3-2



 いつも通りリビングで夜ご飯を食べた後、わたしはましゅちゃんを自分の部屋に連れていくことにした。

「ましゅちゃん、懐かしいなー」

 なんだかましゅちゃんを見ていると、心がぽわんとあたたかくなった。

 子供のころは、こうやってよく話しかけてたなあ。

「ねえ、ましゅちゃん、どうやって出てきたの?」

 なーんてね。

 ましゅちゃんからの返答はない。人形だから当然なんだけど。

 わたしは、ましゅちゃんを押し入れにしまわなかった。その代わりに勉強机の上に座らせることにした。


 その夜、不思議とすぐに眠りについた。

 そして夢を見た。深く暗い海のような場所で、わたしは立ち尽くしていた。夢だとすぐに気づいたのは、ふわふわと体が軽くて。

 現実離れしているような場所だったから。

「どこだろう……。暗くて怖いな」

 夢だという意識はあるのに、嫌な雰囲気に息が詰まりそうになる。

 出口を探して抜け出そうと考えていたら……。

『トモ……ダチ、』

 聞こえてきた不気味な声。ゾッとして体が震えた。

「だ、誰なの?」

 声の主に話かけるけど、返答はない。

『……ケラケラ』

 それは不気味な笑い声。全身の血の気が一気に凍り付くような気がした。

 この夢、おかしい! 怖い。怖いよ。夢なのに、なんだか現実的ですぐにおかしいと思った。

 お願いだから、夢から覚めて!心の中で必死に叫んだ。すると、ハッと目が覚める。

 勢いよくがばっと起き上がった。

 周りを確認すると、そこは見慣れた自分の部屋。

 よかった。あの夢から覚めたんだ。首元を触ると、じんわりと汗をかいていた。

「すごく怖かったなあ……」

 夢から覚めた今でも、あの不気味な雰囲気や、どこからか聞こえた声を思い出せる。

 わたしが夢を見るのは珍しいことだった。

 それにこんなに現実的な夢をみたのは、はじめてだ。まだ胸がどきどきと音を立てている。

 自分の部屋の景色にほっとする。部屋の中を見渡したとき……。悲鳴が出そうになって飲み込んだ。

「ヒッ!!」

 暗闇の中、ましゅちゃんが視界にうつったから。……び、びっくりした。

 月明かりの中でうっすらと見えたましゅちゃんに、どきっと心臓が跳ねた。

「ましゅちゃんは、あの夢に関係ない……よね?」

 思わず聞いてしまった。返答はあるはずもないのだけれど。

 どくん、どくん。しんと静まり返った部屋に、わたしの心臓の音だけが鳴り響いていた。


 それから、また怖い夢を見るのが怖くて、なかなか寝付けなかった。あんなに不気味な夢は、もうこりごりだよ……。

 朝になり、寝不足の体をゆっくり起こす。まただ。ずんと肩が重い。

 筋肉痛ってこんなに痛いのかな。なにかがのしかかったような肩を回す。

「ましゅちゃん、学校行ってくるから待っててね」

 勉強机に座るましゅちゃんに話かけてから家を出た。昨日の夢のことは気になってはいたけれど。

 気にしないようにしたんだ。だって考えれば考えるほど、怖くなっちゃうんだもん。

 夢のことは忘れて、いつも通りにホームルームが始まるまでの時間。葉月ちゃんと志音くんと過ごしていた。

「今日は肩重くないの?」

「……うん、ちょっとだけ重い」

 わたしは顔を歪ませて答えた。今日も、ずんと何かが乗っているような感じ。

「それってさ、憑いてるんじゃない?」

「え?」

「だって、特に運動で肩を使ってるわけじゃないのに、ずっと肩痛いなんておかしいでしょ?だから……」

 葉月ちゃんは、わたしの肩を指差す。そして。

「憑いてるんじゃないかなーって」

 わたしはドキリとする。

 口を開けたまま、一瞬呼吸をするのを忘れた。

「つ、憑いてるって……やめてよ。もう……」

「ごめんごめん。冗談だよー」

 葉月ちゃんがへらりと笑うので、わたしも無理やり笑顔をつくる。もう、ヤダヤダ。

 オカルト好きな葉月ちゃんは、すぐ心霊現象のせいにしようとするんだから…!

