第19話 決着

 女性の悲鳴が聞こえてきたのは、庭園内にある大きな池のそばだ。

 美雲と志勇は、すぐさま走り出す。強く風が吹き、周囲の木々が揺れて葉が散っていた。二人が足を止めると、池にかかる橋の上に人がいる。いや、人だったもの、というべきだろうか。

 

 美雲も志勇も、その姿を見て息を呑んだ。巨大な大蛇がとぐろを巻き、その大きく裂けた口から宮女らしい女性の半身がだらんっと垂れている。

「義姉上……」

 志勇があ然としたように呟いた。その顔は、たしかに皇后のものだ。だが、赤く染まるその目は人のものではなく、縦長な蛇の目に変わっていた。髪は解けて乱れ、首から顎にかけても鱗の模様が浮かんでいる。

 

 美雲は我に返り、袖から赤い糸を取り出した。それを蛇女に向かって投げると、糸は首に絡まり、美雲の手に戻ってくる。それを強く引っ張ると、首を絞められた蛇女が「グッ!」と苦しそうな声を漏らした。美雲は両手で糸を目一杯引き絞りながら、「炎帝招来、急急如律令!!」と呪文を唱えた。


 糸を辿るように炎が走り、蛇女の胴体に一気に燃え広がる。その炎で焼かれた蛇女は「ぎゃああああっ!!」と、絶叫した。胴をくねらせ、のたうちまわりながら炎を消そうとしている。それでも消えないとわかると、ズルズルと体を引きずり、池の欄干によじ登ろうとしていた。池に逃げ込むつもりなのだろう。


 志勇が走り出し、橋の欄干に飛びのる。その手に握られているのは、銀色の長剣に変わった桃木の剣だ。志勇はその剣を蛇女の胴に突き立てようとしたが、鱗は鋼鉄のように硬くて弾かれ、橋の上によろめくように着する。

 蛇女は加えていた宮女の体をあっという間に飲み込んでしまい、うまそうにペロリと舌なめずりした。


「……いくら空腹だからと、己の宮女まで喰らうとは、いささか悪食が過ぎませんか? 義姉上」

 志勇が引きつった笑みを作り、剣を構えながら声をかける。蛇女は目を細くして、グルッと頭を後に巡らせた。

「まだ足らぬわ……お前たちと、あの忌々しい女を呑み込んでやるまで、妾の腹は満たされぬ……ああ、かわいそうに。役立たずで不細工だった妾の妹たち……お前たちの手で殺されて、灰に戻ってしまった……その敵を討ってやらねばね!」


 皇后の顔をしたその蛇女は体をうねらせて、美雲の方へと襲いかかってきた。

 お札を懐から取りだし、印を結び、呪文を唱える。片膝をつくと、そのお札をバンッと地面に叩きつけた。その瞬間、地面の土が泥沼へと変わり、蛇女の体を引きずり込む。泥の中で悶えながら、蛇女は「小娘がっ!」と忌々しそうに吐き捨てた。泥の中に半分埋まってもなお、抵抗して逃れようとしている。

 

「妾を誰だと思っている! この国の皇后ぞ! その妾をこのような目に遭わせて、ただですむと思っておるのか!! 許さぬ……許さぬ……陛下に頼んで、おまえたちなど人豚にしてくれる!! ああ、そうじゃ。生きながら地獄を味わわせてやる!! 誰か、誰かか、おらぬのか!! 反逆じゃ、この者らを捕らえよ!!」

 

「皇后に成りすます妖魔だろう。貴様の正体など、兄上はとうにご存じだ」

 剣を手にやってきた志勇が、蔑むような冷たい目を向けて言い捨てる。その言葉に、美雲は驚いて彼を見た。

「なにを言う!! 妾が皇后でなければ、誰だというのだ!! 陛下ならばわかってくれるはずじゃ……陛下をここに……陛下!! 助けてくださいませ。この者らが妾をいたぶるのです!!」

