第20話 顛末
美雲が事件の顛末を姚妃に知らせたのは、翌朝のことだ。ただ、皇后のことについては、自分はまだ触れないほうがいいと思い伏せている。だから、姚妃の耳には皇后のことは入っていないだろう。
庭園の高楼で、美雲は姚妃にお茶をいれる。姚妃が他の宮女たちを下がらせたので、今ここにいるのは二人だけだ。
澄んだ空気が流れていくのが心地いい。石の椅子に腰掛けた姚妃は、「そうなのですね……」と静かに納得したように答える。
「姚妃様、体調はいかがですか?」
昨晩、怖ろしい目に遭ったのだ。眠れなかったはずだ。
美雲は心配になって尋ねる。
「私は大丈夫です。あなたと志勇のおかげです……」
姚妃の手は、そっとお腹に添えられている。美雲はよかったと、心の中でホッとする。大事なお腹の子に何かあれば、一生恨まれても仕方ないところだった。
姚妃に促されて、美雲は向かいに腰をかけた。
「姚妃様、私の役目も終わりましたので、明日には廟に戻ろうと思っています」
「そうですか……寂しくなりますね。でも、そのほうがよいのでしょう」
お茶を飲みながら、姚妃は視線を庭園に向ける。しばらく黙っていた彼女は、不意に口を開いた。
「志勇のことを、頼みます」
「えっ! あの……それはどういう意味でしょうか?」
美雲は驚いて、おずおずと尋ねた。
「あなたは、あの人と交際しているのでしょう?」
真顔できかれて、「まさか!!」と大きく手を横に振った。
驚いて顔の熱が急に上がった気がする。
姚妃様は、どうしてそんな誤解をしたのだろう。
まさか、志勇がでたらめを言ったのでは――。
それは大いに考えられることだと、志勇の暢気な笑顔を思い出して眉根を寄せた。
「違うのですか。てっきりそうだと思っていました。ですから安心していたのです」
「安心、ですか?」
「志勇は蓮珠が亡くなってから……ずっと塞ぎ込んでいましたから」
「蓮珠……」
その名は一度も聞いたことがなく、誰のことだかわからなかった。だが、志勇が初めて廟にやってきた時の姿が頭を過る。もしかして、志勇の大切な人だろうか。
てっきり、それは姚妃のことだと思っていたけれど――。
「私の妹なのです。半年ほど前に、他界してしまったけれど……志勇はあの子のことをずっと悔やんでいましたから」
「志勇さんとは仲がよかったのでしょうか……」
尋ねる美雲の声が小さくなる。
「幼い頃からよく知っている相手でしたから。蓮珠は私と違い、明るくて、活発で、男勝りなところもあって……志勇とは兄と妹のような間柄でした」
姚妃の妹君なら、きっとその蓮珠という女性も美しかったのだろう。
志勇とは、恋仲だったのだろうか。名家の令嬢である姚妃の妹であれば、皇帝の弟である志勇とも釣り合いは取れていたはずだ。
「許婚だったとか?」
「いいえ、蓮珠は私と同じく後宮に入ったのです」
ということは、姉妹で皇帝の妃になったということだ。姚妃は驚いている美雲を見て、「珍しいことではありませんよ」と言う。
「私もその頃はまだ懐妊していませんでしたから」
跡継ぎを産む者を一人でも多く、後宮に入れたいという姚妃の一族の思惑だったようだ。後宮に入った蓮珠には、すぐに子ができた。だが、その子は死産だった――。
皇帝の弟である志勇と、連珠が恋仲であるという噂が流され、さらには連珠の身ごもった子が志勇の子ではないかという心ない噂まで広まったようだ。それは、連珠の懐妊を妬む他の妃や、その妃の一族の者たちの仕業だろう。
「それから、連珠は心を病んでしまって……人が変わったようになったのです」
ひどい話だと、美雲は聞きながら憤りを覚えた。きっと、連珠は心を痛めただろう。生まれてくる子の幸せは願われて当然のものだ。恨みや妬みで、不幸を願うなどあってはならない。
連珠というその女性は、不可解な死を遂げたのだと姚妃は声を落として話してくれた。自殺なのか、誰かに殺されたのかも、わからないままだという。皇后が恨んで殺したのだという者もいたようだが、証拠もなくうやむやにされた。
「志勇は連珠の死に、責任を感じているのです……」
連珠の子が死産だったのも、噂がもとだと思ったのだろう。自分と連珠の仲が疑われるようなことがなければ、彼女も中傷に晒されることもなく、無事、子どもも産まれていたかもしれないと――。
ああ、そうだったのかと、連珠は黙って姚妃の話を聞く。
その責任は志勇にあるわけではない。そのような流言を広めた者のせいだ。だが、それでもあの人はやはり自分を責めずにはいられなかったのだろう。
心が痛い――。
美雲は裳を両手で握って俯く。
今も苦しい想いを抱えているのだろうか。志勇が密かに蓮珠のことを想っていたのだとしたら、ますますいたたまれない。
その話をわかっていたら、あの人が初めて廟にやってきた日、もっと違うことを言えていたかもしれないのに。何も知らないから、きっと一つも役に立たなかった。
ああ、私はダメだな――と、美雲は思わずこぼれた涙を、指で拭う。
「ですから、あなたには感謝しているのです」
「どうして……ですか?」
何もできはしなかったのに。
「あの人がまた、笑うようになったから」
美雲を見つめて、姚妃はそう答えた。驚いて、次の言葉が出ない。
姚妃は湯飲みを口に運びながら、微笑んでいた。
「蓮珠も……きっと喜んでいるでしょうね」
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