第17話 二体目の妖怪
志勇に抱えられて姚妃の寝所に戻ると、姚妃はすでに就寝しているのか、部屋の灯りが消えていた。他の侍女や宮女たちも、部屋に戻ったのだろう。自分の部屋として用意されている隣室に運んでもらうと、すぐに雷辰がやってきた。
「師姉! なんで、こいつがいるんだ! しかも……女の恰好して」
「それはいいから、すぐに清浄香をたいてちょうだい」
美雲は志勇に下ろしてもらいながら頼んだ。雷辰は頷くと、部屋の棚から香炉やお香入れを運んでくる。だが、その姿は志勇には見えないため、誰に言ったのかわからなかったのだろう。
彼は美雲の腕に巻かれた帯を解きながら、「清浄香?」と聞き返してくる。
「ああ、いえ。志勇さんに言ったんじゃないんです。私の師弟がいて……」
立ちくらみがした美雲の肩に、志勇が「おっと」と手を回した。
「おい、気安く師姉に触るな!」
声がして、パッと雷辰が姿を現す。いつもは拳ほどの大きさだが、人の前に姿を現す時には普通の子どもと変わらない大きさになる。それは、廟で留守番をしている小桃も同じだ。人の姿に化ければ、志勇のような普通の人の目にも映るし、話すこともできる。
志勇はいきなり目の前に子どもが現れたものだから、びっくりしたように口をあんぐりと開けていた。
「な……なんで、後宮に男の子がいるんだ!?」
「そういうお前だって、男じゃないか!」
腕を組んだ雷辰は、ムッとした様子で志勇を睨み付ける。
「二人とも、話は後にしてちょうだい……先にやることがあるでしょう!」
美雲はすぐに止め、椅子と卓を用意して腰を下ろす。お香の香りが充満してくると、頭の中で騒ぐ妖怪の声がいっそう大きくなり、気分が悪くなってきた。まるで、体をずっと揺さぶられているような気分だ。
「美雲、私はなにをすればいいんだ? 気分が悪いなら、背中でもさすろうか?」
志勇は美雲の顔が青ざめて、額から汗が流れ出していることに気付いたのだろう。ひどく心配して、オロオロしていた。雷辰が志勇を押し退けて間に入り、「師姉に近付くな。あっちに行け!」と追い払おうとする。
「そうしないと、頭の上に雷を落とすぞ!」
「この坊やは、そんなことができるのか。すごいな……」
志勇が目を丸くして雷辰の頭をポンポンと叩く。子ども扱いされて腹を立てた雷辰は、地団駄を踏み、「触るな、触るな!」と小さな雷電を放っていた。
「雷辰、いいから手伝って。私の中に妖怪を閉じ込めているのよ」
美雲は卓の上で墨を擦り、紙に符を書きながら、雷辰に雄鶏の血の入った壺を持ってくるように頼んだ。
「妖怪だって!?」
驚きの声を上げた雷辰は、言われたように部屋の隅に置いてある壺を取りに行く。
体の奥から、妖気に侵食されていくような感覚に、全身から汗が流れ落ち、手が震えてきた。妖怪は体の中で暴れながら、美雲が気を失うのを待っているのだろう。その隙に、もう一度体を乗っ取るつもりなのだ。
そうはさせるものですか――。
あの空き部屋で、妖怪が美雲の体を乗っ取ろうとするのがわかっていて、あえて抵抗しなかった。体の中に閉じ込めてしまえば、妖怪は簡単に出られなくなる。危険な方法ではあったが、逃さず、確実に捕らえられる。
「美雲、大丈夫なのか? ひどい汗だ……」
膝を突いた志勇が、取り出した手巾で額の汗を拭ってくれた。
美雲は笑みを作って、顔を上げる。
「志勇さん、あなたがいてくれてよかったわ……」
「改まって言わないでくれよ。まさか、今生の別れの挨拶でもあるまいし」
「ええ、そうね……お願いがあるんです。手伝ってください」
美雲はクルッと後を向き、衣をずらす。
露わになった背中に、志勇が「うわっ!」と自分の目を両手で覆った。
「ああっ、師姉に何をしているんだ。このスケベ野郎!」
壺を抱えた雷辰がすぐさま戻ってきて、志勇の脚を蹴りつけた。
「言いがかりだぞ。私はまだ何も見てない!」
「この紙に書いた護符と同じものを、私の背中に書いてほしいです」
「ご、護符?」
志勇は指の間を開いて、隙間からチラッと覗く。美雲は「ええ、そうです」と、符を書いた紙を見せた。志勇は目を覆っていた手を退けて、受け取った紙をまじまじと見る。その間も、雷辰が「この野郎、スケベ、変態!」と脚を蹴り続けている。
「雷辰、やめなさいってば。あなたは精怪だからお札は書けないでしょう?」
美雲は衣の襟を前に寄せて隠しながら言った。他の神へ助力を請い、その力を借りるのが護符だ。それは人にしか行えない。
雷辰は「そんなもん、必要あるかい。おいらが、雷を落とせば妖怪なんて一発だ!」と、むくれている。
「ええ、そうでしょうね。それなら、私の頭に雷を落としてくれる? 妖怪が驚いて飛び出してくるかもしれないわ。私は丸焦げになるでしょうけどね」
言い聞かせられた雷辰はぐぐっと言葉に詰まり、「そんなこと、できるもんか!」とへそを曲げて大人しくなった。
鶏の血を硯に落とし、筆を浸してた美雲は自分の両腕にも符を書いていく。それが終わると、後に立つ志勇に筆を渡した。
「一つ聞くが……間違えたら、どうなるんだ?」
「効力がありません。あと、たぶん……」
