1-2



 あっという間に時間は過ぎて、オレンジ色の夕日は真っ黒の夜に覆われていた。

 お母さんには、内緒で家を出てきた。

 だって夜に出かけるなんて怒られちゃうから。

 学校の正門に飾られている時計の時刻は18時55分。わたしは学校の正面玄関前で、星七くんを待っている。ガラス張りの正門から、校舎を覗き込んでみると。

 真っ暗でよく見えない。毎日通っている学校のはずなのに、嫌な雰囲気がただよっていた。

 動悸と鼓動が激しくなる。これから起こることへの恐怖と不安と、いろんな感情で心が落ち着かない。

 こういう時は深呼吸をしよう。そう思って、深呼吸をしようとした時だった。背後から、ふわりとした声が届く。

「……杏樹! 手紙見たよ。こんな時間に呼び出して。なにかあったのか?」

 声がする方をゆっくり振り向くと。黒髪が良く似合う男の子、星七くんだった。 

 わたしは相当不安だったみたい。星七くんがきてくれたことに、ひどくホッとしている。

 星七くんは、走ってきたのか、肩を上下にゆらしていた。息を整えて、顔をあげると目を丸くさせる。


「……あのさ」

「ごめんね。びっくりさせちゃって。大丈夫だから。一緒に中に入ろう?」

 なにか言おうとした星七くんの言葉を遮り、腕をガシッと組む。

 だって時間がなかったんだ。ちらりと時計を見ると、時刻は18時58分。早くしないと、約束の19時になってしまう。

 もしも時間に遅れたら、アリアさんを怒らせてしまうかもしれない。そう考えたわたしは焦りもあって、彼の腕をぐいっとひっぱった。


「ちょっと、まってよ」

 星七くんの顔がひきつる。星七くんはアリアさんに招待されていることを知らない。

 だからきっと学校の中に入ろうと、腕を引っ張られたことに驚いたんだと思う。

 どうしよう。早く中に入らないと……。どうすればいいのか、迷っている時だった。

 ゴーーン!ゴーーン!

 今まで聞いたことのない低いチャイムの音が鳴り響く。いつも聞いているチャイムとは違う音色に、驚いて身体が固まる。

 星七くんも驚いたようで、肩をびくっと揺らした。

 そして、奇妙な音に気を取られているときだった――。

 わたしは彼の腕を渾身の力でぐいっと引っ張る。

 星七くん、ごめんね。

 そう心の中で謝りながら。


 どうやら力が抜けていたようで、星七くんの体は引っ張られるまま、わたしと一緒に学校の中になだれこんだ。

 一歩踏み出した足は、夜の学校に着地する。

 学校の中に入った瞬間。ひやりと体に冷たい風が通った気がした。毎日通っている学校のはずなのに。

 夜の学校は、暗くてしずかで。不気味な雰囲気が漂っていた。

「なんで、こんなこと……」

 星七くんは、無理やり学校の中に入ったことが気に食わないのだろうか。思いっきり顔を歪ませる。わたしはハッとする。星七くんに、ちゃんと説明しないと……。

「ごめんね。実はね……」

 アリアさんから招待されたことをはなそうとした時だった。


 ――ギギ―ッ!ドン!

