第4話 連れて行かれたその先は

 李志勇が迎えに来たのは、翌々日の早朝だ。

 月仙廟にはそぐわない豪華な馬車が表に停まって待っているものだから、家の前を掃き掃除していた近所の人たちが物見遊山に集まってきたようだ。門の外がザワザワしている。美雲は自室で急いで身なりを整え、髪を結う。


「こんなに早くやってくるなんて……忘れ物はしてないはずだけど、心配になるじゃない。小桃、雷辰、後はお願いね」

 布の包みを抱えて部屋の扉を開くと、小桃と雷辰もふわふわ浮かびながら後に続く。

「師姉、お任せください!」

 小桃は両手を合わせてペコッと頭を下げる。

「あいつは下心があって、面倒事を持ち込んでくるんだ。今回だって、スケベなことを企んでるぞ。師姉はすぐ気を緩めるから、やっぱり俺を連れていくべきだと思うね。用心棒さ!」

 雷辰は腕を組んで、ふんっと鼻を鳴らしていた。

「心配してくれてありがとう。でも、大丈夫よ。あの人は依頼主のところに連れて行ってくれるだけですもの」


 細い通路を通って中庭に出ると、志勇が門の前でソワソワしながら待っていた。美雲の姿を見ると、すぐにパッと笑顔になる。

「それじゃあ、行こうか」

 美雲が「ええ」と返事をして門を出ると、馬車を取り囲んでいた近所の人たちが振り返る。

「美雲ちゃん、この馬車はいったいどこのお屋敷の馬車なんだい?」

「おや、出かけるのか。まさか、見合いじゃないだろうね」

 口々にきかれて、美雲は「まさか!」と笑う。


「ちょっと、頼まれ事をしただけです。ああ、廟は開けておきますから」

 近所の人たちに頼んでおけば、賊が入ってくることもないだろう。もっとも、この廟に盗まれて困るような金銭なんてほとんどない。だが、神像を盗まれたり、イタズラをされたりするのは困る。おじさんやおばさんは、「わかってるよ。安心していってきな!」と笑顔で見送ってくれた。


「君は近所の人たちに慕われているんだな」

「小さい頃から面倒を見てくれていましたもの。でも、慕われていたのは、私ではなくて師父ですよ。師父は困っている人を見捨てたりしなかったから……」


 動き出した馬車の中で、美雲は窓の外に目をやる。簾がかかっていて、外の様子が薄らと見えた。


 お金に困って、借りに来る人もいた。そんな時でも、師父はなけなしの金を渡していたから、廟はいつも貧しくて、お供えものも乏しかった。自分たちが食べるものはそれよりももっと慎ましかった。お粥だけの日もあれば、近所の人からもらった余り物の野菜でしのぐ時もあった。


 街のごろつきにケンカを売って、大怪我をしながら転がり込んできた人もいた。その人を治療して匿ったのも師父だ。おかげで、ごろつきが廟まで押しかけてきて大暴れしていったこともある。師父が仲裁して、何とか帰ってもらわなかったら、大怪我を負った人は川にでも浮かんでいただろう。

 

「素晴らしい師に出会えたようだね」

「お酒を飲むと、よっぱらってどこでも寝てしまう困った人でもありましたけど。ええ……私は幸運だったと思います」

 師父に拾われていなかったら、今頃、どこでどうしていたことか――。

 あまり、いい境遇では生きられていなかっただろう。

 馬車は大通りを真っ直ぐに進んで行く。

 

 美雲は「ところで」と、自分を見つめている志勇のほうを見る。

「この馬車はどこに向かっているんです? まだ、どなたのお屋敷に伺うのか、聞いていないのだけど……」

 少し不安になってきくと、志勇は「まあ、着いてみればわかるさ」とはぐらかすように言って扇を開く。思わせぶりなことをと、美雲は眉根を寄せた。

(この人の家ということはないでしょうね……)

 だとしたら、雷辰の忠告を肝に銘じなくてはならないだろう。


 そう、思っていたのだが――。


 ようやく馬車が停まり、外へと出た美雲は敷石の大きな広場を見回してあ然とする。回りは朱色の城門が聳え、いたるところで武装した兵が警備している。

「ちょ、ちょっと、待ってください。こ、こ、こ、こ、こ……っ!!」

 後から降りてきた志勇をバッと振り返った美雲は、驚きのあまりに言葉が詰まってでなくなる

 

 ここがどこか、なんて聞かなくても一目瞭然だ。こんなに広くて、金色に輝く屋根瓦の建物がずらっと並んでいる場所なんて、都広しといえども、一カ所しかない。

 

 志勇は美雲の反応を楽しむようにニマニマして、「ああ、うん。そうなんだ」と頷いていた。まったく憎たらしくて、その頬を思いっきり抓ってやりたいくらいだ。

 行き先が皇帝の住まうこの国の中心、紫雲城だなんて一つも聞いていない!

 もちろん、オンボロ廟のしがない道士でしかない美雲は、本来なら一生立ち入ることもなければ、関わることもない場所だ。


「実は今回の依頼主は私が親しくしているとある高貴な方なんだ。口外しないように言われていたから言えなくて申し訳ない……そう、睨まないでほしいな。虎みたいな顔になってるよ?」

「これでは話が丸きり違います! 紫雲城の中のことであれば、私みたいな市井の道士が関われることではありませんよ。そういうのは、礼部のお偉いお役人さんたちの仕事でしょう」

「いや、そうなんだけどね。礼部のお偉いお役人さんたちも、ちょっとばかり立ち入れない訳ありな場所なんだ」

「訳あり……な、場所……?」

 ズイッと顔を寄せた美雲は、ますます胡乱な目をする。なんだかとっても不吉な予感がした。

 仰け反るように避けている志勇の目が右に、左にと泳いでいる。


「どういうことですか?」

「それについては、私ではなく依頼主に直接聞くほうがよさそうだ。ああ、君のことはちゃんと知らせてあるし、中でのことはその人に全部任せておけばいいから。君は遠慮なく、妖怪退治に専念してくれ。うん、私は入れないから、少しも手助けはできないんだけどね。じゃあ、頼んだよ」

 無責任なことをのたまいながら、志勇は笑顔を作ってささっと後に下がる。

「えっ、ちょ、ちょっと……」

「あなたが、夏美雲様でございますね」

 いきなり背後で声がして、美雲はビクッとしながら振り返った。白髪の高齢な女性が、数人の若い女性を引き連れて待っている。


「えっ……はい?」

「では、参りましょう。ご案内いたします」

 白髪の女性が大仰に礼をすると、若い女性たちがすぐさま美雲を取り囲んだ。

「あ、あの……えっ……ちょっ、ちょっと、待ってください。私、その人にまだ話を……っ!」

 

 腕を取られて引っ張られながら、美雲は焦って振り返る。いつの間にか志雲の姿は煙のように消えていて、馬車だけが広場にポツンと残されていた。

(あ、あの人……私を欺したの――――!!)


 目の前の小門が開いて、美雲を引き連れた女性たちが、白髪の女性を筆頭にゾロゾロと中へと入っていく。

 

 閉ざされた門の先にあるのは、後宮と呼ばれる場所――。

 皇帝の宮妃たちが住まう場所だった。

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