第5話 汚染と聖なる力

 素手と飛び蹴りで……狼男を倒してしまった謎の男。


「ふむ、強化してこんなものか」


 男の様子は、登場から一切変わらない。

 マキラはただただ、驚くだけだ。


「あ、貴方……」


「君は、怪我はないかい?」


「え? えぇ私は、大丈夫」


「よかった。少し待っていてくれ」

 

 動揺もせずに、気絶した狼男を観察するようにしゃがみ込む。

 狼男は、ドス黒いモヤに包まれている。


「待って! 近寄ると危ないわ! 貴方まで汚染されてしまう!」


「うん……ここまで一体化していると、やはり元に戻れるとは思えないな。はったりで偽物をつかまされたか」


「ねぇ! 危ないったら! ほら、貴方も取り込もうとしているわ!!」


 狼男に触れて観察している男の足元に、黒いモヤがゆっくりと移っていくのが見えた。

 慌ててマキラは、男の腕を引っ張る。


「残念だが……彼は処分される事になるだろう」


「自業自得でしょ!? 離れて! ほら! まだ貴方にまとわりついてるわ!」


 マキラはこの禁魔道具から溢れ出る、瘴気の酷さに気付いていた。

 生を呪い、光を呪い、死滅させる恐ろしい瘴気だ。

 この男の身体は、血肉全てが最高の呪物となり得る。

 それを回収し売買する者達もいるのだ。


「大変よ! 足が壊死してしまうわ!」


「あぁ。こんなもの……」


「もう! 時間がないから急いで聞くけど貴方は憲兵とかじゃないわよね? この国の兵隊じゃないわよね!?」


「ん? 憲兵? 違うよ」


「貴方は私を助けてくれたわ。だから私も貴方を助けたいの! ……でもお願い、誰にも言わないでね?」


 時は一刻を争う。

 

「秘密か? わかった誓おう」


 よくわからない変な男。

 でも邪悪さは感じない。

 何より自分を助けてくれた恩人だ、なんとか助けなければと思ってしまう。


 頷いた彼に、マキラも頷いて目を閉じた。


 マキラの身体が、淡い光りに包まれる。

 聖なる力だ。

 

 聖なる力は、魔術の中で最上級であり神の祝福と言われる――。


 国を追われた王女にとって最大の皮肉だとマキラは思うが、彼女にはその聖なる力が宿っていた。

 聖魔術は闇を祓う。

 

 マキラが祈りを捧げると、男の足にまとわりついていた瘴気が飛散して消えた。


「おお……これは、すごいな」


 はぁ……と気が緩んで、マキラはついよろけてしまう。

 それを男は、優しく抱きとめてくれた。

 またシトラスの良い香りがした。


「ありがとう。すまない、疲れさせてしまったな」


「このくらいなんてことないの……安心して、気が緩んでしまっただけ。私のほうこそ、ありがとう」


「しばらくこうして、もたれているといい」


「……う、うん……」


 男は聖魔術について、何も言わない。

 一般市民は、魔術について知識のない者が大勢いる。

 だから彼も、この術がどれほどのものなのか、わかっていないのかもしれない。


 男の逞しい胸元は、なんだか安心してしまうような不思議な感覚だ。

 でも二人の近くには、狼男が転がり、あと四人もそこらで倒れている。


「この男は死ぬのかしら……あとの四人も犯罪を犯しているようなの。憲兵を呼ばなきゃ」


「俺は先ほど通報照明弾を買って、持っている。それを使って憲兵を呼ぼう」


「え? そうなの? わざわざそんなものを持っているだなんて……」


 通報照明弾とは、身に危険が及んだ時や、事件を目撃した時などに使われる照明弾だ。

 しかしそんな物を持っている一般人はほぼいない。

 

「いや、花火のようだと聞いて興味があってな。さっき大通りの露店で買ったんだ」


「えぇ……観光客向けの?」


「あぁ。まさかすぐに、上げられる機会があるとはな」


 本当に変わった男だ。

 男は左手でマキラを支えたまま、右手でズボンのポケットを探る。

 一本の棒が出てきた。


「これで憲兵を呼べば、この件は一件落着だ。憲兵に危険が及ぶ場合あり注意せよは緑色だと聞いた。これで狼男を発見すれば、対応できる憲兵が来るだろう」


「そうね」


 何も知らず、汚染された狼男に触れれば、憲兵に害が及ぶ。

 

「よし、では撃つぞ」


「待って、ちょっと怖いわ、心の準備を……きゃっ!」


 男はマキラをより強く抱きしめると、すぐに照明弾を上げた。

 ドン・パーンー!!

 と空に光が伸びて、暗い河原を緑の光が照らす。


「もう、待ってって言ったのに!」


「ははは! うん。綺麗だな」


「え……あ、そうね。不謹慎だけど、綺麗だったわ」


「ふ、俺は腕の中の女性が美しいと言ったんだ」


「えっ……」


 歯の浮くような言葉。

 しかもマキラは口元を薄布で隠しているのだ。

 顔などわかるはずもない、ただのお世辞だ。

 普通の男が言ったら、マキラは冷めた目で見てしまうだろう。

 なのに、何故か心臓がドキリとして、彼の胸元にいる自分が急に恥ずかしくなる。


「あ、あの私は、じゃあもう行くわ」


「俺も、憲兵が来るのも面倒だから退散だ」


「貴方も……そうよね。あの、ありがとう」


 変な夜だ。でも、これで変な時間はもう終わりと思う。

 そっと離れると、男は優しく腕から開放してくれた。


「なぁ、一緒に酒でも飲まないか?」


「えっ……」


 マキラは今まで男になびいた事など一度もない。

 男嫌いなわけではない。ただ魅力的に思う男がいなかっただけだ。

 なのに何故か、この不可思議で、先読みのできない男の誘いにドキリとした。


  

   

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る