 憑いてるだなんて、そんなはずないよ。今までだって幽霊なんて見えたことないんだから。

 鳴りやまない心臓の音を落ち着かせるように、自分に言い聞かせた。

 ちょうど授業がはじまるチャイムが鳴った。チャイムの合図が聞こえて、みんな自分の席に着く。わたしもカバンから筆記用具を出そうとした。

 その時だった……。

「キャァ!!」

 短い悲鳴を上げてしまう。

「どうしたの?」

「大丈夫?」

 先生や友達が心配そうにわたしの席へとやってくる。わたしが見つめる先に視線を向けると。

「ひいっ!」

「…び、びっくりした」

 次々に驚いた声をあげた。みんなが驚くのも当然なんだ。それ以上にわたしも驚いてるの。

 だって、だって……!カバンの中に、ましゅちゃんがいたから。おそるおそるもう一度カバンの中に目を向ける。

 ぎろりとこちらを見つめているような、作り物の瞳と目が合った。ぞわりと寒気が走る。おかしい。絶対におかしいよ。

 ましゅちゃんは確かに勉強机の上にいたはず。

 間違っても、カバンになんていれてない。

 途端に急にずんと肩のあたりが重くなる。まただ。肩に錘が乗ったように重い。そして、肩だけではなく体全身に重みが広がっていく。

 なんだか嫌な予感がした。これ以上ましゅちゃんを見るのが怖くて、目をぎゅっとつむる。

 怖い。怖いよ…!どうしてこんなに体が重くなるの…。

 寒くないはずなのに、体も震えてきたんだ。なんだか頭までぼうっとしてきた―…。

 うすれていく意識の中で、そのままわたしが最後に見たのは、まるで本当にわたしを見ているようなましゅちゃんの姿だった……。


 ぱちりと目を開けると、白い天井が目に入った。

 周りをみると、わたしはベッドに寝かせられていて、白いカーテンに囲まれている。まだぼーっとする頭で考えた。ここは、きっと保健室かな。

 教室でカバンの中にましゅちゃんがいて、急に体が重くなって倒れちゃったんだ。自分の状況を確認していると。

「あ、起きてた。大丈夫か?」

 白いカーテンの隙間から声が聞こえた。ぱっと横を見ると、心配そうにのぞき込む志音くんだった。

「えっと、」

「お前が倒れて、俺が運んできたんだよ。あ、先生が慌てて混乱してたから仕方なくだぞっ!」

 恥ずかしそうに、頭をぽりぽりかいている。

「そうだったんだ。運んできてくれてありがとう。わたし昨日寝不足で……きっとそのせいかな」

 昨晩、怖い夢を見たせいで。朝方まで眠れなかったもんなぁ…。きっとそのせいで倒れてしまったのかも。

「葉月が『陽菜が体が重いって言ったり倒れたのは、呪いの人形のせいだ!』とか言い出すから、みんな盛り上がって大変だったんだからな!」

 ため息をつきながら続ける。

「さすがに人形を学校に持ってくるなよー。それに驚いたように叫ぶから、みんなビビっちまったよ」

「……わたし、もってきてないの!」

「は?」

 すぐに言い返すと、志音くんは首をかしげた。当然だ。実際にカバンに入っていたのだから。

 持ってきてないなんて。信じてもらえないよね。だけど本当なんだ。わたしは確かに勉強机の上に座るましゅちゃんを見送ったんだもん……。

「こんなこと言っても信じてもらえないと思うけど。わたし持ってきてないのに……勝手にましゅちゃ…人形がカバンに入ってたの」

「そんなわけ……」

 きっとわたしのことを心配してくれんだんだと思う。志音くんは、否定しようとしたのを飲み込んだ。

「葉月の言うとおり、呪われてるんじゃねーのか? あの人形」

 心がさっと凍りついたように冷たくなる。わたしの体が重くなりだしたのと、ましゅちゃんが姿を現した日は同じ日だった。

 嫌な予感がして、胸がざわつく。

「わ、わかんないよ。それに、どうしてましゅちゃんがわたしのことを……?」

 昨日の夢のことも。カバンにましゅちゃんがいたことも。

 わけがわからないんだ。もしかして、本当に志音くんの言うとおりなのかもしれない。

 わたしはましゅちゃんに呪われている……?

「今日はもう帰ろうぜ。倒れたあと陽菜は眠ってたから、もう放課後!」

「えっ、そうなの……?」

「ああ、俺先生に報告してくるから」

「ありがとう……志音くん!ごめん、やっぱり1人で帰るよ」

「いや、なにかあったら危ないだろ」

「大丈夫!ほんとうに大丈夫だから!

