第3話 王子と私の小部屋の日々
「あら、このデザインいいわねぇ」
「ですよね。私もこれが一番素敵だと思ったのです!」
スケッチをしている私の手元を覗き込むのはアニータさん。
私は昼食のパンを齧りながら、昨日夜会で見たドレスのデザインを忘れないようにスケッチをしているところだった。
「刺繍の柄までよく覚えているのね」
「記憶力だけはいいんですよ、私」
「そうなの、すごいわぁ」
ふふ、とアニータさんがマシュマロみたいに柔らかな笑顔を向けてくれる。笑うと笑うとえくぼが可愛いふわっとした雰囲気のお姉さまだ。
ここはドレスショップ・アニティムの一室。
アニティムは城下町にある小さなドレスショップだ。
主な顧客は私のような下位貴族。利用シーンは王都の学園内でのパーティや、他家からお呼ばれしたときのドレス。
上位貴族のいらなくなったドレスを回収して再利用したり仕立て直すことで、安価で良質なドレスを販売していると、城下町では人気のお店である。
そのまま中古を購入するひともいるが、アニティムを利用する人の目的はセミオーダーだ。好みのドレスを選択し、それを自分好みに仕立て直してもらう。
あまりお金はないけれど、それでも自分だけの素敵なドレスがほしい。そんな若いご令嬢たちの笑顔を見るのが何よりも幸せだとアニータさんは顔を綻ばせる。
私がドレス職人になる!と決意して行動力に溢れたあの日、何軒かドレスショップや職人のもとをおとずれ、店主の考えに惚れ込んだのがこのアニティムだ。(門前払いされたところもあったけど)
アニティムは小さなお店だ。
従業員は、デザインから制作まですべて行うことができる職人中の職人アニータさん。
アニータさんの旦那様であるティムさんは、貴族にドレスの買い付け交渉をしたり、布や材料の仕入れなど常に忙しく不在にすることが多い。
針子は二人。私と同じく子爵令嬢のエイダと、熟練のおばさま。
それから雑用兼デザイン志望のセシルと全てにおいて見習いの私。
私はドレス職人になりたい!と門をたたいたわりには、針子になりたいのかデザインがしたいのかはまだ定まっていない。今は見習いとして雑務を行いながら、ドレスに触れることができるだけで幸せだ。
そして私は手先の器用さには自信がある。田舎で親の作業を手伝っていただけはある。特産物のフルーツの収穫の手伝いだけど、果実の収穫のスピードと丁寧さは誰にも負けない自信があったわよ。
「おい、ドレスを運ぶのを手伝え」
不遜な声が聞こえたと思ったら茶髪が見えた。顔がいいのに口が悪い私と同い年の男、セシルだ。
「はーい」
今、私に出来ることはこの店を円滑にまわすこと!
私は力仕事にも自信がある。果実を落とすことないように丁寧に運んでいたから、繊細なドレスを扱うのも得意。
今のところ、給金に見合った仕事はできているはずだ。
・・
王都に来てからひと月が経った。私にとっては信じられないくらいの幸せな日々!
アニティムで働くのはとても楽しい。
アニティムに流れてくるドレスは上位貴族が手放したものがほとんどだから、どれも上質なものだ。
常にドレスを囲まれているし、アニータさんは空き時間にスケッチを見てくれたり、余った糸や布で針子の練習もさせてくれる。
だけど、思うのだ。
ドレスは誰かが着ているときが一番魅力がある。人が動くのに合わせて軽やかに揺れるチュールや、身体に合わせた時のシルエットが何より素晴らしいのだ。
メイクアップをして、宝石も身に着けて。それが一番ドレスを輝かせる。
というわけで、私は三通目の招待状を手に入れて、王城で開かれる夜会に向かった。
今回もドレスもどきで参加しようと思った私を不憫に思ったらしく、アニータさんがドレスを貸してくれた。
売れ残りのドレスで流行遅れのものだが、もとは上質なものだ。肌ざわりの良さが段違いである。髪の毛も簡単にまとめてメイクも施してくれた。
不審者レベルが下がった状態で夜会に参加することになった私はメインホールに足を踏み入れた。
このドレスと見た目なら、そこまで白い目で見られることもないでしょう!
あの小部屋からでは、ドリンクを取りに来る人しか観察できない。私好みのドレスをもっと近くで見たいし、踊ったときのドレープの動きも確認したい。
ホールに入った私は、なにやら人だかりを見つけた。ご令嬢たちが一部分に集まっている。
なんだろう……? 何か珍しいものでもあるのかしら。
人が集まる理由も気になることは気になるけれど……そんなことよりも、様々な色のドレスが一箇所に集まっていることが素晴らしい……!
遠目から見ていても、色の重なりが美しい。ちょうどパステルカラーのドレスが集まっていて花束みたいだわ!
私は光に誘われる虫のごとく、ドレスに向かってふらふらと歩いて行った。
そして、近づいて気づいた。華やかなドレスに身を包んだ彼女たちは一人の男性に群がっている。
一体誰だろう? 私はご令嬢たちの後ろから背伸びをして、中心を覗き込む。
――そこにはこの世の美しさを煮詰めたような男がいた。
あ、あの人。先日、小部屋にいた人かもしれない。ぼやっとしか思い出せないが、このような美形が世の中に二人いても困る。
小部屋の薄明かりの中でも美しいと思ったが、シャンデリアの下で輝く彼はより一層発光していた。
それにしても……彼に群がる女性たちのドレスの素晴らしいこと……!
