第22話 蘇る愛

 マキラの本当の名前を、シィーンは知っていた……?


 崖から突き落とされるような衝撃で、倒れてしまいそうになるマキラをシィーンは支えた。


「もうハルドゥーンに指示は出してある。とりあえず俺達は宮殿へ帰ろう」

 

 軍神のような姿に身を変えたシィーンに、マキラは抱かれて宮殿に戻ってきた。

 人の足で一ヶ月以上かかる距離を、なんと彼はドラゴンのような聖獣に跨り、空を飛び数十分で戻ってきたのだ。


 二人が過ごしたシィーンの寝室。

 バルコニーから入って、シィーンの姿はいつもの彼に戻る。


「マキラ、空の旅が怖かったかい?」

 

 先ほどの名を忘れたように、シィーンはマキラと呼ぶ。

 でも、聞き間違いではなかった。

 何を言われても、マキラは答えられない。


「君の失踪のやり方が本当に上手くて……俺は、この力を持ってしても君を探せないのかと……産まれて初めて自分が無能なのかと思ったよ」


 辛い顔をするシィーン。

 覇王はこの広い世界で、マキラを探し出そうとこの一ヶ月、尽力していたのだ。


「マキラ、風呂に入ろうか……服も着替えよう。君のお気に入りの寝間着に……」


 マキラが微笑まずとも、シィーンの優しさは変わらない。

 それが狂いそうなほどに、マキラの心を締め付ける。


「……お許しください……覇王様」


「マキラ?」


「覇王様を、騙すつもりなどありませんでした……申し訳ありません」


 マキラは頭を下げて、謝り続ける。


「マキラ、俺はシィーンだ。君の恋人だよ」


「いいえ、貴方は覇王ガザルシィーン様です。……そして私は、貴方の御存知のとおり……滅亡した国の女です」


「確かに君の生まれはそうかもしれない。でもそれは俺達の愛に関係ない」


「関係あります……私は……。……どうかお元気で……許してください」


 無表情で頭を下げ、そのまま宮殿から去ろうとするマキラ。

 その身体を、シィーンは後ろから抱き締めた。

 

「俺が覇王だから愛せないのか?」


「……愛せない……愛してはいけないのです……」


「何故だ……」


「貴方が私なんか愛してはいけないのです」


「君の国を守れなかったからか」


 やはり、シィーンはマキラがエフェーミア姫だと知っている。


「……何故……知っていたの……? わかっていて……近づいたの?」


「あぁ、わかっていた」


「……それは……何か……私を利用するつもりで……?」


「違うよ。俺は可愛いと生まれて初めて思った女の子がいてな。その女の子に似ているな~って思ったんだ」


「な、なによそれ!」


 思わず、叫んでしまったマキラをシィーンは微笑んで抱き締めた。


「エフェーミア姫が、俺の初恋さ。毒野原で野垂れ死にしそうになった時に助けてもらって、姫のランチを頂いた」


「えっ」


「女の子の優しい笑みにドキリとしたのは初めてだった。餓死寸前に食べたココナッツケーキも、ゆで卵も最高に美味かったな。君がいなかったら俺達みんな死んでたよ」


 マキラの脳裏に蘇る記憶。

 魔草は呪術の材料になるので、マキラはランチを持ってよく採取に出かけていた。

 倒れた一行を見つけて、慌てて助けた。

 侍女が危険だと言っても、マキラは彼等の治療をした。

 

 水を飲ませて、ランチのパンもココナッツケーキも食べさせて、お肉も、ゆで卵も全部食べさせた。


 彼らは目指す先がある旅人だと言って、キラキラした瞳で礼を言ってボロボロの姿のまま去って行った。


 でもその姿は、太陽のようで……真っ赤な髪と瞳が……煌めいて……。


 太陽の子だと思った――。


「マキラ、俺は……君が姫だと確信があったし、何より……今の強くて美しい君に、心底惚れたんだ」


「私が……エフェーミアだとわかったのは……」


「ベルト剣を扱える女性など、そうそういないしな。占い師という仕事。君の肌の色や……何より可愛い笑顔がそのままだった」


「それで……」


「エフェーミア姫は俺の憧れで、ずっと心に残っていたよ。君は俺を覚えていないよね」


「覚えてるわ……太陽の子……。あの時の……彼が……貴方だなんて」


「覚えていてくれたのか! では、まさに運命だよな。ずっと御礼を言いたかったが、世界統一を果たせば会いに行けると思ってがむしゃらに頑張った……。なのに統一前に君の国が滅ぼされてしまった……」