 一緒に帰ることを断ったのには理由がある。

 わたしは帰る前に、行きたい場所ができたから。カバンを手に持って、ゴクリと息をのむ。

 倒れたときは、ましゅちゃんと目があった瞬間に、体が重くなったような気がした。

「大丈夫か? やっぱり一緒に帰るか?」

 固まる私に気づいたのか志音くんは、いつもより優しく声をかけてくれた。

「だ、大丈夫!うん、大丈夫だから」

 ふうっと、深く息を吸い込む。

 それからゆっくりとカバンの中を確認する。

 ……やっぱりましゅちゃんがいた。

 家にいたはずのましゅちゃん。

 わたしがカバンに入れ間違えるはずなんてない。

 志音くんが言った通り。ましゅちゃんがわたしを呪っているのかもしれない。

 理由はわからないけれど。どくんどくんと心臓が音を立てる。

「本当に大丈夫か?」

 志音くんに声を掛けられ、ハッとする。やっぱりこの人形はおかしい気がする。うまく言えないけれど、そばにいてはいけない気がするんだ。

 震え出す手を、抑え込むように、ぎゅっと握った。

「志音くん、ありがとう。それじゃあ。帰るね」

「本当に大丈夫か?」

「大丈夫だよー。家に帰るくらいできるよ!」

 あまりにも心配そうにするので、わざとらしくにかっと笑ってみせた。

 保健室を出ると、ある場所へと向かった。

 昇降口の目の前に大きなゴミ箱がおいてあり、教室などのゴミを捨てる場所となっている。わたしは大きなゴミ箱を目の前にして立ち止まる。

 ……ごめんね。

 本当はこんなことしたくない。だけど、怖くて仕方ないんだ。

 心の中で何度も謝った。そして。

 ゴミ箱にましゅちゃんを投げ捨てた。手のひらからましゅちゃんが消えると、一気に罪悪感がおしよせる。

 わたしは、なんてひどいことをしているんだろう。すぐに後悔した。でも、怖くて仕方がないのも本当なんだ。

 ゴミ箱に捨てられたましゅちゃんの瞳と目があったような気がした。途端に、どくんと心臓がなる。

「ごめんね……」

 ぽつりとつぶやいて、わたしはその場から逃げるように走った。

 大切にしてきたましゅちゃん。小学生、中学生になっても、捨てられなかったましゅちゃん。

 なのに……わたしはごみ箱に投げ入れたんだ。学校を出たわたしは無我夢中で走った。

 ハア、ハア。

 なにも考えたくなくて、ひたすらに走った。

 全速力で走ったおかげで、あっという間に家に着いた。

「た、ただいま……」

「おかえりー。あら、顔色真っ青じゃない?」

 全速力で走ったせいだと思う。お母さんが心配そうに、わたしの顔を覗き込む。

「だ、大丈夫。ちょっと……走ってきたから。部屋で着替えてくるね」

 階段を上がり、二階の自分の部屋のドアを開ける。やっと安心できる。そう思ったのに――。

 ガタッ――!!わたしは尻もちをつく。

「な、な、なんでっ!?」

 思わず叫んだ。そんなことありえない。

 絶対にいるはずがないのに……!

 目があったんだ…。陶器のような薄いピンクの瞳と。信じられなかった。

 でも、学校のごみ箱に捨てたはずのましゅちゃんは……。確かに勉強机の上に座っていた。

 もうイヤだ。怖いよ……!

 その場から逃げようとした時だった。ましゅちゃんの腕から黒いものが、ひらりと落ちてきた。一体なんだろう。

 今、ましゅちゃんの腕から落ちてきたよね?

 黒い封筒がわたしの足元におちてきたんだ。

 ソレを拾うとわたしはなんとなくわかってしまった。

「これって……」

 落ちていた黒い封筒を、おそるおそるひろった。

 まさか。まさかだよね……。

 封筒を開ける手がふるえてきた。

 わたしは覚悟を決めて手紙を開けると、中に入っていたのは真っ黒の便せん。

 ………………

 招待状

 このたびはおめでとうございます。

 立花陽菜さん。あなたが選ばれました。

 今夜19時。正門が開いているのが宴の合図。

 あなたを夜の学校に招待します。

 アリアより

 ……………………

 手紙を読み終えると、ふっと身体の力が抜けた。

 なんで。どうして。わたしにアリアさんの手紙が――⁉︎

 黒い手紙はアリアさんからの招待状。

『アリアさんから招待状を受け取ったら、必ず夜の学校にいかなければならない』

『行かなかったら、夢の中に出てきたアリアさんに連れていかれてしまう』

 怖い話が苦手なわたしでも知っている噂。

「なんで……わたしが」

 それにどうしてましゅちゃんが持っていたんだろう。

 やっぱり、ましゅちゃんはわたしを呪いたいのかな。

 考えていると、わたしはハッとする。

「まって! 今の時間は……18時半だ!」

 部屋の時計を確認する。今の時刻は18時半。アリアさんの招待状に書かれた時間は19時だった。

 今から走らないと、間に合わない!

