第5話 その溺愛間違っています!返却します!


「逢瀬を重ねて、君の許可ももらい、オルコット領に向かい君の父からもサインももらった。正当な婚約だよ」


「はあ……それはそうですね」


 十一回、デート(だったらしい)をした。

 私が求婚を受けた(らしい)。

 父が婚姻を承諾するサインをした。(これは確実)

 正当な婚約なのだろう。


「僕が王子だとわかって、驚かせてしまったのは申し訳ない。だけど君も僕のことを好ましくは思ってくれているのだろう?」


 キラキラと効果音が鳴りそうな笑顔を私に向ける。


「ええと、なぜそう思われたのですか」

「君にとって大切なドレスを見るひとときに、僕がいることを許してくれていた」


 兄や貴族のことになるとネガティブを拗らせていたのに、なぜ私のことにはプラス思考になれるのか。


「しかし、王家的にはどうなのですか? 子爵家の娘との婚姻などありえないでしょう!」

 

「いや、むしろ力を持たない貴族の娘は大歓迎なんだよ。僕の兄二人は次期国王の座をかけてずっと争っているんだ。第一王子派と第二王子派で各家同士の対立も熾烈でね。


 第三王子の妻となる者は、どちらの派閥の家の者か。それによってバランスが大きく動くと思われているだろう。君との結婚はどちらの派閥も安心するだろうし、僕はどちらにもつくつもりがないことをアピールできる、君も権力争いに巻き込まれることはない。三方よしというわけだ」

 

「なるほど……」


 思わず納得しかけてしまったけど、私のメリットはないですよ! そもそも王子と結婚しなければ、権力争いに巻き込まれることなんてありませんからね!

 

「もしかして、僕ほど君の愛が育っていないことを気にしている?」

「ええ、まあ、はい」

「それなら大丈夫。これからたっぷり時間はある。ゆっくり愛を育んでいけばいい。必ず大切にするから」

「…………」

 

 それを言われると、そうかも……?と思ってしまうのが憎い。

 この国の結婚など、まだまだ政略結婚が多い。私も恋愛結婚をしたいと思っているわけではなかった。

 条件だけでいえば、正直優良物件であることは間違いない。

 

「リルアの希望は何でも叶えてあげられるよ」


 私のわずかな心の揺れを読み取ったのか、シュリアス王子は言い聞かせるように言葉を紡いでいく。


「君のご実家は大変喜んでいらしたよ。弟さんたちは王都の学園で学ぶこともできる。学費はもちろん僕がすべて負担しよう」


 ぐう、ブラコンがばれている……。父などはどうでもいいが、弟を出されるとどうにも弱い。王都の学園に通うことができればどれだけよいだろうか。


「それから君の愛してやまないドレス」


 私の肩がぴくりと動いたことは、きっと気づかれた。


「この部屋にあるドレスはもちろん、これからもいくらでも用意しよう。王家には専属のドレス職人もいる。夜会で小部屋から覗かなくても好きなだけ手に取ることだってできる」


 そうしてシュリアス王子は目の前に並んでいる三十を超えるドレスを指した。一番近くにあるドレスは、いつか私が夢中になってスケッチした総レースのドレスに似ていた。

 光の当たる場所で近くでみれば、精巧なレースはより素晴らしく見える。レースに触れて実際に刺繍を指でなぞることだって出来る。

 

「小部屋から一生懸命覗いていた君もいじらしくて愛しかったけれどね」


 シュリアス王子は思いだすように目を細めた。


 私は目を閉じて、考えてみる。

 この婚約はきっと断ることはできない。そもそも王家の求婚を子爵家が断れるわけがない。

 条件だって悪くない。それなら、もう細かいことなど考えずに、受け入れてしまってもいいのではないか?

 

「わかりました。婚約はお受けします」

「ありがとう」


 シュリアス王子の顔がぱっと明るくなるが、手の中に石が握られていることに気づく。

 まさか、あれは記憶保持石……? 言質を取られた……?

 冷たい汗が流れたことは気づかないことにする。


「今後についてはまた改めて話そうか。少し驚かせてしまったみたいだし」

「少しどころではありませんよ」

「ふふふ。驚いている顔も可愛いけど、少し顔色が悪いかもしれないね。今日はゆっくり休んで」


 ここで一度解放してもらえるのは正直ありがたい。

 シュリアス王子のペースに飲まれすぎていた。

 一度考えを整理したい。整理したところで「王子と婚約した」という事実が変わらないにしても。

 今は頭の中に様々な情報が入りこみ完全に渋滞を起こしている。頭だって痛い。


「それでは失礼します」


 私が頭を下げると、シュリアス王子は不思議な顔をしてこちらを見ていた。


「どこに行くの」

「家に帰るのですが……?」

「言ったよね。王家の婚約者は生活を共にすると。ここはもうリルアの家だよ」


 王城が家!