 蛇女の体は暴れれば暴れるほど、泥の中にはまっていく。もうすでに首まで埋まりかけていた。


「数日前に、この池で女の死体が見つかった……すでに顔も見分けがつかぬほど崩れていたが、服から宮女だろうと判断された。その女の袖の中に、皇后のものであったこの簪が入っていた」

 志勇はそう言うと、髪を留めていたその簪を引き抜いて、蛇女の前に投げる。それは、鳳凰の紋様が刻まれた玉の簪だった。


「だからなんだという! 妾の簪を盗んだ宮女が、おおかた恐れをなして自害したのであろう! ああ、そうだ。宮女が一人いなくなることなど、よくあることではないか!」

「そうだな……だが、陛下はこの件を私に内密に調べるように命じた。なぜなら、皇后の元に配属された宮女が、幾人も姿を消していると報告があったからだ。お前が呑み込んだのだろう……さっきの宮女や、義姉上と同じように」

 剣を蛇女の喉につきつけながら、志勇は淡々とした口調で問う。


 志勇も皇帝陛下も、皇后がすでに亡くなっていることを知っていたということだ。

 そうでなければ、いくら女装で誤魔化しているとはいえ、志勇が後宮に出入りできるわけがない。皇帝陛下の密命で、許可を得ていたからできたことだ。


 この妖怪は、呑み込んだ者の記憶や姿を吸収し、蛇が脱皮を繰り返すように、体を吐き出しては姿形を模して成りすますことができるのだろう。元は蛇だったものが呪詛によって長く妖気を溜め込み、妖怪へと変わったもの。

 

「なぜ、姚妃まで狙った。皇后の体だけでは飽き足りなかったのか……」

「どうせ喰らうなら、自分だけではなく姚妃も道連れにしてくれと、皇后が最後まで泣いて頼んだのだ。哀れなものだろう? だから、妾はその願いを叶えてやることにしたよ。妾がこの後宮を掌握するためにも、あの女は邪魔だった……だが、しくじったのなら仕方ない。お前だけでも道連れにしてやろう!!」

 

 蛇女の伸ばした舌が、志勇の片足に巻き付く。志勇が倒れて、その脚が泥沼に引きずり込まれそうになっていた。

「志雲さん!」

 飛び出した美雲は、沼に沈みそうになる志勇の腕を両手でつかんで引っ張った。だが、踏ん張った足が泥のせいで滑りそうになる。


「離してくれ。君まで呑まれるぞ!」

 志勇が焦ったように叫ぶ。だが、この手を離すことができなかった。

 二人が泥沼にはまった状況では、術を解くわけにもいかない。


 志勇が剣で脚に絡まっている舌を断ち切り、蛇女の顔を思いっきり蹴りつける。そのおかげで、脚が泥沼から抜けた。

 美雲は今だとばかりに、ぐいっとその体を引きずり上げる。


 美雲は懐から取り出したお札を投げ、「悪鬼殲滅、雷撃を剣と成せ、雷帝招来!!」と呪文を唱えながら印を結んだ。直後、空に稲光が走り、ドンッと振動と音が響く。悲鳴を上げた蛇女の体は、沼に落ちた雷撃で黒く焼け焦げていた。

 それは少しずつ灰へと変わり、風に流されていく。


 泥沼も元の地面に戻ると、美雲は立ち上がって砂の山へと近付いた。

 膝をついて砂を払うと、砕けた壺の破片が現れる。

 くすぶるように立ち上っていた黒い妖気の煙も、徐々に薄れていた。


「志勇さんはお人が悪いです……ちゃんと話してくれていたら、こんな危ない依頼、引き受けたりはしませんでした」

 美雲はため息を吐いて、後に立った志勇に向かって恨みがましく言った。

「陛下の密命だから、軽々しく言えなかったんだ……まして、皇后がすでになくなっていて、かわりに妖怪が成りすましているなんて公にすれば大事だ。それに、確かな証拠があったわけでもない。あ……も、もちろん、依頼料は倍額に弾むさ!」

