第16話 シィーンの正体・愛の終わり
突然、女から声をかけられたマキラ。
夜の庭園のイルミネーションは淡い光で顔は薄暗く、ハッキリとは見えない。
女の後ろには、まだ二人、女がいる。
一体誰……? まさかシィーンの家族? と思うと変な汗が滲み出る。
「貴様は、口も聞けぬのか?」
声をかけてきた女は、異国のドレスを着ていた。
髪は真っ黒でスパイラルパーマのようなキツイパーマがかかっている。
彼女が一歩進んで来て、顔がやっと見えた。
その瞳は憎しみに染まって、激しくマキラを睨んでいる。
「そこのお前、返事をしろ。これは余程の無能者か」
「……そのドレスはホマス帝国式の……」
自国を滅ぼした国のドレスのデザインは忘れない。
暑さに考慮した作りにはなっているが、女性でも権力を示すような大きな襟、幅広く広がる紫のスカートには、真っ黒な蝶の刺繍。
手には大きな扇子。
紫と黒を基調にした重々しいドレスは、この国で見るには違和感しかない。
シィーンの親族とは思えなかった。
それに、この憎しみの渦は一体……。
「下品な庶民ふせいが、よく知っているな!」
ホマス帝国の上流階級の女性は、男のような喋り方をすると聞いたことがある。
殺気の含んだ怒鳴り声。
しかし、そんな事でマキラは怯まない。
「無能に下品な庶民……? 随分な言い草ですね。貴女こそ何故この庭にいるんです? 」
「この庭も宮殿もいずれは、私の物になる。それを横から掻っ攫おうとでも思っているのか!? ガザルシィーンに近づく下民め!!」
「ガザルシィーン……? ……って……え……?」
マキラの心臓がドクンと脈を打つ。
「お前は、覇王の名すら知らんのか!」
「……覇王……」
どうして覇王の名がここで……?
マキラの心に、嫌なざわめきが波立っていく。
「姫様、どうかお戻りに。ハルドゥーン将軍の留守中でも、ここの立ち入りは禁止されております。きっと覇王様の命令ですよ。バレたらどうなるか! こんな女は、ただの遊女でございますよ」
「そうです姫様! 覇王様は女遊びをする御方に決まっております。ただの遊女などかまう事はありません。早く迎賓館に戻りましょう」
後ろの二人は、侍女のようだ。
侍女達がどうにか、この女を庭から連れ出そうと焦っているのがわかる。
「うるさい! 占い師の召喚も邪魔されたのも腹立たしいのに! こんな遊女を宮殿に住まわすなど! 忌々しい男! ガザルシィーンめ!」
占い師の召喚……?
そして、ホマス帝国のドレス……。
「貴女は……じゃあ……エリザ姫?」
「ふん! いずれ世界の女王になる存在が、お前ごとき野良猫に名乗るものか!」
この女はエリザ姫だ。
何もかもが青天の霹靂。
彼女が怒り狂って、此処にやってきた。
つまりは……覇王とは……。
覇王は……シィーンは……。
混乱で、頭が上手に動かない。
「ここは……覇王様の宮殿なの……?」
「お前は……! 当たり前の事を聞いて……! ふざけているのか!」
「エリザ様! お戻りに!」
「ええい! うるさい!!」
二人の侍女を叱責し、エリザ姫はドレスの裾から短剣を取り出した。
ギラリと光る短剣の刃。
「あの男もこの女も……妾をバカにしているのか! お前の生首を見せつけて、泥棒猫は始末したと言ってやろうぞ!」
混乱する頭のなかで、これだけはわかる。
シィーンの正体は覇王で、この女は帝国のエリザ姫。
自分の祖国を滅ぼし、全てを奪った国の姫。
覇王の婚約者……?
違うって言ってた……でも……。
「死ね……!!」
エリザ姫の立ち振舞は、素人ではなかった。
しかしマキラも、ベルト剣を一瞬で抜く。
侍女の悲鳴が響いた。
◇◇◇
エリザの短剣がどこかへ飛んで行って、マキラは走った。
走って、走って、走って、二人の愛の巣だった屋敷……宮殿を飛び出した。
覇王の宮殿は、城の一番奥にあったのだ。
入るにも出るにも、厳重な警備が敷かれていた。
必死で外へ出るために身を潜め、塀を登り、馬車の影に隠れて、広大な城からやっと抜け出すことができたのだった。
そこから歩き続け、眠らず歩き続けて……やっと次の日の昼間に自分の家へ辿り着いた。
シィーンからのプレゼントを脱ぎ捨て、あるだけの金を持って、すぐに旅の支度をした。
重たいリュックを背負い、腰にまたベルト剣を巻き、マントを羽織って、分厚いターバンで顔を隠す。
そして玄関には『占いは無期限休業します』それを書いた紙を貼って……マキラはまた歩き出す。
覇王が行った地域とは、真逆の地域へ向かう馬車に乗った。
何も考えられない。
ただ、愛が終わった事だけはわかった――。
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