 ……そういえば冒頭にそんなことを言っていた気がする。

 

「今日からここがリルアの部屋だよ。ああ、部屋がドレスでいっぱいになっているのは、すぐに片付けさせるから安心して」


 今の私はもう反論する気力がなかった。素直に受け入れようと頷く。目の前の環境を受け入れる潔さは私の長所なのよ!

 だけど今日のところは家に帰りたい。こんな部屋で眠ったら、休めるものも休めない。

 

「わかりました。ですが、今日は一旦家に帰ります。私物もありますし、明日は朝から仕事ですから。三日後に仕事の休みがあるので、その日からでもよいですか」

 

「そんなことは心配しなくてもいいよ。もう荷物は既に運ばせているし、仕事にもいかなくていい」

 

「……え? いまなんて……」

 

「もう仕事はいかなくてもいいんだ。だから家に戻る必要も、明日職場へ向かう必要もないよ」


 ぼんやりとしていた頭が、冷める。

 冷水を浸かったように身体の芯が冷たくなる。


「いま、仕事にいかなくてもいい、と……? つまり私は職場を退職させられていますか?」

 

「そうだよ」

 

「なぜ、そんなことを……?」

 

「なぜ、と言われても。

 君がドレスが大好きなことは知っているよ。だからドレスショップで働いたり、夜会でドレスを観察していたんだよね。だけど僕は君にいくらでもドレスを用意してあげることができる。何着でも」


 冷えたはずの頬が、かあと熱くなる。身体中が茹るような感覚に陥る。

 この人は何を言っているんだ。

 

「最低です……。この婚約はなかったことにしてください」

「えっ?」

「あなたは私のこと、何もわかっていないんですね」


 喉の奥が締まったように苦しくなる。


「確かに私はドレスが大好きです。だけど、ドレス職人という夢もできたんです。夜会に咲く花を私も自分の手で作りたかった……!」


「そ、そうだったのか。……職人に。わかった。王家には職人がいる。その者に君に指導をするように頼む。下働きなどせずとも、最高級の技術を学べる!」


「……あなたは、まわりの女性があなたの外面と権力しか見ていないと仰いましたけど。あなただってそうではないですか?」


 相手は王家だ。落ち着け、リルア!

 こんなことを言ったら、それこそ不敬罪よ!

 だけど、涙と共に言葉がこぼれ出てきてしまう。


「私がなぜドレスが好きなのか。なぜアニティムで働いていて、何を思って仕事をしていたか。


 私のことを権力で縛り付けようとしているあなたにはわかりませんか……!?」


 ……言ってしまった。

 目の前の王子の目が見開かれ、唇が震える。

 最低なのは私も同じだ。


「すみません、今日は失礼します」

「リルア!」


 悔しくて腹立たしくて、涙が溢れる。

 私は礼をすると回れ右をして、私のために用意された部屋からでた。

 

 しかし――。


「しまった。外への出方がわからない」


 王城は広すぎるのである。どうやってここにたどり着いたのか覚えてもいない。


「リルア」


 すぐに追いついた王子が私の手を掴んだ。

 キラキラと爽やかな微笑は消え、困ったように眉は下がり、瞳は不安げに揺れていた。


「ごめん。君のきもちを考えていなかった。……本当にごめん。もう一度話をさせてもらえないだろうか」


 まさか謝罪をされるとは思わなかった。

 彼はこの国の第三王子だ。

 失礼なことを言ったのは私で、罪に問われてもおかしくないと思ったのに。


「それと、申し訳ないんですが……君の家は本当にもう引き払ってしまった。僕の責任だが、帰る場所はない」


「……そうでしたね」


 城の出方もわからなければ、帰る家もなかった。


「どうか王城に泊っていってくれないか? これは下心なく君を心から心配している。僕の部屋と繋がっている部屋など嫌だろうから客室を別に準備する。……本当にすまなかった」


 深々とシュリアス王子は頭を下げた。


「こちらこそ失礼な発言を申し訳ありませんでした。ありがとうございます」 


 家がない私はひとまず今夜の寝床を受け入れるしかなかった。

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