第34話 蛇足③ ティア

 これはメアの誕生日よりも、もう少し前の話。


「おはよ、朝ごはん持ってきたぞ」


「おはよう……って何か顔赤くね?」


「気のせいでしょ」


 そうは言っても、俺の記憶のティアと今のティアを見比べれば、その差は歴然だ。顔だけじゃなく、声もいつもより元気がなく、それでいて覇気がない。


「ちょっと触るぞ」


 了解をとってから、俺はティアの額に手を当てるのだが……


「あっつ! これ風邪引いてるじゃねぇか!」


 俺の手の温度は割と高いのだが、それを遥かに凌ぐほど熱い。


「だ、大丈夫だって……」


 その言葉とは裏腹に、フラフラとして壁に手をついている。


「いやいやいや! 流石に無理あるからな?」


 いくら何でも、病人を働かせるほど俺は鬼畜では無い。


「とにかく今日はもういいからゆっくり休んでくれ」


「へ、平気だって」


 そう言うが、足取りがどこか覚束無い。今にも倒れそうだ。


「あーもう。ほら、ひとまず俺のベッドに入れ」


 とりあえず俺のベッドで寝かせ、急を凌いだ。よっぽどキツかったのか、横になるなりすぐに寝息を立て始めた。


「失礼しますねぇ……ってティア?」


「シャロか。なんかティアが熱っぽいんだよ。安静にしてろって、今無理やり俺のベッドで寝かせた」


「なるほど……後でお薬を取りにいかなきゃいけませんね」


「ここにある薬じゃだめなのか?」


「獣人は滅多に風邪を引くことがないので、専用の薬を買わない人が多いんです」


「そう、か……」


「なので、シャロが薬を持ってくる間、看病をお願いできますか?」


「ああ、構わないけど……何をすればいいんだ?」


 他人の看病なんて一切やったことがない。俺はいつもされる側だったのだ。情けないのは重々承知なのだが、俺ができることなど些細なことだ。


「別に難しいことはありませんよ。食事を食べさせて、汗を拭いて、服を着替えさせてあげるだけでいいです」


 なるほど。それくらいなら出来そうだ。出来そうなのだが……


「着替えって、え? 俺がやるの?」


「はい、お願いします」


「え、でも……」


「シャロはティアのために早く行かなければなりません。よろしくお願いします、ね?」


「あ、はい」


 なんか勢いで言いくるめられた気がするが、ティアの為だ。何とか上手くやらねば。


 そうして、シャロが街へ出かけ俺は看病をすることになった。


「ええと、まずは汗を拭くか……」


 シャロが用意した濡れたタオル。それを手に持ってティアに向かう。


「ティア、体拭くからな」


「ん、うん」


 どこか曖昧な返事だったが了承はとった。後で何か言われても許されるはずだ。


 ゆっくりと体を起こして、服を脱がせる。ティアには前を向いていてもらい、極力見ないように努めるが、やはり悪魔が全力で囁いてくる。


 それを振り切って、そっと背中を拭く。


「ん……んん……」


 抑えてはいるのだが、甘い声がどこからか漏れ出す。いつものティアとは全く正反対の声が俺の脳天に刺激を与える。


 やばい、これは耐えれないかもしれない。


 早くも自分の中で敗北ムードが漂う。だって人間はギャップに弱い生き物なのだ。これはただの生理現象で仕方の無いことだ。


「えっと、後ろは拭けたから前を自分で拭いてくれるか?」


 そう言って俺はタオルを差し出した。

 が、その俺の手首を掴まれ、そのままの状態で前へ持っていかれる。


「ちょっ、ティア!? 俺の手ごといってるって!」


 そんな俺の叫びを無視し、タオル越しに柔らかい感触が伝わってくる。


 そう、これはティアの……


 まずい。非常にまずい。ティアのそれの破壊力は前々から目に見えていたのだが、見るのと触れるのとでは訳が違う。

 タオルを隔てているとはいえ、確かに伝わる弾力。そこを何故か重点的に拭くので何度もその感触を味わい続けることになる。


「んっ……ぅんっ……」


 ティアの自然に漏れだした声も相まって、いよいよ俺に限界が近づく。


「ティア……もうッ」


 ギリギリのところで、ようやくその手から解放された。死の淵から蘇った俺は、心を無にして服を着せて寝かせた。尚、下着は替えていない。チラッとは見えてしまったがそれは事故だ。




 ▷▶︎▷



 そして昼食。


 シャロが俺の昼とお粥を作っていってくれた。自分の食事を済ませて、一段落しているとティアが目を覚ました。


「……お腹空いた」


 まだあまり状況が分かっていないのか、そうただ一言呟く。


「お粥あるぞ。食べるか?」


「……うん」


 俺はお粥を温め、ティアに渡す。


「今あっためたばっかだから、多分あついぞ」


 俺とシャロ、それにティアは皆猫舌だ。シャロが猫舌というのは分かるが、ティアも熱いものが苦手だったとは意外だった。何となく何でもパクパク食べるイメージのせいだろうか。


「……冷まして」


「え?」


「だから冷まして」


 そう駄々をこねるような口調で俺にお粥を渡してくる。


 これは……本当にティアなのか?