 祖国が滅亡しなかったなら……覇王を前にして、またマキラに亡国の怨念が伸し掛かる。

 なんの涙なのか、想いが溢れ出るマキラ。


「俺が間に合わなかった……それに関しては、心から申し訳ないと思う」


 シィーンが、一言そう漏らした。

 苦渋に満ちた声と、顔だった。

 

 あぁ、彼は本当に覇王なんだ……とマキラは思う。


 この世界に起きた戦乱を、彼は全て背負っている。

 マキラが押しつぶされそうになる自国の怨念の何倍も何倍もの、世界中の人々の恨み辛みも何もかも背負っているのだ。

 彼の心の傷から溢れた血は、どれだけのものか。

 

「覇王様……我が国『トラプスタ』は軍事力が弱く、対策をするにも遅すぎました。近くに『ホマス帝国』がありながら……戦いを避けて怠慢をし、国を滅ぼしたのは私達王族の責任です……」


 そう言い出すと、また涙が止まらないマキラ。

 でも、そうなのだ。

 国を守れなかったのは、その国の王の責任だ。


 わかっている、わかっていたのだ。


「マキラ」


「だから覇王様は何も悪くありません……! 恨むなら自国の不甲斐なさ、次に恨むならホマス帝国。でも帝国もなくなって、世界は統一された……。国が滅んだ事を死んでいった母の責任だと思うこともできなくて……私は、私は……世界を平和にしてくれた覇王を八つ当たりして毛嫌うことで、なんとか自我を保って……私は、なんて情けなくて汚い女なの……ウィンタールと同じよ……誰かのせいにして……汚い……元王女です」


「……汚くなんかないよ。君の辛さがどれだけのものだったか。誰にもわからない辛さを、君は一人で耐えてきたんだね……」


「ううっ……優しくなんかしないで……私は……」


「いいんだよ。覇王なんか毛嫌いしたって、それで君の辛さが少しでも和らぐのなら」


「……覇王様……」


 シィーンは優しく、マキラの涙を拭う。


「覇王は毛嫌いしたっていい。でも俺は君の全てを愛している。エフェーミア姫という君も、強く美しい占い師のマキラも……」


「シィーン……」


「だから君も……ただマキラを愛する男のシィーンを、愛してほしいんだ」


「貴方は素晴らしい人だわ……でも……私は」


「でもと言っても、ダメだと言っても、俺はもう絶対に君を離さない」


 肩を抱かれても、マキラはまだ首を振る。


「わ、私は……貴方にとって、きっと悪運になってしまうわ」


「じゃあ、君の先読みが初めて外れることになってしまうだろうね」


「……貴方の未来は読めないのよ……」


「それは俺がこの世界の真ん中の存在で……君の夫だからだな。きっと特殊な存在なんだ」


「シィーン……私……」


「まだ迷うのか? 俺は君の前では暴君になってしまいそうだよ。俺の愛でがんじがらめにして、自由になんかさせたくない。俺の傍から一歩も離れさせたくない……他の男に指一本触れさせたくない……あの男も八つ裂きにするのをなんとか耐えた」


「大丈夫……ルビーニヨンの栞が守ってくれたの……」


「これか……」


 シィーンがそっと、ルビーニヨンの栞を渡してくれた。

 マキラを助ける際に、忘れずに回収してくれていたのだ。


「どうして来てくれたの……?」


「ルビーニヨンには、俺の聖なるオーラを少量込めたんだ。だから追跡できる。聖なるオーラは太陽によって少し力が増すからね」


 だからそれを辿ってシィーンは、マキラの家に訪ねてくることができたのだ。


「でも今回はもう込めた力もほぼ飛散していて……それでも君の声が聞こえた。今回は君の聖なる力と、かすかに残った俺のオーラが共鳴したんだ」


 あの時に、つい叫んでしまった。

 マキラも無意識に聖なる力を発動させて、栞のルビーニヨンに僅かに残ったシィーンのオーラと共鳴したんだろう。

 それを感じた瞬間に、シィーンは覇王の力で駆けつけた。

 世界統一した後も、彼の力は増し続けている。

 

「シィーン……」


「俺を愛しているんだろう?」


 何も言えないマキラを力強く抱き締めて、そのまま口づけをされる。

 手放した愛が、戻ってきた。


 冷え切って絶望していた心に流れる、優しい愛。

 

 温かい彼の腕の中で、マキラも生きるべき場所が此処だと思えた……。

 

「……シィーン……えぇ……愛しているの……貴方を……」


「あぁ、わかっているよ……マキラ……全部、わかっている……」

 

 溢れる涙に、シィーンは口づける。

 そして傷ついたマキラの心を癒やすように、シィーンは優しくそして情熱的に彼女を愛した――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る