第8話 ときめきではなくただの驚きです


「おはよう、リルア」

「うわっ!?」


 朝、目を開けると一番にシュリアス王子の顔が飛び込んできた。

 私の隣に寝そべっている姿は、美術館の彫刻のようだ。

 寝ぼけてぼうっとしているところに、眼前に美形が現れるのは心臓に悪い。


「どうかな、ドキドキした?」

「はい、驚きました」

「少しは好きになってくれたかな」

「いえ。ときめきではなく、単純に驚いただけです」


 身体を起こして彼を見れば、既に髪も服装も完璧な状態でそこにいた。


「ときめかなかったか、おかしいな」

「まさか、恋愛小説を実践しようとしています?」

「どうしてわかった?」

 

 彼の手には城下町で人気の恋愛小説がある。

 ときめきについて無知な王子と私の恋を少しでも動かすために小説を真似しようとした、簡単な推理です。


「それは既に恋仲の二人が朝を迎えたときのときめきシチュエーションではないでしょうか。まだ関係もないのに朝隣にいるのは犯罪に近いものがあります」

「ふむ」

「とにかくすごく驚いたので、それは禁止です」

「いつかの日まで取っておこう」

「…………私も支度をするので、一度退室いただけますか」

「支度の前に見て欲しいものがあるんだ」


 シュリアス王子は立ち上がると、私に手を差し出した。

 

 私をベッドから連れ出して、彼は部屋の隅にある扉を開けた。


「わああ……!!!」


 そこにはドレスが何着も保管されていた。

 先日用意してくれていた三十着ほどのドレスだ。そういえば保管のための部屋があるとか言っていた。


「ドレスには簡単にときめくのか……悔しい」


 うなだれているシュリアス王子が見えた気がするが、彼の言うとおりだ。

 ドレスを見た瞬間に、胸がどきどきして気持ちがあたかかくなる。

 この気持ちを人間に向けられたとき、恋ができるようになるのかもしれない。


「今日は一日王城にいる日だろう。どうかな、ここから選ぶのは。せっかくリルアのために作らせたんだ」

「いいのですか!」

「もちろん。君が熱心にスケッチしてたものを中心に作らせたのだけど」


 そういわれてみると、白の総レースのドレスもエメラルドグリーンのドレスも見覚えがある。


「よく覚えていらっしゃいますね」

「記憶力には自信があるんだ。特にリルアのことに関して、忘れる事なんて何一つないよ」

「そうですか」


 次に私の目に入ったのは光沢とハリが美しいオレンジ色のドレス。


「これは」


 私がメインホールで、シュリアス王子に群がるふりをしながら見ていたドレスじゃないか。

 この人、令嬢たちにもみくちゃにされながらも、私が夢中になっているドレスに気づいていたのか。


「どうかな」

「すごく素敵です」

「今回は三十着しか作れなかったけど、まだまだ同じものを作らせよう」

「待ってください」

 

 私のことを想ってくれているのはわかるが、少しずれている。


「その気持ちは大変嬉しいんですけど、私は別に憧れのドレスが欲しいわけではないのですよ」

「なぜ? 気に入っていただろう」

「とても素敵なドレスだと思いますし、小窓越しにしか見れなかったようなドレスをこうしてみることができるのはとても嬉しいです。

 ですが、私はドレスの魅力ってドレス単体ではないと思うのですよ!」


 シュリアス王子は不思議そうな顔をしつつも頷いてくれる。 


「私はですね、ドレスとそれを着る人はパートナーだと思っています。単体よりも相乗効果で美しくなるんです」


「わかった。リルアがこれを着たら最高だということだな」


「違います。それぞれの方に好み、似合うもの、込められた想いというものがあるのです。アニティムもそれを尊重しているところが最高なのです」


「ふむ」


「例えば、白い総レースをお召しになっていた方はマダム。落ち着いている柄が彼女の雰囲気に合っていて、大人の上品さや高貴さを感じられました」


「僕はリルアならどんなものでもすべて可愛く着こなせると思うが」


「それは王子にとって、ですね」


 ドレスにはその人自身の魅力を底上げする素晴らしさがある。それは一人一人違うのだ。


「そもそも似合う・似合わない、よりも、その人が何を着たいか、が一番大切ですね!」


 アニティムに来るご令嬢たちにアニータさんはよく言っている。

 彼女たちに毎回ドレスを新調する予算はない。だから「似合うものも大切だけど、あなただけの大切な一着を作りましょう。好きなものやどんなシーンで着たいか教えて」と。


「運命の一着を作りたいんです、私も」

「わかった。リルアにも最高のドレスを仕立てよう!」

「うーん」


 私は運命の一着を作りたい側だ。

 だけど言われて初めて、自分のドレスを作りたい願望はなかったことに気づいた。


「正直自分が着るものにはこだわりがないのですよね。でもそうですね。せっかくですし、自分のドレスを作ってみるのもいいかも」


 体験してみないと、その気持ちにはなれない。それは昨日食堂で思ったことだ。

 自分で最高のドレスを作ってみることで、ドレスをオーダーしたひとの気持ちもわかるかもしれない!