 そんな疑問を持ちつつ、言われた通りに俺は掬ったお粥を冷ます。


 その様子を見て、ティアは口を開けてスタンバイをする。食べさせろ、という意味なのだろう。仕方なく俺は口へ運んだ。


「はい、あーん……どうだ、美味いか?」


「……」


 無言でもきゅもきゅ食べながら頷く。そしてすぐにまた口を開けてスタンバイをし始めた。


「はいはい、ちょっと待ってろ……」


 同じ工程を何度も繰り返し、お粥を小さな鍋一杯分完食した。


「よし、じゃあ俺は食器洗ってくるから大人しく寝てるんだぞ」


 そうティアに話しかけ、立とうとすると服を何かに引っ張られた。


「あ、あのー……」


 無言のまま、虚空を見つめるティアが裾を掴んで離さない。


「俺、片付けに行かないといけないんですけど……」


「……にいて」


「え?」


「ここにいて」


「わ、分かった」


 え、なんなのこの子!?

 こんな可愛かったっけ!?

 いや、いつも十分可愛いけど、なんか今日はベクトルが違くね?

 しおらしいというか、落ち着いているというか……


 ダメだダメだ、相手は病人なんだ。

 でも、この様子がレアなのも事実……


 ならば、しっかりと目に焼き付け、俺の脳内フォルダに保存するしかない。


 ティアは俺が部屋に残ることを確認すると、また布団の中に入った。


「こっち」


「あっ、はい」


 手をベッドにポンポンとし、俺に来るように促す。

 そして、俺がそばに寄ると、すぐに俺の手を掴んで布団の中に引きずり込まれた。


「えっ、ちょっ!」


 俺の意思に関係なく、指と指が絡み合って、ティアの温度が直接伝わってくる。


 そこまでしてようやく、ティアは眠りについた。




 ▷▶︎▷




 時刻は夕方


 俺はずっとこの状態のままだ。


 シャロが中々帰って来ない。街に行ったはずだから、もうとっくに帰って来てもいい頃合だ。


 というかトイレに行きたい。

 手を離そうと何度か試みたのだが、ティアの力が強くてビクともしない。悪いな、と思いながら起こそうともしたのだが、起きる気配もない。


 どうしたものか……


 と、ここでドアがノックされ、シャロが帰ってきた。


「遅かったじゃねぇか」


「あら、ティアはまだ起きていないのですか?」


「ああ、昼ごはん食べてからずっとこの状態だ」


「へぇ、手を絡めた状態で、ですか?」


 シャロがニヤニヤとした顔でこちらの様子を凝視してくる。


「仕方ないだろ! 握られたまんま中々離されないんだよ。それより薬は買ってこれたのか?」


「あー、そのことなんですけど―――」


「あぁぁ、よく寝た」


 シャロが言いかけたところで、聞き慣れた口調のティアが目を覚ました。


「あ」


「ん?」


「あら」


「な、な、」


「あー違うぞ、ティア。これは俺からじゃない。寝る前の記憶あるか?」


 ティアの顔がみるみる赤くなっていく。


「なぁぁぁぁぁ!!」


「ぐはっ」


 気が動転したティアは、勢いそのままに俺をベッドから突き落とした。不意にやられたので、俺は受身がとれず、背中を強打した。


「な、な、なんでアタシ……こんなっ」


「ティア、風邪は平気そうですか?」


「え? あ、ああ。寝たから大丈夫……」


 寝たから大丈夫?


 その言葉が俺に引っかかった。


「しゃ、シャロ? 薬が必要なんじゃないのか?」


「あはは。あれは……ごめんなさい、嘘です」


 舌をペロッと出して、全く反省の色が見えないような謝り方をするシャロ。


「はぁ?」


「獣人は病気に強い種族なので、大抵は寝たら治るんですよ。薬なんか飲んだら逆に体調が悪くなるくらいです」


「なんだって?」


 つまりあれだ。シャロが看病をするべきところを全て俺に押し付けたということだ。


「あ、あれ……アタシ……服……え!?」


 記憶が甦ってきたのか、再びティアの顔が赤くなる。


「ティア、それはシャロが替えたんだ。俺じゃないぞ」


 こんな状態で俺がやったと知ったら何をされるか分かったもんじゃない。臨機応変に対応して、俺は咄嗟に嘘をついたのだが、


「違いますよぉ、ティア。よく思い出してみてください。一体誰が体を拭き、着替えさせたのかを」


 シャロがそれを全力で阻む。


「いす……るぎが……」


「はぁい、そうです。シャロは手が空いてなかったので、ご主人様が付きっきりで看病していましたよ?」


「アタシの……裸……てか、胸……触らせて……あ、あれぇ?」


 忘れるなんて都合のいいことはなかった。そんな部分までしっかりと記憶があるようだ。


「しかも……アタシから手を繋いで……ご飯の時もっ……」


 これは詰みだ。全ての記憶を取り戻したティアに俺はどうすればいい?


 ティアの方から……という言い訳をしてもきっと無駄だろう。変に開き直りをせず、投了するのが男ってもんだ。


「あの……ティア? 俺が悪かった。だから―――」


「いっ、いい! いいから! 全部忘れろッ!」


「えっ、でも……」


「い い な!?」


「はい……」


 許される、ということなのだろうか。それなら願ったり叶ったりだ。危うく俺は犯罪者になるところだったのだから。


「どうでしたか、ティア。ご主人様の温もりは?」


「シャ〜ロ〜」


「あはは、冗談ですって。あ、少し用を思い出したので行ってきますね。では〜」


 怒りの矛先が自分に向いたと分かると、シャロは適当な言い訳をつけて、早々に部屋から逃亡した。


「逃げたなアイツ……」


「ま、まぁ何はともあれ元気になってよかったよ」


「あの……イスルギ」


「ん、なんだ?」


「あ、ありがとな……色々と」


「気にすんな。それより、次からは体調悪かったらすぐに言えよ? 心配だからさ」


「うん……そうする」


 陰りかけている陽から、少量の光が差す。その夕日に照らされて、ティアの頬が再び赤くなっているように見えた。

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