第8話 ルビーニヨン、初恋の香り
朝帰りしたその日は、占いの予約は入れていなかった。
質のよいお酒ばかりだったんだろう。あれだけ飲んだのに悪酔いもせず、ただ泥のように眠った。
沢山の夢を見た。
予知夢を見ることもあるのに、未来のことは一切出てこない。
幼い頃の幸せな日々。
絶望した祖国の滅亡、そして逃亡、絶望。
焚き火を見つめ生き残る事を誓い、努力した日々。
世界統一されて、命が救われたと安堵し、もう少し早ければと泣いた日。
街の人の沢山の悩みを聞いて、先読みをしてアドバイスをし、助ける毎日……。
自分の存在意義はなんだろう?
沢山の人に自分を望まれているのに、本当は心のなかでいつも寂しかった。
それがあの時……あの人の腕のなかでは、寂しさが消えていた。
「シィーン……」
見つめられて、彼に口づけされる……あの時の温もり、感触……そして胸の高鳴りでマキラは目を覚ました。
「もう……破廉恥だわ、私」
水を飲もうと台所へ行くと、小さなダイニングテーブルの一輪挿しに差したルビーニヨンの花が目に入る。
この花が枯れるまでに……窓辺に置けば、シィーンが来る?
「どうやって、わかるのよ? ……わかるわけないじゃない……」
少しご飯を食べて、うとうとと眠ってしまって起きたら、また玄関に書面が残っていた。
嫌な予感がして、読むとハルドゥーンからの手紙だった。
このままでは強制的にでも、城へお連れしなければならないと……。
ゾッとした。
夕方だったので、マキラは侍女へ速達で手紙を出した。
侍女の元へ逃げたいと……。
彼女も今、どんな暮らしをしているかわからない。
無理であれば断ってほしいとも書いた。
でも逃げなければ!! それは変わらない。
書面にはエリザ姫の独断であり、覇王は関係ないと書かれたハルドゥーン直筆の手紙も入っていた。
我が主、ガザルシィーン王は関係ないと……。
「王家の使いって言ってたのに……覇王は関係ない? 覇王をかばっているの……? この手紙は燃やしてほしいって……ものすごく自己中」
関係ないわけがない!
覇王に何も抵抗できない怒り、悲しみ……。
そして、朝まで一緒にいたはずなのに……シィーンと離れた寂しさ。
あの時、口づけの続きを拒まなければ、どうなっていたんだろうか?
「自分のものにするって……一体何をするつもり!?」
マキラが王女としての受けた教育は、もちろん十三歳の国が亡くなるまでだ。
男女の営みや性教育は、まだこれからだった。
悩み相談のなかには、恋人や配偶者との性の悩みもあり、一般的な知識は生物の本で勉強はした。
しかしそれ以上は、本を読むのも恥ずかしく、苦手だと悟ってからは性生活のみの悩み相談は断っている。
次の日。
占いの仕事で長時間にわたって、女性達の様々な悩みを聞いた。
いつもよりも鮮明に、先読みをすることができ、彼女達の心に寄り添うことができた。
ルビーニヨンはまだ元気だ。
次の日、かなり高額の特級速達で侍女から返事がきた。
結婚して子供が産まれたばかりだが、受け入れる用意をすると書いてあった。
「赤ちゃんが産まれてたのね! 報告が遅れたって……仕方ないわ。あぁ嬉しいわ!」
結婚のお祝いはしたが、子供が産まれたのは初めて聞いた。
……もう、彼女を解放したい。
そう思い、自分の甘えに気付いたマキラは同じく特級速達で、自分の事は心配せず幸せになってほしいと伝えた。
手紙と一緒に、祝い金も送った。
ルビーニヨンは、まだ元気がある。
マキラはそれから深く考え込んだ。
侍女は七人ほどいたが、自分と同じように幸せを追い求めて、別れた頃とは違う人生を歩んでいるだろう。
だから……もう誰にも頼れない。
自分一人でどこかへ逃げよう。
ルビーニヨンは、少しくったりと首をかしげてきた。
「シィーン……」
ただの一時、過ごしただけの男。
素手であの狼男を、一瞬で退治した男。
あの河川敷の事件はその後、少し噂になった。
しかし噂のメインは誰かがイタズラに照明弾を撃ったというもので、狼男達のその後は不明だ。
マキラも戦乱の世をくぐり抜けて生きてきたので、男に同情も一切ないし後悔もない。
間違えた道を選べば、滅ぶだけ――。
マキラの未来も、同じだ。
一人で街を出て、一人でまた道を探して生きていく。
自分に先読みの力は使えない。
とてつもない不安があった。
シィーンに頼りたいと思っているわけではない。
だけど、彼が頭から離れない。
お金を稼がなければいけないのに、彼が頭からチラついてしまい占い相談も少し中断してしまった。
相談は無数に聞いてきたのに、経験は何も無いマキラ。
「……シィーン……これが、恋なの……?」
彼は自分を抱きたいと……俺のものにしたいと言っていた。
それにマキラからも手を伸ばせば……どうなる?
自分のこととなると、ポンコツだと思い知る。
「焚き火に照らされていたから、わからなかったかもしれないけど……褐色にしてる手足と胸元の肌の色も全然違うし……この国の産まれじゃないなんて、絶対思ってない。それに身の上を知られたら……無理だわ……」
だけど、最後に逢いたい。
この花は、彼の悪戯心だったに違いない。
探せるわけもないとわかっているのに、朝、マキラは窓辺にルビーニヨンを飾った。
そして夜。
食欲もなくて、ビスケットだけを齧る。
ここを出る準備も始めた。
荷物をまとめ、売れるものは売って、できるだけ金にする。
「……シィーン……」
そんな時にも、何も知らない男の顔がチラついた。
あの理解を超える強さ……河辺の私有地は彼の物だと言っていたし、謎が多すぎる。
それでも、ずっと考えてしまう。
窓辺のルビーニヨンをマキラは見つめた。
明日にはもうしおれてしまうだろう。
「恋って……しんどいわね……来るわけないのに……来るのはどうせ、ハルドゥーン将軍がらみの……」
その時、玄関をノックする音が響く。
ベールをかぶって、口元を隠し、玄関に近づく。
コンコンとまた、響く音。
「……どなた……?」
「マキラ、俺だよ。約束どおり、君に逢いに来た」
あの情熱的な男の声だった。
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