 慌ててわたしは家を飛び出した。

 夜の学校になんて行きたくない。行きたいわけがない。

 だけど、夜の学校に行かなければ、夢の中でアリアさんに連れていかれるなんて聞いたら……。

 行かないわけにはいかなかったんだ。

 空が夜に覆われる中。わたしは半べそ状態で、学校に走った。

 日が沈み、あたりは真っ暗。夜の学校に辿り着くと、いつもの学校の様子とは違っていた。

 笑い声も雑談も聞こえてこない。

 夜の学校の不気味さに足がすくんだ。

 だめだ。やっぱり怖いよ……!

 夜の学校に一人でなんて入れるわけないよ。その不気味さに、わたしは怖気づいてしまう。

 ゴーン!ゴーン!

 今までに聞いたことのない、低いチャイムの音が鳴り響く。それは不気味な音で、足がカタカタと震え出した。

 わたしは、震えを止めたくて、何度も足を叩いた。

「う、動け! アリアさんに会ったら、呪いの人形のことを聞いてみるんでしょ?」

 夜の学校にきたもう一つの理由。

 ましゅちゃんの存在が怖くて仕方なかったんだ。もう、気持ちが限界でなにかにすがりたかったのかもしれない。

 ゆっくり正面玄関ドアを引いてみる。

すると、ほんとうに鍵がかけられていなかった。

 ごくり、静かに息をのむ。ここまできたら、入るしかないよね……。わたしは覚悟を決める。勢いのまま学校の中に足を踏み入れた。

 覚悟を決めたはずだったのだけれど。

 校舎の中に入ったことを、すぐに後悔した。

 一歩学校に足を踏み入れた途端、ぶるっと身体が震えた。

 わたしの体はどんどん冷えていくみたい。

 夜の学校は照明がついていなかった。

 窓の外からの月明かりが、ぽわりと照らしているだけ。

 静かで、暗くて、寒い。震える足で立っているのがやっとだった。

 やっぱり夜の学校に一人なんて、ムリだ!こんなところに、いられないよ! 今すぐ学校から逃げたい。そう思ったわたしは、帰ろうとドアに手をかけた。だけど。

 あれ、ドアが動かない。

 押しても引いても、ドアがピクリとも動かないんだ。

「なんで……やだ。怖いよ」

 声がふるえた。そんなわたしにさらに恐怖がやってくる――。

「クスクス……」

 わたしは息をするのをわすれた。すぐ背中で笑い声がしたから。

「だ、誰!?」

 わたしはすぐに振り返る。だけど、誰もいない。

 な、なにこれ、もう本当にいやだ。

「今すぐ帰りたいよ……」

 弱音が自然ともれたとき。また……。

「それはだめだよ!クスクス……」

 今度ははっきりと聞こえた。女の子のような不気味な声。

「きゃああ!!」

 わたしは視てしまう。銀色の瞳に、ふわりとした髪の毛をなびかせて。

 ニタリと笑う女の子。わたしはサッと血の気が引いた。

 だって、目の前の女の子が噂のアリアさんだとわかってしまったから。

 噂通りの容姿。それに、ふわりと体が宙に浮いていたんだ。

 もうヤダ!なんでわたしばっかり。ましゅちゃんは、わたしを呪っているし。そのうえ、ほんとうにアリアさんがいるなんて…。

 そんなことを考えていたら。ずん、と体が重くなる。まただ。なにかが体に絡みつくような。

「クスクス……」

 アリアさんはふわりと浮きながら、楽しげに笑う。もしかして…と、わたしはアリアさんを見た。

 最近の怪奇現象は、全部アリアさんのせい?

 そしてわたしはあることに気づいて、ぞッとする。

「な、なんで……ここに⁉︎」

 思わず二度見をした。だって、アリアさんがましゅちゃんを抱きかかえていたから。

 な、なんで? どういうこと?

 わたしがうろたえていると。

「今日はね、あなたを招待したのには理由があるんだよ。実はこの子がね」

 そう言って、アリアさんはましゅちゃんの頭をなでた。

 ああ、やっぱり。嫌な予感が的中しちゃった。

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