妖怪の妖力が余計に強まり、押さえられなくなるかもしれない。そうなれば、残る手段はただ一つだ。
師父がやった方法と同じ――道士の中では禁忌とされる方法。
妖怪を体に封印して命を絶つ。いわば、己の命と引き換えにして、妖怪悪鬼を、地獄へと道連れにする方法。
想像を絶する苦しみにもがきながら、血を何度も吐いて、命を落とした師父の姿が、頭を過った。怖くないわけではない。だが、自分は人の救済を行う道士だ。師父の弟子であるなら、やらなければならない。
「大丈夫です……妖妃様は、お守りしますから……」
美雲はほんの少し笑ってみせる。何か言いかけた志勇はギュッと唇を閉じて、筆を受け取った。渡した紙を見ながら、慎重に美雲の背中に符を書いていく。符を書いた部分が焼き印でも押されたように熱く感じられて、痛みを堪えて唇を噛んだ。
額から流れ落ちた汗が床へと落ちていく。雷辰は「師姉……っ」と、心配そうにそばで顔をのぞき込んでくる。
志勇の筆が途中で時折止まるのは、このまま書き進めて大丈夫だろうかと不安に思っているからだろう。「志勇さん、かまわず……最後までお願いします」と美雲は頼む。
体から黒い煙のような妖気がゆるっと立ち上り、呻き声と悲鳴のような声が室内に響いた。体から抜け出す煙は徐々に蛇の姿を現し、顔や髪へと変わる。
美雲は全身を震わせ、自分の両腕をつかんで目をギュッと瞑る。呪文を口で唱えながら、自分の胸に指で北斗七星を描く。最後に強く自分の胸を叩くと、妖怪の絶叫が響いた。
美雲の体の中からたたき出された蛇女は、床の上でのたうち回りながら、床や壁を爪で引っ掻いている。「おのれ、道士の小娘が。許さぬ、許さぬ!」と、呪うように吐いていた。
その血走った目が美雲に向けられると、雷辰と志勇の二人が前に出る。
「志勇さん、これを!」
美雲は立ち上がり、桃木の短剣を取ってその刃に己の血で符を描く。銀色の剣へと変わったそれを、志勇に向かって投げた。
振り返ると同時に受け止めた志勇が、飛びかかってくる蛇女の刃を間一髪防ぐ。だが、力で押されて後に下がっていた。
「この蛇の化け物め! 師姉のかわりに天罰だ!」
雷辰は精怪の姿に戻ると、宙に浮かんで蛇女に雷撃を落とした。美雲は卓の上に用意していたお札をつかみ、悲鳴を上げて痙攣している蛇女に向かって放つ。
呪文を唱えると、お札は鎖のように繋がって蛇女の胴体に巻き付き、その動きを封じる。
その時、「いったい、何の……」と声がして部屋の戸が開いた。
寝間着の上に羽織りを着た姚妃が、姿を見せる。物音がするから目を覚まして様子を見に来たのだろう。不安そうな顔で部屋を覗いた姚妃は、蛇女を見て目を見開いていた。
「姚妃様、いけません。部屋を出て!」
「姚妃!」
美雲と志勇が焦って同時に叫ぶ。蛇女は体に張りついた札を、己の鱗ごと引きちぎり、赤黒い血をまき散らしながら姚妃に向かって飛びかかっていく。
「あはは、ようやく見つけた! お前を殺せば、自由になれるんだ!」
姚妃を丸呑みにするつもりなのだろう。美雲は香炉をつかんで飛び出した。
姚妃の前に出ると、蛇女めがけて香炉の灰をぶちまける。だが、目を潰されながらも蛇女は美雲に巻き付いてきた。
締めつけられて息ができず、全身の骨が折れてしまいそうだった。
気を失いそうになった時、ふっと締める力が緩む。
驚いて見れば、蛇女は舌を出したまま頭を横たえていた。その額には、志勇に渡した剣が深く突き刺さってる。
蛇女の胴体は見る間に砂へと変わり、顔も崩れて形を失う。
後には、剣の突き刺さった古い壺が残っていた。
「そろそろ、妖怪退治が得意になってきたみたいだ」
冗談のように言いながら、志勇は片膝をついて壺から剣を引き抜く。銀の剣はその手の中で、元の桃木の短剣へと変わっていた。
「志勇さん……」
美雲は安堵して息を吐きながら座り込む。
ハッとしたように部屋を飛び出した志勇は、倒れそうになっている姚妃をすぐに支えていた。姚妃は震える手で志勇の袖をつかみ、寄りかかっている。
その姿を見ていた美雲は、「よかった、ご無事だわ」と小さな声で呟いた。
志勇が妖妃の心配をするのは当然のことだ――。
「師姉!」
雷辰が泣きそうな顔でしがみついてくる。
「師姉、ごめんよ。おいら、少しも役に立たなくて」
顔を伏せる雷辰の頭を、ふっと笑みを浮かべて撫でてやった。
「なにを言うの。雷辰、大活躍だったじゃない。大助かりよ」
「これでもう、廟に戻れるだろう? おいら、もうここにいるのは嫌だよ」
雷辰は顔を上げてきいてくる。美雲は「そうね」と呟いて立ち上がった。
残された壺のそばに行き、膝をつく。
壺は剣が突き刺さったせいで罅割れ、触れるとすぐに割れてしまった。中から現れたのは、前に蛇女を倒した時と同じく、黒く変色した骨と、干からびた蛇の死骸だ。壺の表面に貼られていたと思われるお札も、剥がされている。
あと一体――。
それを始末しないことには、帰れない。
そして、最後の一体の居場所なら、もうわかっている。
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