 慌てたように両手をみせながら、志勇はいつもの緩い笑顔で誤魔化そうとする。

 確かにそうねと、美雲はため息を吐いて膝を上げる。

 皇后の正体が妖怪だなんて、訴えたところで誰も信じなかっただろう。


「新しい廟が建つほどの報酬をいただけるそうですが、倍額だととんでもない額になりますよ? 安請け合いして、後悔しても知りませんからね」

「信じてもらえないかもしれないけれど、私はこれでも、そこそこのお金持ちなんだ」

 腰に手をやりながら、志勇はニッと笑う。なにがそこそこなものですかと、美雲はジト目になる。王弟なのだから、とんでもないほどのお金持ちだ。

 確かに、廟くらいいくらでも新築できるのかもしれない。もっとも、そんな大金をほしいとは思わないが。


「姚妃様も……ご存じだったのですか?」

「いや、あの人は知らない。不安がらせたくはないからね。だが、事件が片づいたからには話さないわけにはいかないだろうな……」

 美雲は「そうですね」と、呟いて髪を押さえる。

 いずれ、皇后が亡くなったことは、誰もが知ることになるだろう。どういう形で伝えられるのかは、皇帝陛下や志勇、そして重臣たちが決めることだ。おそらく、真実は知らされることはないだろう。皇后の名誉のためにも。


 妖怪退治が片付いたからには、美雲の役目ももう終わりである。

 今夜だけでも二体の妖怪を退治したのだ。もうくたくたで、脚が立たない。気付いたら、志勇の背中に自分の背中を預けてもたれかかっていた。

 今はそうしたい気分だったのだ――。


 志勇もじっと、美雲に背中を貸してくれている。二人で束の間、夜空を見上げていた。雲が流されると、隙間に月が見えていた。

 

「あなたのせいで、ひどい目に遭いました……」

「じゃあ、責任を取らないと」

「どう、責任を取ってくれるんです?」

「そうだなぁ……」

 しばらく考えていた志勇が急に背中を退けたので、支えをなくして倒れそうになる。志勇は美雲の方を向くと、よろめいた美雲の腕を取った。

「私が君のよき伴侶に……」

「けっこうです」

 素早く答えて、美雲は腕を引っ込める。そして、「もう部屋に戻って寝ますから、志勇さんもお休みください」と素っ気なく言って歩き出した。


「真剣な申し込みだったんだぞ」

 慌てたように志勇が追いかけてきて、隣に並ぶ。どうしてなんだと、納得できない顔だ。この人のことだから、断られることなんて考えもしていないのだろう。

 なにが真剣な申し込みなものですかと、美雲はプイッとそっぽを向いた。 

 

「私はお金持ちだし、優しいし、思いやりもあるし、おまけに強い。顔にも自信があるし、頼りにもなる。これほどいい相手は、国中探したって見つからないよ」

「自慢したいんですか?」

「君が私の良さを少しも理解していないようだから、言い聞かせているんだ」

「私は道士です。結婚なんてしません」

「道士でも結婚している人は大勢いるだろう?」

「ええ、そうですけど、私は結婚しない道士なんです」

「それなら、君の妖怪退治に付き合う相棒っていうので、どうだろう? それなら、必要だと思わないか?」

 ニコニコしながら聞いてくる志勇を、足を止めて見る。


「ですから、私は妖怪退治は専門じゃありません!! 縁結び廟の道士なんです!!」

 美雲がつい大きな声を上げると、志勇が「しっ!」と口を手で塞いできた。

 通路の先が騒がしい。そのうちに灯りが見えて、「誰だ!」と声が上がる。後宮の警備をしている者たちだろう。

「怪しいやつがいるぞ。捕らえろ!!!」

 

「ま、まずい。見つかってしまった!」

 志勇は焦って言うと、美雲を抱え上げる。「あっ、ちょ、ちょっと。下ろして!」と、美雲は脚をばたつかせた。志勇はそんなことはかまわず、走り出す。

 

「また、妖怪が……宮女の妖怪が出たぞーっ!!」

「お化け女だーっ!!!」


 そんな声が上がって、美雲も志勇も思わず笑いを堪えた。

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