第8話 姿を現したのは

「っ!!」

 びっくりして声も出せず、相手の手を振りほどこうともがく。桃木の剣を帯びから抜いて殴ろうとした時、「わ、私だよっ!」と小声で言うのが聞こえた。動きを止めて振り返ると、志勇だった。彼は静かにというように唇に指をやり、目線を動かす。


 その視線の先にいるものは、蛇だ。それほど大きくはないが、まだら模様で毒蛇とわかる。それが首をもたげて、今にも飛びかからんとしている。ひっと、声が出そうになった。

 

 蛇が動いた瞬間、志勇が手に持っていた小刀を投げる。それは見事に蛇の首を断ち、地面に突き刺さっていた。よく見れば、そこかしこで蛇が体をくねらせている。危うく、気付かないまま、襲われるところだった。

 

「どうしてこんなに蛇が……」

 声を落としながら、ほっとして呟く。「ああ、そうだね……まったくだ」と、どこか上の空で返事をした志勇の視線は、美雲の脚に向けられている。そのことに気付いて「ん?」と見れば、裳がめくれて、膝の辺りまで露わになってしまっていた。

 悲鳴を上げかけた美雲の口を、志勇がまた焦ったようにパッと手で塞ぐ。

 その手が離れるとすぐに裾を直し、草を払って正座し直した。


(な、なんてはしたない恰好……!)

 いや、そのまえに、言うべきことがある。そのことに気付いて、志勇にぐいっと顔を寄せた。

「いったい、どうしてあなたがいるんです! ここは……後宮ですよ!? そのうえ……その恰好……なんで、宮女の服なんて着ているんです!」

 声を潜めながら、美雲は志勇に詰め寄って尋ねる。 

 

 宮女の服を着て、髪もしっかり女の髪型に結っている。おまけに、厚化粧までしていた。志勇は美男子で、顔の造形は完璧に整っている。だからといって、女の恰好が似合うほど痩身というわけではない。高身長だから他の男たちに比べたら細く見えるだけだ。着こなしが洒落ているから体型が目立たないが、首は相応に太くて、肩や腕もたくましい。


「ここが後宮だからさ。私は一応……男だ。それについているものは、ついているべき場所に、ついている」

 志勇は言いにくそうに口ごもりながら肩をすぼめる。

 美勇はあ然として、その恰好を何度も上から下まで見る。ということは、彼は宦官ではないのだろう。宦官であれば、そもそも女装せずとも後宮に入ることができる。

 

「だからって……宮女の恰好をしたところで、すぐにバレてしまうでしょう!? もし誰かに見られたら……追い出されるだけじゃすまないんですよ!」

 辺りを見回して人がいないことを確かめてから、美勇はヒソヒソとした声で言った。建物の中から賑やかな声がずっと聞こえている。だが、それは人ではない。


 後宮に男子が紛れ込んでいたなどと発覚した時には、最悪死罪。それがわかっているのだろうか。深夜とはいえ、女装して忍び込むなんて正気の沙汰ではない。まして、こんなに下手な女装では、すぐに見破られるだろう。むしろ、どうしてこれで誤魔化し通せると思うのか。


(志勇さんって、とんでもないおバカさんなんじゃないかしら……)

 額に手をやって、美勇はため息を吐く。

「大丈夫、バレはしないさ」

「バレます! 十中八九バレます! どこからどう見たって、女の人には見えませんよ!」

 指を突きつけて言うと、志勇は自分の胸に視線を移す。何を詰めているのか、大きく膨らんでいた。しかも、かなり盛っている。


「おかしいな。完璧な変装だと思ったんだけど。似合ってない?」

「似合う、似合わないの問題ではありません! まあ……百歩譲って、遠目なら女性の幽鬼かないかと見誤ってくれる人はいるかもしれませんが……」

 幽鬼なら、このおしろいを塗りすぎた塗り壁のように白い顔や、血を吸ったように真っ赤な唇もそれらしく見えるだろう。夜更けに見たら、きっと悲鳴を上げて逃げていくに違いない。


 志勇は「よし、それでいこう!」と、ニヤッと笑う。少しもよくはないが、今は恰好のことで議論している時でもない。諦めて、美雲は話を変えた。

「それで……どうしてこの後宮に? 姚妃様に頼まれたのですか?」

「まさか! あの方は私が忍び込んだことなんて知らないよ。まあ、聡い人だから感づいているかもしれないけど……」

「どうやって、入ってきたのです?」

「塀を乗り越えた」

 何食わぬ顔をして答える志勇を、美雲はぎょっとして見る。


「その恰好で!?」

「まさか、素っ裸で乗り越えるわけにはいかないだろう?」

「当たり前です!」

 そんなところを目撃されれば、国の歴史書に記録されてしまうだろう。


 まったく、この人の常識はどうなっているのか。

 危険だとか、捕まったらとか、後のことを少しも考えなかったのだろうか。ニコニコしているところを見ると、自分が今、とんでもないことをしでかしているとは、少しも思っていないようだ。


