ」
「玄音、ありがとう」
なんだか、玄音がいつもと少し違う。普通なら僕になにかを渡すことぐらい慣れているはずなのに、玄音の手がほんの少し震えていた。アイスが冷たくて手が震えてしまったのだろうかとも思ったが、そうではないような気がした。でも、そんな深く考える必要がある問題でもないんだろうと思って、僕らは数年前の卒業生が作ったベンチでアイスを食べた。
そのアイスはここで感じることができるなんて思わなかった青春の空の味がした。食べているときはお互い無言だったけれど、すぐ側に玄音が座っている。その玄音が時々僕の顔を見てニッコリと笑うのだ。
「玄音、ありがとう、美味しかった」
「ふふっ。私も、ありがとう。墨興がいてくれて本当によかったなって感じた」
「そうか、それならよかった」
玄音は、アイスの棒を眺めながら僕のことをそういう風に言ってくれた。玄音の眺めているアイス棒には大きく『当たり』と書かれている。普通ならここでそのことを喜ぶのが適切なのかもしれないけど、なぜかそれをいうことを僕はしなかった。
「墨興に今度は勉強を手伝ってもらおうかな」
「えっ勉強……?」
「だって学年一位じゃん。二位が確か、険くんだったっけ」
「まあ、そうだけどさ。そこは固定されてるな」
「……」
「……」
気づけば、夕日は完全に沈んでいた。時間を表すかのように。
「……あのさ、私が寝不足になるまで考えてた大切なことが何か、もう言ってもいいかな――いや、言いたい」
少しの間、再び沈黙が続いていたけれど、今度は僕の方を向いてそう言ってきた。お昼のときなんて教えてくれる素振りも見せなかったのに、なぜかそう言いだしてきたので僕は少し驚いてしまった。でも、それよりも驚いたのは、玄音の瞳の中に僕の姿がくっきり映っていたことだ。
「――綺麗だね、月」
玄音の言葉に僕は空を見上げた。僕の瞳にもはっきりと映った。たしかに綺麗だ。満月とまでとは言えなくてもほとんど欠けていない丸い月だ。昔の人はおそらくもっと心を奪われていたのだろう。
「うん、そうだね」
「――墨興って察しが悪いな……」
僕は、普通に返したつもりなのに、彼女の残念そうな声が耳に響く。察しが悪い……? 僕は心のなかでその言葉を言い換えてみる。
――月が綺麗だね。
「えっ、玄音……」
そうか、僕は悟った。
月が綺麗だね――それは告白を遠回しの言葉。
玄音は僕に対して、想いを伝えているのだ。
「玄音……本当なのか?」
わかっているはずなのに、そう聞いてしまうのは僕の意地悪だろう。玄音はこの世界の空気をと一緒に、うんと静かに頷いた。
玄音は僕のことをそう言ってくれた。でも、僕は一体どうなのだろう。少なくとも玄音のことが嫌いだとか、普通の友達だとかそう思っているのではないということはちゃんと言える。
「そう。ただ、自分の気持ちに嘘、つかないでね」
玄音が必要以上に気持ちを伝えてこないわけが、この言葉からわかった。必要以上に好きだとか、自分の気持ちを伝えてこないわけが。玄音が僕を必要以上に誘導することで、嘘を付くことを恐れていたのだ。ここで嘘をつくことはできない。僕が仮に玄音のことが好きではないのに、玄音の気持ちが強すぎて意味のある嘘をついたとして、僕が退学してしまうことなんてあってはならないなから。
「……僕の気持ちか――」
僕の気持ちは一体、玄音のことが好きなんだろうか。好きとは違うんだろうか。今、玄音に答えを出さなくてはいけないのに、自分の気持がわからない。玄音に対する気持ちが。ただ、僕は玄音と仲良くしたいから一緒にいるの? 心強いから? それとも、好きという気持ちが僕の心にあるから?
「……嘘つけないから、ちゃんと自分の素直な気持ちを言うよ」
玄音はさっきよりも控えめに頷いた。玄音は僕のことが好きといえ、僕の気持ちは別であり、その気持ちに答えらなれないとしても、僕は忙しいからとか今は恋愛に興味がないだとか、それっぽい理由をここでは並べられない。相手のことを思ってつく嘘も言わない。いや、言えないということだ。本当の気持ちのみを玄音に言う。
「――僕の気持ちは」
なんだか僕が緊張してくる。相手のほうが何倍も何倍も緊張しているはずなのに。なぜ僕の手から汗が出てくるのだろう。
「――もう少し時間がほしい。ただ、僕もたぶん玄音のこと、好きなんだと思う」
これが僕の今の本当の気持ちだ。偽りもない。その途端、学校のチャイムが鳴る。
まるで、僕が本当のことを言ったことを祝福しているかのようだ。それとも、このチャイムは別のなにかを僕に伝えているのだろうか。ただ、1つ悔しいことがあるのだとしたら、ほとんど玄音のことを好きだと思っているのに、ちゃんと好きと言えないことだ。まだ、そうだとは確信できる段階にはないから。
「ありがとう、興墨」
玄音は僕の顔を見ながら泣いた。その瞬間、玄音のことをかのじょだと思ったのだ。彼女ではなくかのじょだと。
ずるい、ずるい。今のかのじょが一番美しい。その涙がかのじょの美しさをより引き立てているように思えた。それが余計に僕を悔しい気持ちにさせる。
「じゃあ、これからもよろしくお願いします」
「うん」
かのじょは僕の近くに手をやった。僕はなんとなくそれを察し、かのじょの手の上に自分の手を置いた。
「じゃあ、今日はもうそろそろ帰ろうかな、バイバイ」
「うん、じゃあ」
かのじょはそう言うと、ゆっくりと手を僕の元から離していき、校門の方に帰っていった。僕はかのじょの姿を眺めながら、自分も帰る準備を始めた。真っ暗な中、2人の姿がこの世界に溶けているのだろうか。
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