 ……ありがたいことに、出資してくれる人もいる。


「シュリアス王子、大切なことに気づかせていただきました、ありがとうございます!」

「リルアが喜んでくれるならよかった。これが正しい愛し方ということかな!?」


 

・・


 王城で過ごす一日は、のんびりとしているわけにはいかないのです。

 シュリアス王子は現在十八歳で既に結婚ができるので、私が十八歳になったらすぐに結婚するらしい。

 あと半年です。あまりのスピードに現実味がない。だけどマリッジブルーになる暇もなくて、それはそれでありかもしれない。



 というわけで、大変不本意ではあるのだけど……王族の妻となるための教育が始まってしまったのだ!


 

 王妃になるわけではないので、たぶんそこまで厳しくない……と思いたいのだけど、私には学が足りない。


 将来いいところの貴族に嫁ぐことができるように!という父親の下心で、家庭教師は雇っていて一般的なマナーや教養は一応あるはずだけど。

 父親も家庭教師も、まさか第三王子をゲットしてくるとは思わなかっただろう。

 そこらの貴族に嫁ぐくらいの勉強しかしてこなかったのだ。当たり前だ。


 他国の知識や外国語とか、本当ならば特別必要のなかった勉強をしなくてはならない。

 夜会のマナーやダンスももう一度初めから。そうそう、今後のために上位貴族の名前も覚えなくてはいけないらしい。

 はあ、婚約者やめたい。

 

 だけどシュリアス王子はシュリアス王子なりに庶民に歩み寄ってくれている。

 一度婚約者になると決めたのなら、私も少しは彼の世界を知らないといけないでしょう。

 恩をもらったのなら、返しなさい。田舎の親からの教えは人情には厳しいのです。

 

 わたくし、本日から淑女になるためのお勉強をいたします。


 早速ダンスのレッスンがあるということで、王城を歩いていると一人の男性と出会った。


「おっと、こんにちは。話を聞いているよ。君はリルア・オルコット嬢だろう」


 黒髪の男性で同年代。服装から……貴族だということはわかる。

 しかし貴族の名前を覚えるレッスンはまだ受けていないので、どなたかはわからない。


「はじめまして、リルア・オルコットです。よろしくお願いいたします」

「…………」

 

 彼は私を値踏みするように上まで下まで見やる。

 今日の私は布切れドレスではないので、白い目では見られないだろう。と、思ったが彼は冷ややかに笑った。


「まさか。オルコット子爵家のご令嬢が弟の妻になるなんてね」


 弟。第一王子か、第二王子か。どっちかわからないけど王族だ。

 そのわりにはシュリアス王子には似ていない。整った顔立ちではあるけど、雰囲気が全く異なりどこか冷たい印象がある。


「なんで君みたいな者が、シュリアスの婚約者に」


 憎々しげな瞳を私に向ける。

 それは私も知りたいことですけどね。

 

「君も迷惑だろう。弟の気まぐれに付き合わせて申し訳なかった」


 弟君に忠告いただけると嬉しいのですけどね。

 婚約はいつ解消してもらってもいいので、嫌味はノーダメージです、お兄様。


「本来ならポーラ家のご令嬢が、シュリアスの妻になるはずだったんだ。身分をわきまえたほうがよい」

「仰るとおりです」


 以前、シュリアス王子が言っていたことを思い出す。

 第一王子、第二王子、それぞれの派閥の中からシュリアスの妻を選出しようとしていたと。

 何が三方ヨシだ。派閥から選ばなかったことで、私が恨まれているんですけど……。


「愛の力など馬鹿馬鹿しい。どうやってたぶらかしたんだまったく」

「はあ」


 彼は言いたいことを吐き捨てると、つかつかと立ち去って行った。

 

 シュリアス王子はいない扱いをされているわりに、政治としては重要な存在なのだろうか。

 ……なんだかめんどくさいことに巻き込まれている気がする。はあ、婚約者やめたい。

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