 そもそも、ここの塀は簡単に乗り越えられるような高さではない。警備の者に気付かれずによじ登ってくるなど、不可能に思えた。それとも、どこかに抜け道があったりするのだろうか。


「君の様子が心配だったんだ。今夜あたり、妖怪が出るだろうから、君一人で退治に出かけているんじゃないと思ってね。そしたら、やっぱり君がいた」 

 志勇は笑って、美雲の鼻の頭をつんっと指で押す。

「心配……してくれたのですか」


「あたりまえじゃないか。依頼したのは私なんだ。君がもし、妖怪に食べられてしまったら、私は一生、嘆き悲しんで生きることになる」

「それは……ありがとうございました……でも、これでも道士なんです。妖怪に食べられるような迂闊なことはしません。危なくなったら、ちゃんと逃げますからご心配なく」

 命をかけるつもりなんて毛頭ない。そもそも、妖怪退治は専門外だ。調べられるだけのことを調べて、後は専門の道士や僧呂に頼むように伝えるつもりでいる。


「それで、妖怪の様子はどうだい? ずいぶん、盛り上がっているようだけど。宴会でもしているのかな?」

 志勇は灯りが揺らいでいる建物を見て、声を潜めながらきく。二人とも灯籠の陰にしゃがんでいた。

「ええ……そうみたいです」

「楽しそうだな。乗り込んでいって、私たちもまぜてもらおうか?」

 冗談めかして言う彼を、横目で睨んだ。妖怪の宴会に参加するなんて、酒の肴を用意するようなものだ。酔っ払ったところをパクッと食べられてしまっても文句は言えない。


「そうしたければ、どうぞご自由に。私はここで見守っていますから」

「骨は拾ってくれる?」

「……志勇さん。おふざけは他の時にしてください。私は真剣にやっているんです!」

 遊ぶつもりなら、女装までしてこんなところにいないで、人に見つかる前に戻ってほしいものだ。

 うんざりして美雲が言うと、志勇は「わかってる、わかってる」と頷く。

 少しもわかっているようには見えないのんきな顔だ。


「で、どうするんだい? 私と君の二人で、とっちめようか?」

「妖怪を退治するには、それ相応の準備がいるんです。簡単にはいきませんよ。今日は様子を見て、正体を確認したかっただけなんです。できれば、姿くらい確かめたかったけど……」

「じゃあ、覗くだけは覗いてみよう」

「えっ、ちょっと」

 動き出した志勇の衣に手を伸ばす。

 

 部屋の窓がギッと開いたのは、その時だった。

「誰かいるのかい?」

 そう声がして、志勇も美雲も息を吸い込んだまま動きを止める。

 生臭いにおいが立ちこめたかと思うと強く風が吹き、灯籠に張ったお札が剥がれて風に舞った。

  

(気付かれた……っ!)

 中庭の灯籠の火が次々に消え、辺りが闇に包まれる。

 窓から覗いていた女の顔がゆっくりと近付いてきた。顔は確かに美しい女性のものだ。だが、その首には鱗が生え、蛇のように長く伸びている。ペロッと出した舌は細くて先が割れており、蛇のそれにそっくりだ。


 ギョッとして、腰を抜かしそうになる。かなり大きな首と顔だった。

「ああ……これはなんというか……美しい女性には違いないけれど、私の好みとは少々違ったようだ。残念だな……ははっ……」

 こんな時に冗談を言いながらも、志勇も座り込んでしまっている。

 ぼんやりしている場合ではない。女の顔はすぐ目の前まで迫っているのだ。二人とも飲み込まれて、本当に餌になってしまう。

 

「立って! ここは……逃げます!!」

 美雲は叫んで、志勇の袖を強く引っ張った。志勇もすぐさま立ち上がると、美雲と一緒に体の向きをかえて駆け出す。あんな大物の妖怪、自分の手には余る。桃木の剣とお札だけで太刀打ちできるようなものではない。


 蛇女というべきその妖怪は、長く伸びた首をくねらせて、大口を開け、迫ってくる。その口も大きく裂け、鎌のような牙が覗いていた。吐き出す息には毒が含まれているのか、体が痺れてくる。まずいと、美雲は袖口を押さえた。志勇もそれを察したのか、同じように口を押さえている。