立っているだけで、素敵なドレスがわらわらと寄ってくるだなんて、なんて……うらやましい男性なんだ!
皆が彼に注目しているので、これ幸いと私は彼に群がる一員になりきりながら、隣の女性のドレスを見つめた。
はっと目が覚めるようなオレンジ色のドレスは光沢とハリがあり、少し硬さが感じられる生地だ。その硬さが立体感を作り、ドレープが美しい。これはどのような素材で作られているのだろう。明日アニータさんに聞いてみなくては!
「レディ、何か落とされましたか?」
給仕に声をかけられて、私は自分がしゃがみこんでしまっていることに気づいた。
……しまった! ドレープの流れ方があまりにも美しくて、近くで見てみたい欲求が抑えられなかった……!
給仕の口元は笑んでいるが、瞳はまったく笑っていない。
「ああ、えっと。イヤリングを落としてしまいまして……ほほ。見つかりましたので、大丈夫ですよ」
私は床から何かを拾ったふりをすると、その場から慌てて立ち去った。
ご令嬢たちの目線がないからといって、安心してしまっていたわ……!
私は結局小部屋に向かうことにした。壁一枚ある分、ドレスの細部は見えづらくはなるが、自分の暴走も止める事ができる。
どうもドレスを見つめていると周りが見えなくなる欠点がある。あの壁は私の理性も守ってくれるはずだ。
さりげなく、周りに気づかれないように小部屋の扉を開ける。
「あら?」
先日は椅子が一脚だったが、今日は二脚に増えている。
ありがたく一脚に座り、ドレスを観察することにする。
数分ドレスを視線で追いかけていると、ノックの音と共に先日の男性が入ってきた。
「やあ、オルコット嬢」
先日のような敵意は感じられず、柔らかな物腰だ。
そして今日も美しく、先程メインホールで囲まれていた男性はやはりこの人だったと再確認する。
「こんばんは」
私はそれだけ返すと小窓に目を向けた。
申し訳ないが彼と話している場合ではなかった。メインホールにいたときから目をつけていた総レースのドレスが目の前に現れたからだ。
「君はオルコット子爵家のリルア嬢で間違いないよね?」
「はい、そうです」
「僕は、シュリアス・ランバートと言います。よろしくね」
「はい、おねがいします」
……ああ、思っていた通り美しい。総レースとなると、どれだけ制作時間がかかったのだろうか。
けれどあの繊細なレースを見るにはこの壁が邪魔だ。もっと近くで光の当たる場所で見たい。実際に手に取らないと細部まで見られない。くそう。
「数分前はメインホールにいなかった?」
「はい、いました」
「なぜここに?」
「自分を鎮めるためです」
うーん。これはメモを取るだけでは、明日スケッチを起こすまで覚えていられないな。
銀糸で紡がれているのは、蔦模様だ。大柄の花のデザインもなく目立つ華やかさはないのに流れるような模様が繊細でたまらなく美しい。
「――だと思うが、そうなのか?」
「……え? なんですか」
「オルコット領の特産物である――」
「すみません。あと一分でよいので集中させてもらえませんか?」
この人、今日はなんだか話しかけてくるな。
こないだは寡黙な印象があったのに。
「すまない。失礼だったね」
彼は柔らかく微笑むと、それ以上は黙って何も言わなかった。
「華やかさや派手さも大切だけど、細やかで丁寧な仕上げによって、全体の美しさが勝つこともあるのね。どちらも良い……」
私がレースのデザインをスケッチしているのも黙ってじっと見ている。
そうして先日のようにいつのまにか彼は消えていた。
それから不思議なことに、父に招待状を頼まなくとも、夜会の招待状は私の借りている部屋に届くようになった。
このときの私は、父が手をまわしてくれているのだと、安易に思いこみ、夜会に毎回参加するようになった。
誰かが着て動いているドレスが一番美しく、ドレスショップで手に取るドレスだけでは得られない学びがある。
そして、この夜会に参加するような人々は毎回ドレスを新調している。どれも見事で毎度新鮮な喜びがある。
私は毎回、小部屋にいた。
メインホールでドレスを物色することもあったが、不審者に思われる前に、理性を保てている間に、小部屋に向かった。
そして彼も毎回小部屋にやってくるので、自然と彼と時間を共にするようになった。
本当はひとりきりの空間でドレスを堪能したいのに、彼はよく話しかけてくるのでスケッチに集中できないこともある。
しかし、もともとここは彼が休憩所として使っていたのだろう。私が出ていけという道理もない。
それに彼がこの部屋で休憩しないといけない理由もわかった。
メインホールで彼を見かけたり、小窓から彼を見つけるとき。
彼はいつもたくさんの女性に囲まれていた。
最初はドレスが寄ってくる彼の美貌に嫉妬したが、常に優雅な微笑みを絶やさずに応対していて、なるほどあれでは疲れそうだ、と同情心も湧いたのだ。
貴族の付き合いで顔を出さなくてはならないのかもしれない。
彼は一方的に話しかけてくるが、真剣にスケッチやメモをしている時間は空気を読んで黙ってくれるし、時々ドリンクと料理を運んできてくれることもあって、正直助かっていたこともある。
だけど、私たちの関係はただそれだけで、一度もダンスもしたこともなければ、小部屋以外で会ったこともなかった。
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