 背中の方から、大きな金属音にびくりと体が反応する。それは正面玄関のドアが勢いよく閉まった音だった。わたしと星七くんは顔を見合わせる。

「え……」

「今ドア閉めた?」

「いや、締めてないよ」

 わたしたちは、ドアを閉めてない。

 それなのに勝手にドアが閉まったということ。

 ぞわりと嫌な予感がする。

 慌てて勝手に閉まったドアに近づいて、ぐっと押してみる。だけど、ピクリとも動かない。

「あれ……」

 今度は力いっぱい引いてみる。しかし、びくとも動かない。

「開かないのか? 変わって」

 今度は星七くんが玄関ドアを開けようと試してみる。ガンガンとドアを押したり引いたり。力いっぱい試しているようだった。

 なのに、男の子の力でもピクリとも動かない。

「なんだよ。外から開かないならわかるけど。中にいるのに開かないってどういうことだ⁉︎」

 星七くんは、怒ったように声をあげた。

 わたしたちは校舎の中にいる。つまり、このドアの鍵は閉められていないの。

 なのに開かないだなんて。明らかにおかしいんだ……!わたしたちは、また顔を見合わせる。この現状が、普通ではない。ということはわかった。

 「なあ、なんか寒くないか?」

 星七くんは、自分の腕をさすりながら、震えているようにみえた。

 確かに学校の中にはいってから、全身がぶるっと震えるくらい寒気を感じる。

 なんだか気味のわるい感じ。

「うん……寒気がするね」

「なんか普通じゃないし。とにかくここから出よう。他の出口を探そう」

 そういって星七くんは、一歩踏み出した。そのときだった……。

「クスクス。だめだよ。まだあそんでないもん」

 甲高い笑い声が聞こえた。

 思わず叫びそうになったけど、悲鳴を飲み込む。

「だ、誰っ!?」

 こわくて、思わず声が裏返ってしまう。

 あたりをきょろきょろ見回したけど誰もいない。

 あれ、気のせい……?ほっと胸をなでおろした。だけど、また……。

「クスクス」

 同じ声で含み笑いが聞こえる。

 なんだかさっきより、声が近づいてきたような気がした。そう思った途端、心臓がバクバクして、冷や汗がふきだしてきた。

 もう、やだ。怖いよ……。今すぐこの場所から逃げ出したかった。そんな半泣き状態のわたしの前に、すっと影が下りてくる。


「夜の学校にようこそ。今宵はたのしくあそびましょう」


 ぎょろりとしたグレーの瞳と目があった。

「きゃあああ‼︎」

 思わず星七くんの腕にしがみつく。

 さっきまで、誰もいなかったはずなのに……。

 わたしよりも一回りほど体が小さい女の子が……いる。

 その子が誰なのか、わかってしまったかも。

 ウェーブがかったふわりとした銀色の髪の毛。

 真っ黒のワンピースを着ている。

 それは噂で聞いていたアリアさんの容姿と同じだったから。

 「クスクス…」

 女の子は、いたずらっぽく笑う。

 わたしはぞっとして鳥肌がとまらない。

 助けを求めるように、星七くんの腕を掴んでいる力がつよくなった。

「ヒッ!!」

 思わず小さい悲鳴をあげる、

「うそ、でしょ?

 わたしは視てしまった。アリアさんの足が地についていないことを。信じられないけど、身体が浮いてるんだ。

「嘘だろ……」

 同じタイミングで星七くんも気づいたみたい。青ざめて顔をしかめた。

 「あ、あなたが……アリアさんなの?」

 震える手をぎゅっと握って、勇気をしぼりだす。

「クスクス……」

 答えの代わりにいたずらっぽく笑う。

 わたしたちは顔を見合わせてうなずいた。

 星七くんもきっと同じことを考えていると思う。

「まさか本当に実在するなんてな」

「わたしも……ただの噂だと思ってたよ」

 アリアさんに関する噂はたくさん聞いたことがある。

 ただ噂だけで「実際にも見た」という現実的な証言は聞いたことがなかった。

 だけど、不思議と確信を持てた。

 目の前にいる女の子は……。


「アリアさんだ…!」

 アリアさんはわたしと星七くんを交互に見て、ニヤりっと笑った。

「やっぱり彼を連れてきたのね」

 …ん? どういう意味だろう。

 アリアさんの言った意味を、考えていたら……。

 星七くんが、ツンと私の腕の袖をひっぱった。

 視線を星七くんに移すと、星七くんは目配せをする。

「あのさ……『せーの』でここから逃げるぞ?」

 星七くんは、アリアさんに聞かれないように小声で話した。

右足を一歩下げで、走り出すのに準備万端な恰好をしている。

 星七くんに言われてハッとした。ここから逃げたほうがいいに決まってる。従うように、目配せをしながらゆっくりとうなづいた。

 「よし、いくぞ……せー…」


 星七くんが押し殺した声で、掛け声を言う途中。

 ふいに、近くに気配を感じる。

 なんだろう。なにか……。不思議に思い顔を上げると、息が止まった。

「きゃああああ‼」

「逃げちゃだめだよ! まだアリアと遊んでないんだから!」

 ずいっと身を乗り出すようにして、すぐ目の前にアリアさんの顔が――!


「……っ!」

 踏み出そうとしていた足がとまる。

 言葉を失う私たちに、アリアさんは陽気な声で続ける。

「今日は!せっかく二人もあそびにきてくれたから、ゲームしようよ!」

 この場の雰囲気に似合わない陽気な声。

 まるで子供が童謡をうたっているような。

「ゲ、ゲーム!?」

「じゃじゃーん! その名も以心伝心ゲーム‼ 二人ならきっと簡単でしょ?……クスクス」

 そう言うと、たのしげにくるりと回った。

「わたしたちが答えるってこと?」

「そうだよ。アリアがお題を出すから、二人は息を合わせて答えてね」

 以心伝心ゲームとは、お題に対する答えを合わせるゲームのことだと思う。

 参加者はわたしと星七くんだから、わたしたちの答えが揃えば勝ち。

「やだよ!そんなわけのわからないゲーム……」

 言い返そうとする星七くんの腕を、ぎゅっと引いた。

「星七くん、今はアリアさんに従った方がいいんじゃないかな」

 だって反論して、アリアさんを怒らせたら、この学校から出られないかもしれない。

 そう考えたら、星七くんの腕を掴む手が震え出した。

「まあ、確かにそうだな……」

 星七くんはうなづいた。

 引き留めたのには、もうひとつ理由がある。

 以心伝心ゲームは、答えを合わせるゲーム。

 付き合っているわたしたちには、あっさりクリアできるんじゃないかな。

 そう思ったんだ。

 隣に視線を向けると。

 安堵するわたしとは反対に、星七くんの表情は曇っているようにみえた。


 どうしたんだろう。わたしたちなら、絶対にクリアできるのに。

「私たちが勝ったら、ここから出してくれる?」

「うん! いいよー! 勝てたらね。クスクス」

 不安なわたしたちとは反対に、アリアさんはにんまりと笑って楽しそう。

「もしも……正解できなかったら?」

 不安そうに星七くんは、アリアさんに質問する。

「ここから出られないよ」

 そしてにたりと笑う。

「永遠にね……」

 アリアさんの不気味な表情に、全身にぞくっと寒気が走った。


 安堵していたわたしは、すぐに後悔する。

 そして、思いなおした。

 簡単にクリアできる。だなんて思ったのは間違いだった。

 今からはじまるのは、友達同士でするような楽しい以心伝心ゲームなんかじゃない。


 これからはじまるのは……。

 おそろしい以心伝心ゲームだということを。

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