 中庭を全力で通り抜け、門に向かう。だが、首に先周りされて防がれる。桃木の剣を構えて、距離を取りつつ足を止めるしかなかった。

「志勇さん、壁を乗り越えて逃げてくださない。後宮の壁を乗り越えられたんです。この建物の壁くらいあなたなら簡単でしょう」

 足止めしなくては。志勇はいくら男の人でも、妖怪退治の専門家ではない。道士や僧呂でもない人を先に逃がすのは、この仕事を請け負った自分の責任だ。


「そうだな。このくらいの塀なら、君を抱えていても余裕で乗り越えられる」

 志勇は平然とそう言うと、美雲の体をひょいっと抱え上げる。

「えっ、あれ、ちょっと! 下ろしてください。戦えません!」

 塩袋のように肩に担がれた美雲は、焦ってジタバタと暴れる。だが、志勇はかまわず走り出した。しかも蛇の頭がある門に向かってだ。

 

「志、志勇さん!」

 青ざめて叫ぶ美雲を抱えて飛び上がると、志勇は蛇の頭を踏み台にして、門の屋根の上に飛び移る。蛇女は首をねじったものの、門より顔のほうが大きくすぐには通り抜けられない。苛ついた様子で頭を壁にぶつけている。


「お、下ろして。門を封じます!!」

 通路に着地した志勇に、急いで言う。すぐに逃げようとしていた志勇も、足を止めて言われたとおりに下ろしてくれた。

 美雲は門の扉を二人で閉じると、一歩下がって巾着を取り出す。


「何をするんだい?」

「封印するんです。気休めですけど……」

 巾着から壺と筆を執り出し、壺のほうを志勇に渡した。その蓋を開いて筆を浸す。

「墨が入っていたのか」

 こんな時でも志勇は好奇心旺盛に、壺を覗いていた。

「雄鶏の血です。あっ、落とさないでください。貴重なんですから!」

 うっかり壺から手を離しそうになっていた志勇を注意して、門のほうを向く。

 呪文を唱和し、指で印を結びながら、魔除けのおふだと同じ紋様を一筆で左右に書く。

 蛇女が頭突きするたびに揺れていた門の扉の音が止み、急に当たりが静まりかえった。


 月が姿を見せたのか、通路が明るくなり二人の影がくっきりと壁に映る。なんとかうまくいったことに、ほっとして息を吐いた。

「収まった……妖怪は封印したのか?」

「いいえ、門を封じ結界に閉じ込めただけです。簡単には破られることはないでしょうが……妖怪自体がいなくなったわけではありませんよ」

 あれほど妖気が強ければ、この結界も何日持つかわからない。

 門の文字が薄れて消えた時が、破られる時だ。

 

「あ、ああそうだ。これは……返しておこう」

 志勇は急いで抱えていた壺を押しつけてくる。持っているのが嫌だったのか、密かに手を服で拭っていた。美雲は「どうも」と受け取って、しっかり蓋をした。日の出を告げる雄鶏の血は、陽気を含んでいる。だから、邪を封じるのに最適なのだ。


「おい、何があった!?」

 人の声がして、通路の先が明るくなる。見まわりをしていた警備の者たちのようだ。門の扉の音を聞いて、駆けつけてきたのだろう。

 

 美雲と志勇は顔を見合わせる。まったく、まずいところにやってきたものだ。

 通路を曲がって現れたのは、やはり宦官たちだ。提灯の灯りが通路と、そこにいる二人を照らそうとする。

「誰かいるぞ」

 一人が振り返り、他の者に伝えている。後からも数名が駆けつけてきた。


「な、なんでもありません。私たち、洗濯物が風に飛ばされてしまって」

 美雲は慌てて言い訳をしながら、クイクイと志勇の服を引っ張った。

「ええ、そうなんですのよーっ。姚妃様の下着が飛んでいってしまって。おほほほっ」

 志勇は口を押さえながら、女の声色を作って笑う。

「え、ええ……ほんとうに、困ったものですわ! 干していたのをすっかり忘れてしまっていて」

 美雲も調子を合わせながら、すぐに足の向きを変えて急いで歩き出す。


「待て、怪しいぞ。おい、おまえたち!」

 呼び止められたものの、無視して通路を立ち去る。途中から駆け足になっていた。

「志勇さん、後で姚妃に怒られても知りませんからね! あんなこと言って」

「あらいやだ。志勇さんって誰のことかしら。あたくしの名前は蘭々ですのよ~」

 走りながらも、志勇は女の振りを続けて「おほほほ」とわざとらしく笑っていた。


 

 

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