第11話 消えた妖怪

 深夜になるのを待ち、部屋を抜け出した美雲は人気のない通路を通り過ぎ、あの空き部屋まで向かった。雷辰はついてこようとしたが、姚妃が心配で見張りを頼んできた。妖怪がその腕に呪詛のような印を残していった。となれば、姚妃はいつ狙われてもおかしくはない。もし、少しでも異変があれば、雷辰が知らせてくるだろう。


 門の前まで来たところで、「やっぱり、待っていて正解だった」と声がした。振り返ると、木の上から志勇が飛び降りてくる。門を封じてから三日目だ。だから、ここに美雲が現れると予測していたのだろう。

「志勇さん! ま、また……そのかっこうをしてきたんですか……」

 志勇の恰好は、以前と同じく女装姿だ。見つかったら大変なのに、忍び込んでくることを楽しんでいるふしすらある。志勇は「どこから見たって、宮女だろう?」と、流した髪を手で払って見せる。前回より、念入りに厚化粧をしてきているから、暗闇の中でも顔の白さがやけに際だっていた。その上、胸も以前より盛っているように見える。

「そうですね……宮女の妖怪か幽霊に……また、見間違われると思います」

 美雲は視線を逸らして、そう答えた。どこからツッコんでいいのかわからない。後宮ですっかり噂になっていることを、志雲は知っているのだろうか。


「門の中の蛇女が大人しくしているかどうか、確かめにきたんだろう?」

「ええ……でも……門の封印が……」

 門の前に立つと、門に書いた符の図と文字を確かめる。まだ三日しか経っていないのに、もう薄れて効力が切れようとしていた。「一月は持つはずだったのに」と、美雲は深刻な顔をして呟く。それだけ、中の妖怪の妖力が強いということだ。


「どうせ、誰も住んではいないし、取り壊すつもりだったんだろう? だったら、このまま燃やしてあぶり出してやるのはどうだろう?」 

 志勇の提案に、美雲は首を横に振った。確かに、以前ならその方法もあったかもしれないが、今の時点では危険だ。

「志勇さん、妖怪の狙いは……もしかしたら、姚妃様かもしれません」

「……なぜ、そう思うんだ?」

「妖怪は獲物と定めた者に、印を残します。その呪詛が、姚妃様の腕に表れていたのです。もっと早くに気付いていればよかったのですが……」

 美雲は門の扉に触れながら、ため息を吐く。姚妃の寝所に護符を張るなり、結界を施すなりできたはずだ。だが、妖怪の目的が分からなかったため、そこまで考えが至らなかった。


「……そうか……姚妃か……」

 志勇は驚くわけでもなく、ひやりとした声で一言呟く。その表情を見て、「予感していたのですか?」と美雲は尋ねた。もしかすると、狙われているのが姚妃だとわかっていたから、志勇は自分を後宮に入れて姚妃の侍女としたのだろうか。


「姚妃は皇帝の寵愛を受けている。だから、誰に恨まれたり、妬まれたりしていてもおかしくはないということだよ。だが、そうなると……この妖怪騒ぎは、人間が起こしてるってことになるな」

「……それは、まだわかりませんよ」

「後宮には、大勢女人がいる。妖怪があえて姚妃を狙う理由があると思うかい? まあ、その妖怪が面食いか、あるいは後宮一の美女に目をつけたっていうなら、わからないでもないけどね。確かに、姚妃は妖怪も嫉妬する美貌の持ち主だ」


 美雲は志勇の顔をジッと見て、口を噤む。

(志勇さんはあのことを知らないだろうし……)

 姚妃が明かしていいと言わない限り、迂闊に美雲が漏らすわけにはいかない。ただ、妖怪の中には赤子を好むものもいる。だとしたら、妖怪が姚妃を狙う理由はある。この後宮で、いま子を宿しているのはおそらく、姚妃一人だろうから。


「それとも……別の理由があると思っている?」

 志勇がひょいっと顔をのぞき込んできたので、美雲は一歩下がって顔を背けた。

「姚妃様は、いつ妖怪に襲われてもおかしくないのです。寝室にも部屋の回りにも護符を貼りましたけど、それだけでは安全だとは言えません。部屋に張った結界の外に出てしまえば、それも効かないんですから。とにかく、早くなんとかしないと……」

 話をはぐらかすように答えると、「まあ、いいさ」と志勇はあっさり答えて門を見る。深く追及しないでくれたことに、内心ほっとした。


「姚妃様に、一時だけでも他の離宮に移ってもらうことはできないのですか? もしくは姚妃様の実家とか……」

「それは無理だな。よほどの理由がない限りは」

「妖怪に狙われているのは、よほどの理由ではありませんか」

 少なくとも、命に関わる大問題だ。

「後宮に妖怪が現れて、姚妃が狙われていることを、君は大勢の重臣たちの前で説明できるかい? 仮に説得したとしてだ。姚妃の秘めていることも、明かさなければならなくなる」

 美雲は志勇の顔を見る。口を開こうとすると、指で唇を押さえられた。

「それは、あの方も望まないだろう?」

 ニコッと笑う志勇に、美雲は黙って頷いた。

(やはり……知っているのだわ……)

 姚妃が打ち明けたのだろうか。だとすれば、志勇は姚妃によほど信頼されているのだろう。いったい、二人がどういう関係で、志勇が何者かもわからないが。


「この件は、私と君で解決するしかないんだ。姚妃を護るために」

「簡単に言わないでください……私は……っ」

「縁結び廟の道士だろう? 専門外の仕事を頼んでいるんだ。真新しい廟が建つくらいの報酬は保証するよ」

「やる気の問題でも、報酬の問題でもありません。能力が及ぶか及ばないかの問題です。人の命を預かって妖怪退治なんて……気安くできるものですか」

 美雲は厄介な仕事を頼まれたものだと、改めてため息を吐く。そして、「もうあなたからの依頼は、金輪際受けませんからね」と軽く睨んだ。これは半ば、欺されたようなものだ。


 志勇は「そうつれないことを言わないでくれ。君と私の仲じゃないか」と、あっけらかんと笑っている。

「なにが仲ですか。前世の因縁も、今世の因縁もありませんよ」

「じゃあ、来世の因縁だな」

「来世なんて、なおさらお断りです!」

 美雲は怒って言うと、プイッとそっぽを向く。そんな美雲を志勇は目を細めて愉快そうに眺めていた。


「じゃあ、今のところは親しき友ということで手を打っておこう」

「ただのお客さんで十分です」

 無駄話は後にして、美雲は羅盤を取り出した。それを確かめると、針が振れて方角を指す。すぐにまた、別の方角を指していた。だが、前回は、針が揺れたのは三回だった。

(妖怪の気配が……一体、消えている?)

 眉を潜め、もう一度確かめてみたが、やはり同じだ。美雲の表情が変わったのを見て、志勇が「どうしんだ?」と尋ねる。


「中に閉じ込めた蛇女の妖怪は三体……ですが、二体しかいない。封印を突破して

抜け出したのかも……」

 だが、門の封印は効力が薄れてはいるものの、完全に破られている痕跡はない。

「どこに行ったと思う?」

「わかりません……捜さないと」

 美雲は巾着の中から筆や壺を取り出し、前回より協力な封印を施しておく。その上、門神図と札を貼って強化しておいた。これで、門の封印はもうしばらく持つだろう。


 

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